旅をするということ

第20話 騒動が終わって

 コーサスの街を包んだ動揺は、かなりのものだった。

 街のシンボルとしてそびえていた古城の、その根元がすっかり丸くえぐられて消え去ってしまったのだから、無理もない。それでも城が崩れずにいるのは、大昔の建造技術の賜物だろう。とはいっても放っておくわけにもいかず、街の人たちはどうやって城を直すか、また壊されやしないかと大騒ぎの毎日だった。

 いろんなうわさも飛び交った。これは外部勢力の侵略行為であるとか、未知の兵器が城に隠されていてそれが暴走したとか、

宇宙人の超兵器だとか、そういう面白おかしいモノも含めてだ。

「若干当たっていなくもない気がするのがまた」

 エルは、しばらく居を構えさせてもらっている宿の一室の、その窓から、城の様子を眺めていた。城からだいぶ離れたところにある宿だが、二階の部屋から城の様子はよく見えた。根元のえぐられた後は見えないが、それを包むように組まれたやぐらの一部は見て取れる。風に乗って、石工が石を加工するハンマーの打刻音が聞こえてきた。加工が終わった石は数人がかりで城の足元にくみ上げられていく。今ちょうどやぐらの上に吊り上げられていくところが見えた。

「壊れたのが石でできた城で良かったわぁ」と言っていたのはこの宿の女主人だ。この地域は建材用の木材が手に入りづらく、建物のほとんどは石造り。木材というと、やぐら用ものくらいしかないとのこと。それが今や総動員されているらしい。しかしながら、城レベルの大きさの石造りの建物を建てることは滅多にないことで、皆が皆どう直していけばよいか分からず頭を悩ましているとのことだった。

「まあ、僕にもわからないけれど」

 エルは、誰にでもなく、なんにでもなく、ひとりごちた。

 後ろのベッドでは、リリーが一人で絵本を読んでいた。部屋の中でも暇つぶしのなるものをと探していたとき、これが読んだことがある本とのことで、とても欲しがったから買ってあげたものだ。

「だがら……は……とても……しいきもちでした。……もまた……」

 読む、とはいってもご覧のありさまだ。読めない文字も多いらしい。簡単な言葉ばかりで、多くは読み飛ばしていた。ちぐはぐな文字の羅列になっていて、あれでは内容はわからないと思うのだけれど、リリーははどこか楽しそうだった。きっとそれでいいのだろう。

 エルは窓を閉めると、そばにかけていた外套を羽織った。その様子に気付いたリリーが顔を上げる。

「また、お出かけ?」

 少しだけ寂しそうに言った。エルの胸が少しだけ痛くなる。

「ごめんね。でも、外はまだ危ないかもしれないから。すぐ戻ってくるよ、待っててくれるかな」

「エルだって……」

「ん?」

「エルだって、あぶないのに」

「僕はほら、これが仕事だし。それに、僕を頼って手紙を預けてくれて、待っていてくれる人がいるからさ。頑張らなきゃ」

「……うん、うん。わかった、まつ」

 リリーは視線を絵本に落とした。だけれどこれは、絵本の文字が目に入っていないときのものだ。明らかにしょげている。それが分かってしまったから、エルの胸はなおさらチクリと痛んだ。

「そ、そうだ。帰ってくる途中で、甘いお菓子を何か買ってくるよ。サクサクのやつをさ」

「おかし?」

 はっと顔を上げたリリーだったが、はたと気付くと、また視線を絵本に落とした。これはあれだ、お菓子に釣られてしまったのが少し恥ずかしくて誤魔化しているときのものだ。その証拠に、耳がちょっと赤くなっている。

 エルは、リリーが不機嫌にならないくらい小さくだけ、くすりと笑うと、

「お昼、食べたいものがあったら考えておいてね。お菓子は、おやつの時間に食べよう。楽しみにしていて」

 そう言い残してから、かばんを背負って部屋を出た。

 階段を下りたところで、店番をしていた女主人に出会った。

「あら、エルさん今日もお出かけかい?」

「はい。確認は毎日しておきたいですから」

「もーうそんなの焦って旅に出なくても、ゆっくりしていけばいいのに。宿代はまけとくからさ」

「いえいえ、これ以上よくしていただいてしまうと、ここに住み込んでしまいそうになってしまいます」

「あっらーそれだけ住み心地がいいって? 嬉しいわねえ」

「本当に過ごしやすくて助かっています。それでですが、今日もリリーのことを――」

「わかっているわ。人が訪ねてきても知らんぷりするし、通さないから。安心して行ってきなさい」

 女主人には、『人買いから逃げて旅をしている』と伝えている。リリーをさらった連中がまだこの街に潜んでいるかもしれないことを考えると、用心するに越したことはない。結果として、味方をしてくれているので助かっている。

「ありがとうございます」

 エルは小さく頭を下げて宿を出た。

 宿の窓を見ると、リリーが顔だけを出してこちらを見ていた。小さく手を振ってくる。それに応えてから歩き出した。エルの胸に、またもや罪悪感がよぎった。

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