序章 銀の少女の死 その3
雨を貫き、オレは走る。若さに陰りがあるが、あっちよりは若く俊敏だ。
包帯顔は力を抜くようにしながら低くなり、加速して襲いかかって来る。早く、速い。衰えをカバーするには十分なテクニックを、伝説を持つ戦士は体現した。サイアクの誘拐犯だな。
刃を抜いた。ククリナイフじゃないがね。オリジナルの牙を作っている。ガキの頃から、路地裏で拾った錆びた刃に指を巻き付けたときから―――ナイフは、オレの牙は、何度も折れて新しいモノに取り換えたとしても―――ずっと一緒に戦い抜いてきた。
慣れたもんだ。
殺意を込めた鋼が銀の軌道を描いて、衝突する。
ガギキイイイイイイイイイインンンッッッ!!!
荒々しい鋼の音が鼓膜を揺さぶり、腕の骨をも軋ませた。グルカ仕込みの技術は、あなどれない威力がある。尚武の気質は、老戦士からも臆病を奪い去っていた。
捨て身だったよ。
そうでなければ、若いオレと接近戦をすることは不可能だ。
騎士道にも近い、戦士の教え。
臆病を否定し。死を恐れるなと説くものだ。それを完全に実行しながら、大型ナイフは蛇のように踊り、こちらに向かって二度、三度と厳しい攻めを連携させてくる。受け止めるように応戦した。
それでいい。
体力で勝る方は、守りに徹するのも有効だ。技術と経験で劣ろうとも、マルコはすでに年老いている。刃を交錯させる度に、鋼から火花が弾け飛び、闘争の消耗が老いた達人の体力を削っていく。
こちらも傷を負うが、レートとしては上出来だ。マルコはオレのカウンターを躱すため、裸足で土を踏み、未開の土地で見かける踊り手たちのように体を必死に振り乱す必要もある。接近戦で、命を取られなければ……マルコの動きはやがて落ちる。
いや。
すでに色あせていた。ククリナイフの突きをナイフで受け止め。その直後、体力任せに踏み込み、体重を刃に伝えた。
「ぐう……ッ!!」
力勝負に引きずり込む。老骨には堪えるはずだ。伝説とて、人間に過ぎない。腕の力は奪われて、守勢に回ることを余儀なくされる。
力で構えを崩されたマルコに、獣のように襲いかかった。ナイフは牙だと教わったんだ。他でもないこの男にも。
マルコは避けた。こちらの攻撃を知っている。だからこそ、確実に避けるが。反撃するほどの余裕はない。
頭部に巻かれた包帯の一部を裂いた。片目でも痛めつけられたら理想的だったが―――伝説の男は首をしならせ目は守った。ほほの肉を深く切り裂かれただけでは、オレたちの勝負の決定打とはならない。
鋼の牙で何度も襲いかかるが……けっきょく、マルコを仕留めることは出来ない。まあ、いいさ。間合いを取られてしまったが、体力を削ってやった。次のチャンスには、制圧することもやれそうだ。
だが。
攻めに徹しなかったからだろう。マルコはこっちの作戦を読んでくる。腹立たし気に、ずぶぬれの包帯の下にある顔を歪ませていた。
「……見くびるなよ、ガキが」
「……バチカンの大司教に認められた、『戦士』の一人をそんな風に呼ぶものじゃない」
両肩が動いている。痩せた老人の体では、戦闘に費やせる時間など、そう長くはない。
……順調だ。
「取り戻すぜ。エリーゼ」
「……ッ!!あの子から、お前は……可能性を奪うかッッッ!!!」
「悪夢を、可能性などと呼ぶな、マルコ……」
「……ワシは、貫く!!今度こそ……今度こそだ!!」
狂気を体現したような貌になり、かつての伝説はククリナイフの構えを変えた。まとう空気も変わる。土砂降りの雨を刃が伝い、本能が危険を悟っていた。
「行くぞッ!!」
マルコが攻めを選ぶ。突撃だ。身を低くして、獣のように走る。躱すことは出来ない。その動きをすれば、マルコの理想に戦況は揺れるから。お互いを知り尽くす同門対決の結果として、刃は再び交錯する。
「くそっ!!」
力負け―――させられた。一瞬だが、全身を捨てた突撃が組み上げた重さに、若いはずのこっちが圧されてしまう。
「もらったぞ、アレク!!」
雨の中で伝説が動いた。首と手首、膝裏までも狙ってくる連携。踊るようにそれは軽やかだが、反撃の隙を見つけられない。いや、なかった。完全無欠の精度と速さ。守りだけに徹しなければ、致命傷を受ける。
……長年つるんで来たはずだが。見たことのないテクニックだった。
でも。
分かる。『雹の女神カーリーの舞い』。グルカの武術が持つ伝説の一つか、それが!!技術では、負けた。強さを発揮できない。このままでは、深手を負わされる。
負ける?……負けるだと?……そんなことは、許されんな。だから、何だってするんだよ、マルコ・ザ・スカーフェイス!!!
左腕を―――くれてやるぞ!!
ザギュシャアアアアッッッ!!!
スーツも肉も、少し骨まで斬られていたが。代償を支払った結果として、雹の女神の連携は崩された。
舞いを保つために、もっと浅く刻むつもりだったのだろうが、そうはさせん。こちらから、刃に捧げてやったんだよ。オレの左腕の骨に、雹の女神の舞いを引っかけて、鈍らせてやるために。
「バカがッ!!」
「昔から、バカだったろうがッッッ!!!」
体力で圧倒する。それしかない。接近して、ナイフを振るう!!
「……ッ!!」
感心する。悲鳴も上げやしない。マルコは脇腹を斬られたのにな。それなりに深手だ。何よりも、捕まえたぞ。老体を右腕で抱きかかえて、頭と胴体で支えてやりながら持ち上げる。
「うおおおおおおおおおおおおおおおおッッッ!!!」
獣のように吠えて。
師匠だった男を、大地に叩きつける。
背中を強打し、軋んだ肋骨に圧迫された肺が空気を吐き出す。血混じりの息を浴びながら、大地に倒した老人の首を目掛け、ナイフを押し込む。
ククリナイフの曲がった刃がこちらのナイフを受け止める。あっちは両腕を使ってくるが、それでも体勢が圧倒的に有利だ。まじないの入れ墨まみれの朽ちかけた腕を押し込み、ナイフが師匠の首に近づいていく。
「……あきらめろ。本当に、殺したいわけじゃない」
「うるさい……っ。あきらめ、られるか!あの子を、お前の腕のなかには戻さんッ!!」
「いいや、取り戻す。オレは、あの子の父親なんだ!!」
「ワシは、マリアの……あの子の母親の、父親だぞ!!……エリーゼの祖父だ!!孫のことを守る権利はあるッ!!」
「そんなもの!!あったところで、オレの権利の方が、優先されるんだよッッッ!!!」
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