一日目 『忠実な色欲』 その5


 ……夜になるまで、家のなかで体を呪いになじませた。リハビリもしながらな。車から装備を取り出して、使い方を確認する。


 ナイフ。まあ、90%といったところか。これまでの使い方の多くが行えた。肌から伝わる感覚で、敵の攻撃に反応する。そういう防御のテクニックにはよどみがあるが……防御は今までよりも鈍感でも良さそうだから問題ない。


 拳銃。霊鉄のリボルバーを握らなければ神罰に身を焼かれることはない。霊鉄も携帯するには問題がないが、使うときは苦しみが代償となる。早撃ちを心掛ける必要があるな。


 聖別されていない銃火器は、当然ながら普通に使える。第一次世界大戦のときと、同じように過ごせそうだ。


 戦士としての異能も、どうやら濁ってはいない。


 ……バチカンに伝わるまじないというものがいくつかある。地中海沿岸にはいくつものキリスト教の敵と呼べる邪教とその結社が生まれて、バチカン認定の奇跡に対抗する秘術をいくつも作って来た。


 非公式にだが、オレたちバチカンの戦士はヤツらを潰し、その秘術が実用性を持っていれば盗んで使うことにしている。


 『これ』もその一つだ。上流階級の奥方たちが時おり夢中となる高度なまじない。タロットカードを使い、『行くべき道を探す術』。


 起源を辿ればイスラム教だかアラビア半島の山賊あたりの儀式なのだろうが、モリスコたちはジプシーと宗教結社に、こいつを伝えてくれた。


 ……こいつも今まで通りに機能する。バチカンに報告したくなる。異端扱いして、使用していることを隠したテクニックは、やはりイエス・キリストとその親父に聖別されているわけじゃないようだと。


 喜ばれるかもしれない。予想は当たったんだ。キリスト教以外にも、奇跡の術を使うものはある。神や悪魔の実在を肯定する一つの証拠だ。


 そのあとで、キリスト教の絶対性も揺らぎ、神さまが複数いる可能性に嫌悪感を強めるだろうが。一神教徒の悪い癖だ。他宗教を破壊したがるところは。神さまなど全て空想なのにな。


「報告しても、いつものように封じ込められるだけか……ヨーロッパの文明は、君の言う通り、独善的で傲慢だから」


 仕事に戻ろう。世界をリードするはずの文明が持つ、残念なところに落胆するのは社会学者にでも任せてればいい。


 ……無線機を調べた。何故か、壊されていた。ヴァルシャジェンの娘/マルジェンカの犯行だろうか……?


 いや、基盤がナイフで削られている。あの女が機械に詳しいとも思えないし、壊したければ異能で粉々にしただろう。こいつは人の手による犯行だ。つまり、マルコが修理不可能になるほど、壊した。


 自分の娘婿がゾンビと化して、死の眠りから目覚めるまでの時間の一部を費やして……こんな露骨な工作をしていやがったわけだ。


 ……やはり、何かを企んでいる。


 バチカンとオレとが、直接には連絡を取れないようにした。それには、色々な状況証拠と結びつけると、意味を考えずにはいられない。


 何をしたいのだろうか。


 意見は違っているが……マルジェンカを祓い、ヴァルシャジェンの復活は食い止めたいという考えは一致しているはずだが。


 ……その先が、違うから?


 だから、何かを仕掛けたのだろうか。あのグランパ/おじいちゃんは。


 ああ。君に相談したい。君なら、あの包帯に隠された表情だって、見抜いてしまえただろうから。でも、無理だから、あきらめる。それに決めたはずだ。マルコの謎については、触れることを控えると。


 迷いを断ち切れないのが人間だということを思い知らされたり、装備や自分の体の動きを確かめたり……そんなことをしているうちに、孤独と静寂の時間は過ぎていった。


 そして夜になる。


 『糊付け』は乾いたようだ。生前通りではないものの、それなりに体が動かせるようになったからな。バチカンの戦士に―――いや、戦士には、戻れたよ。


 クソ酷い数日間を過ごしている最中だが、良いこともあった。マルジェンカが刺客を放ってくるかと考えていたが、来なかった。


 悪い傾向ではない。オレにとってはな。


 オレは死体だ。よくて七日しかもたないらしい肉体を、そう無為に消耗させることはない。


 それに、戦闘をする前に『新しい自分』を知れた。リハビリをした、鳥たちを怯えさせながらも銃弾を森に放ち、精度を上げる特訓ができた。


 いつもと違う体だが。


 それなりには、理解と把握を終えた。


 だから。


「仕事に行くとしよう」


 冷えた夜風を浴びながら、闇の世界の生き物と成り果てたみじめな男は、愛車に乗り込みエンジンを始動させるんだよ。


 どこに行くのかは、すでにタロットが示している。邪悪であるモノほどに、タロットは機能する。ヒトに反応することは稀だが、ヴァルシャジェンの娘が相手ともなれば、タロットにおかしな卦が現れるのは当然と言える。


 北に向かう。


 しばらくは、まっすぐ走り続けろ。『敵と出会う』だろうから。タロットは告げた。


 それがマルジェンカではならいい。アレを祓えば、オレはエリーゼの死体を取り戻せるし、ヴァルシャジェン復活も阻止できる。


 だが、タロットは大きな星を示してはいない。あの忌々しい吸血鬼のお姫さまは、この二日のあいだにどこまで北へと向かったのか……。


 ……心を落ち着ける。


 死者の身であるが、呼吸を操れば、いつものように精神が落ち着きを取り戻しかけた。


 生者も死者も、思考はあまり変わらない―――否定すべき特徴だった。死者を蘇生させようとしている、あらゆる邪悪な者たちに勇気を与えかねんことだ。


 誰にも言わないことにしよう。オレも、都合の悪い過去を隠ぺいする悪党どもの仲間入りかな、君が嫌っていた連中に近づくかもしれない。そう考えると、少し辛かったよ。


 夜の道を可能な限り飛ばして走った。


 無音のまま。


 ひたすらに。


 腹も空かなければ眠気も来ない。ただ無意味に重だるい体を、煩わしく感じながら運転をつづけた。


 一時間、二時間、三時間……何も起こらない。無音の旅は今夜いっぱい続いてくれるのかもしれない。そんな予想をした矢先に、ヘッドライトの灯りが人影を映す。


「バカなッ!!」


 車道の真ん中に、女性がいた。怯えた顔で、こちらを見ていた。両腕を上げている。何かを訴えたいかのように、振り回していた。ブレーキは間に合ってくれたよ。どうにかな。


 バンッ!!……と、ボンネットに女性の手が叩きつけられる。轢いちゃいないとアタマが理解していても、少し驚いてしまった。人間らしい反射も残っているようだ、ゾンビ野郎には。


「お願い!!助けてよおお!!お願いだからあああ!!」


 化粧を涙で流しながら、女性はどこか命じるかのように助けを乞う。パニックになっているな。常識的にはこんな人物に関わるべきではないのだが……彼女は助手席側に回り込み、ドアを開けてしまう。


「はあ、はあ、はあ、はあ……っ」


 こちらの許可を得ずに、彼女は乗り込んでくる。自分のものであるかのように助手席のシートにどっしりと体を預けた。香水のかおりがした。化粧も濃いから、娼婦の類かもしれない。


「ね、ねえ……何があったのかって、聞かないの?」


「関わりたくはない。見てわからないかもしれないが、こっちは急いでいるんだ」


「だとしても、聞くべきだわっ」


「……はあ。分かったよ。カウンセラーでも警官でもないんだがな。あんたは、客にでも殺されそうになったのか」


「……そうよ。殺されそうになった。でも、客が相手じゃない」


「『何』が相手だ?」


「バケモノよ」


「……なるほどな」


「あのね?私、麻薬とか、使ってないからね?」


「知ってる。そんな臭いはしないから」


「……なら、どうして落ち着いていられるのかしらね。タバコある?」


「ああ、そう言えば、持っていたな」


「頂戴」


「……まあ、かまわない。どうにも吸いたい気持ちになれなくてな」


 コートの内ポケットにあるそいつを、丸ごと手渡した。マッチもゴムで結わえてあるから、便利だろう。


「変なの。ちゃんとしたケースに入れればいいのに」


「面倒くさがりなんだ」


「そう……」


 興味ないんだろう。オレのことに。彼女はタバコを咥えて、マッチをこすり。そいつに火をつけた。紫煙が車内に満ちる。


「……あら。見た目ぐしゃぐしゃなのに、いいものね」


「見た目が全てじゃない。さて」


「降りろとか言わないでよ?」


「じゃあ、何と言えばいいかな。君を遠ざけるためには」


「家まで、送ってもらえないかしら。近いのよ」


「そうすれば、君を追い払えると」


「ええ。車なら、すぐ近くよ。しばらく、まっすぐ。歩いて戻る途中に、あんたに出くわした。きっと、神さまの思し召しなんだわ」


「神さまね……」


 神さまに嫌われているオレは、救ってもらえもしないのに。今夜も神さまに代わって厄介ごとを引き受ける羽目になったようだ。前世で神さまを冒涜でもしたのかね。我が身に降りかかる罰が、多過ぎやしないか……。




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