一日目 『忠実な色欲』 その2


「……オレを拷問にでもかけるつもりかよ、マルコ」


「そんなつもりはない。だが、ワシもエリーゼを取り戻す必要があるからな」


「……まだ、あきらめていないのか。『動く死者』を作ったところで、何になるというんだよ?……その末路も、アンタは理解しているはずだ」


「分からないだろうな。だから、無用な争いを避けるために、お前を拘束している」


「……協力したいんだろ」


「エリーゼの体に憑いている邪悪を祓うまではな。あのクソ吸血鬼を祓い、北欧最大の悪夢の復活を阻止する」


「……バチカンには報告したんだろうな?」


「している。しなくとも、気づくだろうがな。あちこちで眷属どもが暴れ回っている」


「どれだけ、オレは眠っていた?」


「35時間と15分弱」


「そんなに気絶していたか」


「色々と手を尽くした。必要だからな、戦士は。有能な者は、前の大戦で大勢死んでしまった。お前が要る。どうしても」


「義務だな。生きている戦士の……」


「……アレク」


「なんだ」


「気づいていないのか」


「……あ?」


「アレク・レッドウッド。お前はどれだけの傷を負ったと思うんだ?」


「……胸を、指で切り裂かれちまった……他にも、あちこち、好き放題されちまった」


「『生きているはずがないだろう』」


 包帯男の言葉を、一瞬では理解することが出来なかった。包帯男の瞳は、憐れむように細められた。やさしい男ではある。そして、素直な老人だ。痛ましい事実であったとしても、隠すことは無い。


 真実を告げられていた。


「お前は死んだのだ。そして、ワシがエリーゼのために用意していた、秘薬をその身に注がれた。雹と死の女神カーリーの呪印を使い……ワシは、お前を『アンデッド/不死者』にしたのだ」


「……ッッッ!!!」


 ああ。良くないことが起きていた。自覚を伴いもしなかったがね。オレは、とっくに死んでいるようだ。35時間も前に、死んで、今はマルコ・ザ・スカーフェイスが修めたインドの怪しげな呪術と秘薬のせいで、生きているフリをした死体となっている。


「死んでいたままでは使えない」


「だから、蘇らせたと?……バチカンの戦士であるオレを、ゾンビにしやがったと?」


「そうだ」


 奥歯に力を込めて鳴らしていた。こみあげて来る怒りに衝動されて、体が動く。すまないな、君の父親のことをぶん殴ろうとした。だが、手錠と鎖が邪魔をしてしまう。


「クソッ!!」


「不服か?」


「……いいや。だが、殴りつけてはおきたい」


「全てが終わったら、好きにしろ。ヴァルシャジェンの娘を祓った後でなら、いくらでも殴らせてやる」


「……感謝はしないぞ。今となっては、アンタは禁を破ってばかりだ」


「……お前の感謝など要らん。我々に必要なのは戦力だ。戦う力。ヴァルシャジェンの復活は阻止する」


「二日近くムダにしたか。さっそく―――」


「もう少し寝ていろ。もはや睡眠を必要としない体だが、秘薬と呪術が肉になじむまで時間がいるのだ。早く動けば、お前は腐って人の心を喪失する。邪悪で腐った食欲の衝動にな」


「ちっ!糊付けがまだってか」


「そんなところだ。馴染んだところで、期間は限定的だがな」


「……どれぐらいもつ?」


「もって一週間。それを過ぎれば、お前はただの死体に戻る。エリーゼと異なり、未婚の処女の生命力を持ってはいないからな」


「既婚者のおっさんの死体か」


「そうだ。魔物との戦いで、あちこちが呪いに蝕まれていた男の死体だ。理想的な呪術を刻めるはずもなかろう」


「……そんなことを、理想などと―――」


「……言うな。今は、議論をしている時ではない」


「……ヴァルシャジェンの娘の足取りは?」


「『北』だ。ワシは先に向かう」


「……単独行動で大丈夫なのか?アンタは、オレが痛めつけた」


「二日も前にな。バチカンの戦士が使う薬なら、動くようには出来る」


「それは、そうか」


「……自分のことを心配しろ。死後硬直を経た体だ。その身を流れる血も、半分は薬草と獣の素材から調合した作り物。リハビリしてから、追いかけろ。魔物の追いかけ方は、教えているはずだぞ。ではな」


 師匠気取りに戻った君の父親は、既視感が折り重なった態度で言葉を残し、この灰色の部屋を立ち去ろうとした。だが、直感が、気づかせたこともある。


「―――マルコ」


 呼び止めた。名前を使ってな。君の父親は、こちらを向いた。悟りを開いた気になっているインドの狂人どもみたいな貌をしている。いつもそうだが、いつもより、深度があったんだよ。


「気づいたことがあったとしても。言わなくていい。ワシたちには、不用なことだ」


「そう、だな」


「自分の体に集中しろ。不死者となった体に、かつてほどの鋭さは不要だ」


「痛みに強いか」


「破壊にもな。死なない。そこは、バチカンの戦士としての力を失ったお前に科せられるハンディキャップを補うためにも使える」


「戦士の力を、失った……?」


「試しておけ。思い知らされることになる」


 あごをしゃくって、君の父親は丸机の上に転がる、オレの霊鉄のリボルバーを示した。


「整備はしてやったぞ。弾丸も、ワシが持っていたものを補充している。特別製のものだ。おそらく、それを使おうとすれば耐えがたい苦痛を伴うが、構わんだろう」


「エリーゼを、取り戻すためなら問題ない」


「あの子に新たな命を―――」


「―――エリーゼの魂は、彼女のとなりにいた。見えた」


「そんなものは夢に過ぎん」


「死人が見た夢を、信じないつもりかよ」


「そうだ。天国よりも、地上で生きるべき魂なのだ。ワシのエリーゼは。マリアのぶんまで生きなければならん」


「……っ」


 反論のための言葉を、どうしたって口にできなくなる。説得力があるというか、否定しがたい共感と願望がある。一週間しかもたないゾンビ。娘をそれにしたくなる。そのあとは、どうするのか……そんなことなど、気にせずに。刹那的で善意めいた無責任を選びたくなる。


「幸せになってほしい。生きていなければ……そうでなければ……」


 しわがれた声は孫娘と、君のために揺れていた。うなだれた男は、いつになく弱く見える。


「……マルコ」


「いや、いい。慰めようとするな。何も、しゃべるな。アレク、お前と話すことはないんだ。お前はプロだ、分かっているのだから」


「すべきことは、分かっている」


 君の父親は、うなずいた。


 いつもの懐中時計を見つめて、時間を確かめたあと。こちらを向いた。バチカンの戦士の貌と、それにふさわしい意志を、このときは感じさせている。


「追いかけろ。死体となっても、今までと同じように。お前は猟犬だ」


 ガンコ者の君の父親はそう言い残して、今度こそオレの前から去って行った。二分ほどして、古臭いあのエンジン音が聞こえたよ。湿った砂利道を削って回るタイヤの音も。よく知っている。かつては憧れた伝説の男。あの車に乗せてもらえると、嬉しかったな。


 あの車は、古いくせに。


 心を躍らせてくれた……。


「……まったく。懐古的だとか感傷的になるのは、現実が辛いからか」


 ……自分の車が気になった。愛着じゃない。仕事に必要な足だからだ。


 ベッドから起き上がり。腕を勢いよく伸ばして―――手錠を引きちぎった。筋力は上がっているな。生前で生身のころでも、これぐらいはやれたが、今は、腕力はあきらかに強まっている。


 女神カーリーの加護なのだろうか。それとも、他に何かをしているのかもしれない。代謝の無くなった死体だ、薬物の影響も長らくもつことも考えられる。

何であれ、力があることはありがたい。


 思い切り使うとしようじゃないか。とっくに死んだ身だからな、エリーゼを取り戻すため以外に、何の未練もこの地上にはない。不死の体と、死の女神の力。そいつを使えば、規格外の怪物どもとだって、戦えるだろう。


 見守っていてくれ。君のとなりにエリーゼの魂はすでにあると信じているが、エリーゼの体を邪悪に穢れさせるわけにはいかない。神さまに、あの子まで嫌われてはいけないからな。


「地獄に落ちるのは、オレだけでいい―――」


 窓に近づき、外を見た。長らく使ってなさそうな納屋が見える。その手前に、オレの愛車が停まっていたよ。考えれば当然か。あれでも信心深い。あのグルカ兵の同僚は、どの宗教の神々にもいい顔をしている。敬意を払い、その加護を受けた。


 大司教からいただいた車を、放置するはずもなかった。死んでも回収するよな、君の、あの父親なのだから。


 安心した。腹は空かない。眠気もない。ただ、体が重だるく。鋭さに欠ける感覚が、全身にまとわりついているだけだ。ゾンビ野郎は常にこういう症状に悩ませられるのかもしれない。精神科医に愚痴れば、酸っぱい薬でも処方してくれるのかな。


「問題は体の動きだけか」




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