第10話 追手

 エルは走り出した。一秒だって待っていられなかった。

 主人が言うには、リリーを“さっき連れて行った”のだ。そうそう遠くに行っていないはずだ。ひと目のないところまで行ってから無理やり担いでいこうものならリリーは絶対愚図る。おまけに抵抗だってするはずだ。ならば、耳を澄ませ。とにかく走り回れ。

 古い城壁内で拡張されてきた街だから、路地は無秩序に入り組んでいた。それでも、闇雲に路地を走り回るのならこちらのほう足は速い。絶対に見つける。


 いやぁー……


 聞こえた。


 声の方へ駆けていく。黒い布がはためきながら路地を曲がるのが見えた。

 二人の人影が細い路地を縦列で走っていた。一番目の人影に、白いワンピースが重なっている。

 エルはナイフを抜き、一番後列の人影に投げつけた。

「うぐっ!」

悲鳴をあげる。二人の足が止まったその瞬間に、エルは壁を蹴って二人の頭上を飛び越えた。

「んなっ!」

 一番前の人物が驚いた頃にはもう遅かった。着地したエルは即座に反転し、相手の懐に入ると、膝に蹴りを一撃、バランスを崩したところで顎に肘鉄を叩き込んだ。相手がたまらず渾沌したところで、抱えられていたリリーを抱き上げた。

「エルぅー!」

「一人にしてごめんよ。待たせたね」

 今にも泣き出しそうなリリーを優しく、少しだけ抱きしめた。それからナイフを刺された人物を睨みつけた。

「何者かわかりませんが、退いてください。子供に、血を見せたくない」

「ガキが図に乗るなぁ!」

 男は背中に刺さったナイフを放り捨て、サーベルを抜くと、大きく振りかぶり、その刃を振り下ろした。

 エルはナイフを抜くと、刃を片手でいなし、間髪入れずにその腕にナイフを突き刺した。痛みで体勢を崩したその男の鼻っ面を思いっきり蹴り上げた。

「ガキとは失礼なっ」

 無力化された二人を尻目に、エルはリリーに語りかけた。

「怖いものを見せちゃったね、ごめんよ」

「いいもん。エル、来てくれた。いいもん」

 たくましい子だ。

「さあリリー、行こう。こんな騒がしいところはゴメンだ」

「さわがしー」

 その時、笛の音が騒がしく響き渡った。加えて、遠くから足音が聞こえてきた。かなりの数のようだ。追手が迫っていた。

 想像以上に連中は必死らしい。

 リリーの手を引いて走った。リリーの足に合わせると、それほど急ぐことはできない。なんとか路地を利用して距離を取る。

 しかし、

「いたぞ、あそこだ!」

 やがて見つかった。

「生きて捕らえろ!」

「右へ曲がったぞ!」

「くそ、ちょこまかと逃げる!」

「奥だ、そっちへ行ったぞ!」

「追うんだ! 誘い込め!」

 誘い込まれてたまるか、ってんだ!

 いくつもの路地を超え、広場に差し掛かった。広場を抜けた先に大通りが見える、人混みに紛れられればこちらのものだ。

 その時だった。

「ここか」

 大通りへと抜ける路地に、新たな人影が陣取っていた。男が一人だけだ。

 あいつを倒せば逃げ切れる。

「リリー、一気に抜けるよ」

「ぬける」

 よしきた。

 一度リリーの手を離し、ナイフを抜いた。足を速める。対する男は、静かに腰の“獲物”を握っていた。

 もう半歩で懐に飛び込める。そのとき、相手が動いた。

 悪寒がした。とっさにリリーの手を強く握り、抱え、後ろに飛び退いた。

 直後に強烈な牙突音、そして石の欠片が舞った。

 速い抜刀だった。しかしそれは、刃ではなかった。

 振り抜かれた先の建物の外壁が、深く穿たれていた。刃物のたぐいではない。

「ほう。見切った上で避けたか。聞いていた以上に出来る旅人とみた」

 男は壁を穿った獲物を引き抜き、構え直した。それは、長い柄と巨大な頭からなる鉄塊、堅牢な障害物をことごとく打ち砕くスレッジハンマーだ。

 重量物は小ぶりなナイフと相性が悪い。

「おい旅人、問わせてもらおう」

 男はハンマーを再び構えると、エルのことを静かに見返した。

「どこに雇われた、エリスティン共和国か、それともルーカシア連合王国府か?」

「生憎ですが、国を持たない流浪の身です」

 エルはリリーの手をゆっくり離した。雰囲気を察したリリーが不安そうな顔をしながらゆっくりと下がる。

「ならばなぜその娘を匿おうとする。悪いことは言わん、娘を寄越せ、でなければ命を失うことになるぞ」

「ご免です」

 後方の路地が騒がしい。急がなくては囲まれてしまう。

「そこをどいてもらいます!」

 エルは一気に距離を詰めた。斬撃を絶え間なく繰り出す。男はハンマーの柄でそれらをはじくが、手数の多さでエルが圧倒する。

「小賢しい!」

 男が再びハンマーを大きく振りかぶると、地面に叩きつけた。飛び退く。地面に大穴が空いた。飛び退いた勢いのまま、壁を蹴り男の横顔に蹴りを叩き込んだ。

「ぬるい!」

 蹴り込んだ足を掴まれた。身をひねりながらその腕を切りつけ、逃れる。

 男が、切られた傷口を冷たく見据え、流れ出る血を払った。

「動きは悪くない。だが体躯の小ささが仇となっているな。全てが軽い」

「ご丁寧に、どうも」

 そんなこと、自分が一番知ってるっての。

 そうしている間に、後ろから追手が近づきつつあった。時間がない。

 焦りが汗となって額を流れる。どう突破する?

 ええい、考えるよりも行動だ!

 エルは再び飛び出した。絶え間ない斬撃を繰り出す。男はそれらを避け、弾き、防ぐ。これでいい。男の一撃は重い。相手の手を封じ続けられれば手数でこちらが有利だ。

 「全てが軽いが」男がつぶやくように言った。

「速さがある。鋭さも申し分ない。……だが肝心の詰めが甘かったようだ」

「なに?」

 そのとき、叫び声が響き渡った。

「いやぁーはなしてぇー」

 追手がすでに到着し、リリーを羽交い締めにしていた。

「止めろ! その子に何をして――」

 そう叫んだとき、頭を掴まれた。

 背後に男が立っていた。

 しまっ……。

 そう思ったとき、力ずくで頭を壁に叩きつけられた。

 強烈な衝撃が体を襲った。息が止まる、視界が霞む……、体の感覚が消え、意識が暗転しかけ、力なく地面に倒れることしかできなかった。

 男が、エルの頭から手を離した。

「焦りが見え透けていた。だから詰めを誤る」

「うる……さ……」

 息ができない。声が出ない。

「エルぅー! えるぅー!」

 リリーの声が脳に届くが、何も動けない。視界の隅で、抱えられたリリーが暴れているのが見える。

 何も、できそうになかった。

 取り巻きの人物が、男に駆け寄った。見慣れない敬礼をしていた。

「大尉、少女を確保しました」

「よくやった。これで准……お喜びに……」

「この者は……どう……ま……か」

「連れて……、きっ……かもし……」

「わか…………」

「こ…………」

「……」

「」


「いやぁー! イヤァー!」

 

 リリーの叫び声が頭の中に響いた。その瞬間、霞む視界が青い閃光に包まれた。

 それと同時に、いくつもの爆発が響き、粉塵が舞い、建物が悲鳴を上げ、そしてあたりが男たちの叫び声に包まれた。

「ぅああああ指がぁあああ!!!!」

「誰かぁ! 誰かァァ!!」

「衛生兵ェ! 助けてくれぇぇ!! 手が、俺の手がぁぁ!!」

「畜生! 目がァ! 畜生ー!!」

 突如立ち込めた阿鼻叫喚の中で、とうとうエルの意識は暗転した。

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