第9話 初めての街
翌朝。
女中に教えられた通りに藪を抜けると、すぐに大きな街道に抜けた。
視界も広く、よく踏み固められた街道だった。こういう道は、野盗や獣が現れないので安全だ。だが、いかんせん子供の足もある手前、結局二日あれば十分だと思っていた道のりを、たっぷり三日かけて、その昼過ぎにコーサスの街についた。
コーサスは、よくある中規模の街だ。中央に背の高い古城がそびえており、それを取り囲むように街が広がっている。その外を囲む城壁には、ところどころに大砲や銃弾で穿たれた跡が生々しく残っていた。
「おっきい」
リリーが城壁を見上げ、さらに古城を見上げ、それから、
「いっぱい」
立派な城門に飲み込まれていく人々を見ていた。
「ふぇー」
「すごいでしょ?」
「すごい。いっぱいがいっぱい」
「満足してもらえたなら、ここまで連れてきたかいもあったよ。で、だけどさ……」
エルは背を丸めながら歩いていた。その背中に、リリーがしがみついていた。
「もうそろそろ歩ける? 降ろしてもいい?」
「いーやー、つかれたー」
エルにおんぶされているリリーが首をブンブンと左右に降った。この三日の間で、ある程度意思の疎通を図ってきたが、こんなに懐かれるとは思わなんだ。
「でもね、歩いていかないと入れないんだよ」
降りてほしいだけなんだけど、入門の手続きがあるからあながち嘘ではない。
「うー」
「早く街に入りたいでしょ? ほら、もう少しだよ頑張って」
「うー。……がんばる」
リリーは渋々承諾すると、エルの背から降りた。エルは胸の前で釣っていた背嚢を背負い直した。久しぶりに背を伸ばし、強張った体をほぐす。そんなエルを見ていたリリーは、自分の背中を見てぺたぺたと撫でると、不満そうな顔を浮かべ、両手をエルに伸ばした。
「ん? ああ、手をつなぐのね。いいよ。はい」
差し出したエルの手を、リリーが拒んだ。
「リュック、わたしも」
「これを? 背負うの?」
「うん」
「重いよ?」
「がんばる」
「そう? はい」
エルは、背嚢をリリーに背負わせると、きちんと両腕を通したのを確認して両手を離した。
「ふぎゅ!」
リリーは、あまりの重さにのけぞりながら激しめの尻餅をついた。だめだこれは面白い。
通行人が怪訝な表情をするのを気にせず笑いをこらえていると、リリーが不服そうな顔で見てきた。立ち上がろうとするが手をぶんぶん振り回しているだけで立てる気配がこれっぽっちもない。そのさまが尚更面白かった。しばらく見ていたいくらいだったが、リリーの表情がしだいに困惑から不満に変わっていくのが分かったので、駄々をこねられるよりも先に背嚢を支えることで手伝ってあげた。
「ね、重いでしょ。だから無理しないで――」
「なにかてつだう」
「何かって――」
「なにか!」
さて困ったぞ。駄々をこねられるのも迷惑だ。軽くて、安全で、ってなると……。
「そうだ」
ちょっと不安だけど、どうせ郵政局に届けるまでの間だ。
エルは背嚢を開けると、中から小さな皮袋を取り出した。それに紐をくくりつけて大きな輪っかを作ると、リリーの肩に掛けた。ショルダーポーチの完成である。
「みんなから預かった手紙が入っているんだ。僕の荷物の中で、いちばん大切なものだよ。絶対に無くしちゃいけないんだ。頼めるかな」
「たのまれた」
リリーは紐をぎゅっと握りしめて言った。なんとも頼りがいのある決意の表情だった。
厳しい表情のリリーと一緒に、人波に乗って二人は城門までやってきた。ここの門番とは何度か顔を合わせたことのあるエルだったので、他の商隊や旅人よりもすんなりと入門手続きが降りた。
「手紙屋殿、いつもお疲れ様です。それでなんですが、そこのお嬢さんは一体何者でしょうか?」
門番が怪訝そうに尋ねるのに、エルがなんと答えればよいか悩んていると、リリーはショルダーポーチを見せて、
「おてがみとどけるの」
その決意表明を聞いた門番は大笑いをすると、
「手紙屋殿の一番弟子ということですな! これは頼もしい。ぜひともこの街で疲れを癒やしてください」
弟子とは。なんとも困ったことだ。
手を振る門番に見送られながら門を入ると、そこはすぐに街の中だ。
「わー」
これでも幾分小さめの街だが、門を入ってすぐの商店通りはなかなかの賑わいだ。そのどれもが、リリーにはとても素敵に見えているらしい。それもこれもに興味津々といった様子だった。ずっと木こりの家に住んでいたのだから、それもそうか。
「お昼は簡単に済ませてたし、どこかで食べるついでに街を見ていこっか」
「みてく」
普段と変わらない声でも、楽しんでいるのがなんとなく伝わった。
ふたりは商店通りへ向かった。街を見るとは言ったが、正直珍しいものはあまりない。どこにでもある商店が軒を連ねて、どこにでもある商品を売っていた。そもそもこのコーサスの街は、旅の中継地点として栄えた街であり、旅の必需品はあれど、それ以上のものを揃えるには不便もある街だった。それなのに、リリーはお店の一つ一つを興味深そうに、あるいはおそる恐る、それでいて楽しそうに眺めていた。それだからか、いつもよりも長い時間、いつもよりもゆっくり、街の様子を見て回った。
「これ、食べてごらん」
いくつか店を見て回ったあとで、エルは屋台から買ってきたそれをリリーに差し出した。
「飴菓子だよ。とっても甘くて美味しいよ。疲れが取れるから、この街に来たときにはよく食べるんだ」
串に刺さった緑色の果実が、透明な飴で包まれて綺麗に光っていた。受け取ったリリーは、エルがしているのと同じように、それを舐めてみた。
「っ! あまい! これ、あまい?」
「え、あ、うん。甘いよ。そういうものだし」
「このまえの"おいも"もあまかった。これ、もっとあまい」
さては甘い物を食べさせてこなかったな。あの女中は鬼畜か。許せん。
「あまいー」
……まあ、当の本人が幸せそうならそれでいいか。
「あまいのたべられるから、たびってすきー」
「わかる」
「エルとたびしてると、いろんなはじめてに会えるからすきー」
照れる。
時間もそろそろ頃合いだった。手紙を届けて、宿を探してとなると、そろそろ動き出さないといけない。
「そろそろ行こっか」
「まってまだたべてるー」
「食べながらでいいよ」
「ほんと? おぎょうぎわるくない? ゆるされる?」
「許す」
「わーい」
二人は城の方へ歩き出した。郵政局を始めとするこの街の行政機関は古城の足元にある。まずはそこを目指した。
そこを目指したあとは、どうする。
手紙を託す。そして宿を探す。それから、旅の必需品を……いやその前に、リリーを預ける孤児院を探さなければならない。最初からここまでの約束だ。
それに、これ以上は旅に連れ回せない。この子は、まだ長く歩き続けることだって厳しいだろう。僕は、僕が旅に必要な道具を背負うのでいっぱいだ。そして、リリーはまだほんの子供で、自身が旅をするのに必要な道具を背負えるほどの体力もない。なにより、法律に守られていない外の世界は、こんな子供が生きていくには厳しすぎる。後ろめたく思うことはないんだ。お互いのことを思えば、ここで二人の旅が終わるのが一番幸せだ。
なんてことはない。なのに、どうしてか言い訳を並べずにはいられなかった。この胸の違和感は何なのだろうか。
くいくい、とリリーがエルの袖を引っ張っていた。
「ぼー」
「……ぼう?」
困った顔で、飴菓子を食べ終わったあとの串を持っていた。
「預かっておくよ。ほら、寄越して」
そうだ、きっとこれはあれだ。年の離れた妹ができたとか、その甲斐性が芽生えたとか、きっとそんな感覚だ。たぶん。
そうは言うが、家族を無くして久しいし、妹も居やしなかったし。
やがて、二人は古城の麓までたどり着いた。古城にはこの街の行政機関がいくつも入っており、郵政局もまた、その一角にある。
「それじゃあ、リリー。今から手紙を――」
そう言い振り返ると、リリーの姿が無かった。焦って周りを見渡すと、少し遠くの商店の前でなにかに釘付けになっているのを見かけた。
「どうしたんだい。人混みの中で離れたら危ないよ」
駆け寄ってみると、リリーが見ている商店がジャンク屋だということがわかった。そこにはどんな商品もあった。何かで使われた配管や、大小様々な配線、何かの外装、錆びたネジの山など。
その中でもリリーは、棚の上にある、綺麗な曲線を伴った小さな小さな金属板をどこか悲しそうな目で見ていた。
「さみしそう」
そうとだけ言った。奥に座る店主が引き笑いをした。
「お嬢ちゃん、なかなかないい目をしておる。そいつは大昔に使われていたフォーチュン・コアの破片だよ。今となっては三つしか現存していないやつの仲間だったやつさ。どうだい、美しいだろう」
馬鹿な。エルは思わず吐き捨ててしまいそうな心の内をかろうじてこらえた。
フォーチュン・コアは、言うなればフォーチュン・セルの母体である存在だ。しかしその性質は全く異なる。フォーチュン・セルはあくまで大量のエネルギーを蓄える容器でしかないのに対して、フォーチュン・コアはその元となる無限に近いエネルギーを生み出す事ができた。その原理は大昔に完成されたものであり、現代となっては全くの謎だ。それでも、その力はまさしく人類の希望だった。
そして、より多くの力を求めて大昔に大戦が起きた。
結果としてその技術は失われてしまい、現在残ったものは三つだけ。それぞれは、東のエリスティン共和国、西のアルガス帝国、そして両者に面した南海のルーカシア連合王国府が所有している。
それだけの夢と希望と、謎と深淵に包まれた存在だ。構造物の一片であっても貴重な資料だ。それが、こんな南東にある片田舎のちょっとした街に存在するわけないのだ。
そうは思ったが、当のリリーは興味深そうにそれに見入っていた。店の主人が言う言葉は置いておいて、なるほど確かになんともいえない綺麗な作りをしている。大昔に作られたものであるのは間違いないようだ。失われた技術とやらにはいつも感心させられる。
「お嬢ちゃん、せっかくだからもっと見ていってくれ。子供がこうも興味を持ってくれるのは気分がいい。なんなら奥にもっと面白いものもあるぞ」
エルは、近くにあったワイヤーの端材を手に取ると、硬貨を店主に渡した。
「ご主人、すみませんがこの子を少し預かってくれませんか? すぐに戻ります」
そう言いながら、外套の内側にずらりと並んだナイフを見せた。店主は息を飲んだ後、努めて笑顔になった。
「いいですぜ。お客人には最大限の礼儀をしますわ」
店の主人が代金を受け取ると、引き笑いで返した。ここまで脅せば大丈夫だろう。エルは、今度はリリーに向き直った。
「リリー、もう少しここで見ていてもいいよ。手紙を渡しに行ってくるから、そのポーチをくれるかな?」
「えー」
「じゅあ、かわりに僕の荷物を見張っている任務を授けよう」
「わーい」
リリーはポーチを前へ突き出した。エルはそれを受け取る。背嚢を下ろして店主に目配せをすると、店をあとにし、すぐ目の前の郵政局の建物に入った。
手続きは簡単なものだ。窓口に行き、手紙を届けに来たと伝える。担当局員に手紙を渡す。
「では、手紙の宛先と住民情報を照合しますので、少しお時間をいただきます」
担当局員は手紙の宛先がこの街に向けられたものであることが確認できたら、それでおしまいだ。大きな街では、その街の郵政局員が代わりに配達してくれるから楽で助かる。
手紙を受け取った局員は、一枚一を確認しながら、手元の表と見比べていった。手際の素早さは見ていて飽きないものがある。
「そうだ、一つお尋ねしてもよろしいですか?」
局員は作業の手を続けながら頷いてくれた。
「はい、私が答えられる範囲内でしたら」
「この街で、孤児院かそれに準ずる施設はありますか?」
「はて……、この街は平和ですが、それほどたくさんの子供がいるわけでもありませんし、近くで争いもありませんでした。特別、そのような施設があると聞いたことはありません。もし孤児がいたとしても、親族の間で保護されていると思いますが」
「そうですか……」
当てが外れた。
旅のことを考えると、これ以上あの子を連れて歩くのは得策じゃない。僕にとっても、ましてやあの小さな体を考えてもだ。街が平和なのは素晴らしことだし、いっそのこと、ここで里親を探してみようか。リリーを襲った連中のことがわからずじまいなのは気になるけど、あのような野盗じみた野蛮な集団がこの街に堂々と来られるとは思えない。それにこのご時世、情報なんて廃れて久しい。子供一人探すなんて到底出来やしないだろう。
どうあれ、まだまだ時間はあるはずだ。一度この街に腰を据えて、里親探しもいいかもしれない。
局員は手紙を束ねると、トントンと整えた。
「手紙の確認、終わりました。確かにこの街へのもので間違いありません。あなたが手紙屋であると認めます。この街からの依頼を受けることができますが、今すぐ受けていきますか?」
「いえ、後日また伺います。ありがとうございました」
エルは早足で郵政局をあとにした。少しでも遅くなると、待たせているリリーがどんな表情で出迎えるかわかったものじゃない。なだめる苦労を考えても急がなくては。
「ご主人、ありがとうございました今迎えに……、あれ?」
先程のジャンク屋に戻ると、そこにリリーの姿はなかった。背嚢だけがそこにあり、退屈そうにしている主人が頬付けをついている。
「もう、リリーってば、どこかに行っちゃったのか?」
「んあ? あの嬢ちゃんなら、あんたの知り合いがさっき連れて行ったぜ?」
知り合い? この街に? まさかそんな。
「何だその顔は。たしかに連中はそう言ったんだ。あんたと知り合いで、先にいい宿を探せたからその子を連れて行く、ってさ。そういう話になってるってよ」
エルは主人に噛みつくように言い寄った。
「その連中の特徴は!? どちらに行きましたか!?」
「マントにフードもかぶっていたから、よくわからなかったけどよ。この路地を奥に歩いて……っておい!」
油断した。
エルは走り出した。一秒だって待っていられなかった。
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