第22話 少女の大冒険1
ひとり部屋に残されたリリーはというと、あいも変わらずひとり絵本を読み続けていた。
「だがら……は……とても……」
何度も何度も同じ場所を読み返して、何度も何度も同じ場所でつまずいて、それでも夢中になって絵本を読み続けていた。
そのとき、読む声が止まった。書かれている言葉が気になったのか、首を傾げて、眉間に皺を寄せてその文字をじっと見ると、
「ねえ、ここ……」
そう言いながら顔を上げ、右の方を見た。もちろんそこには誰もいない。
今度は左を見た。もちろんそこにも誰もいない。
部屋はしんと静まり返っていた。
コン、コン、コン
カラカラカラカラ
遠くから、石を叩く音が聞こえてくる。
遠くから、馬車が転がる音が聞こえてくる。
部屋の中には、なにもなかった。
リリーが思わず涙ぐんでしまう。それが溢れまいとギュッと歯を食いしばった。それでもこらえきれそうになくて、絵本の上に、ポツリポツリと涙がこぼれた。
そのとき、ずっと遠くの方でキィっと扉の開く音が聞こえた。
あらぁ! こんな場所までわざわざおいでくださるなんて!
宿の女主人の声だった。さらに続けて、他の誰かの声がかすかに聞こえてくる。部屋の中からだとリリーにはよく聞こえなかった。女主人が答える声だけが聞こえてきた。
いえいえそんな! もう感謝してもしきれなくて。……え? ……手紙屋さんですか? 旅人の? あーはいはい! 確かに泊まっています。 今ですか? ……いやあ、今は外に出ています。……ええそうなんです。
リリーは、旅人、の言葉に反応すると、その話が気になって、恐る恐る部屋から出てきた。声が聞こえるエントランスの方までやってきて、こっそり覗き見た。
女主人が立っていて、その正面、扉の場所に、杖を突いた老婆が立っていた。ずいぶん足が悪いらしく、杖に頼りきるような立ち姿だった。それでも、素敵な佇まいをする老婆だった。
二人はよく知る仲のようだった。老婆の話に女主人が答える形で始まっていた会話は、とりとめもない世間話に変わり、時おり笑い声が加わっていた。リリーは、そのエントランスの様子をこっそり盗み見ていた。階下のふたりが動きを見せるたびに身を隠していたが、その時、床板が軋む音が鳴ってしまった。
その音を聞いた老婆が、二階へ続く階段の隅に佇むリリーに気付いた。
「あら、可愛らしいお客さまね。お嬢ちゃん、こんにちは」
リリーは驚きながらより一層体を隠した。なんて言おうかわからずに口をパクパクさせる。だけれど言葉が出てこない。そんな様子を見ていた女主人が笑いながら言った。
「リリーちゃん、この人はね、安心できる人よ」
「あう……。こ、こん、にち……」
「ふふ、こんにちは」
老婆はリリーに微笑むと、それだけにして、改めて女主人に向き直った。
「それじゃあ、今日は、おいとまするわ」
「いいんですか? よければお待ち頂いても」
老婆は小さく首を振ると、杖を小さく床に突いた。
「昔からお転婆な足でね。家の者に黙って来ちゃったのよ。早く帰って、怒られなきゃ。都合よくお会いできたらって思って来たけれど、旅をする人を留めるわけにはいかないわ」
老婆が女主人に会釈をして、ゆっくりした足取りで立ち去ろうとした。外の光に飲まれていこうとした老婆の後ろ姿を見ていたリリーだったが、意を決したように身を乗り出した。
「あ、あの!」
リリーが、自分の出せる精いっぱいの声で老婆の背中を呼び止めた。
老婆が、そのか細くてきれいな声が自分にかけられたものだと察すると、ゆっくりと振り返り、リリーを仰ぎ見た。
「お嬢ちゃん、どうしたのかしら?」
「お、おて、その……」
リリーがしどろもどろになっていると、老婆は言った。
「ふふ、そんなに慌てなくてもいいわ。私、お話を聞くのがとっても好きなの。お嬢ちゃんの話を、聞かせて頂戴?」
優しく促されて、リリーも息を整えながら、言葉を探した。
「その……、お、おて……、お手紙なら。わたし、おとどけできる……かも……」
老婆は目を丸くした。
「あら、お嬢ちゃんもしかして……」
そして、察したように小さく微笑むと、女主人のほうを向いて言った。
「ねえ。紙とペンを頂けないかしら。チリ紙で構わないわ。それでも、皺の入っていない綺麗なものを」
女主人は二つ返事でカウンターへ回る。老婆は近くのテーブルまで、ゆっくりした足取りでやっていき、丁度椅子に座ったころで真っ白な紙とペンが届けられた。
「手紙を誰かに書くなんて、覚えてないくらい久しぶりだわ。なんだかうれしい」
老婆は女主人に礼を言うと、サラリサラリと、慣れた手つきでペンを走らせた。それは数分も待たずに書きあがり、丁寧に丁寧に折った。
「よし、と。それじゃあこれを……」
老婆がそう言い、たどたどしく立ちあがろうとしたのを見て、
「あっ」
リリーはたまらず階段を降りてきた。テトテトと老婆の元まで駆け寄る。
「あら、ありがとう。……じゃあこれ、手紙屋さんに渡していただけるかしら?」
差し出された手紙を、
「えっと、……まかされました」
「ふふ、頼もしいわ。お願いしますわね」
そういい、老婆は会釈をすると、女主人に一言礼を言い、宿をあとにした。
リリーは老婆が去っていった外を見て、それから手元に握られた手紙を見た。綺麗に折られた紙が、リリーの小さな手にすっぽり収まっていた。かすかに老婆のぬくもりが残っている気がした
「リリーちゃん。大役ね、頑張って」
女主人が笑いながらカウンターの奥に去っていった。
「たいやく……。たいやく?」
リリーはきょとんとしたが、その手紙の重みを握りしめると、決意に満ちた表情を浮かべた。そこにはもう、少し前までの、涙を浮かべた様子はなかった。
「……、私、がんばるっ」
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