第8話 夜。夕食。不器用な団欒。
すっかりと夜が包んでいた。そして、森のなかの夜は濃い。
こんな世界だからこそ、焚き火のほのかな明かりは何よりも安らぎを与えてくれていた。
焚き火の前には、一人用の簡素なテントと、そのそばにリリーだけが座っていた。エルの外套を羽織っており、そばには昼に着ていたワンピースが干されていた。
ときおり、ちょんちょんとワンピースをつついたり触ったりしていたが、やがて乾いたことを確認したら、いそいそと着替え始めた。
そのとき、ヤブの奥からエルが出てきた。手には一羽の兎が握られていた。
「すぐ乾いてよかったに」
「ん」
リリーは小さく答えると、外套をエルに差し出した。
「ありがとう。寒かったら、まだ着てていいよ」
エルの勧めにリリーは何も言わず、手を差し出したまま。エルはバツの悪い顔をしながら外套を受け取った。
困った。というか、参った。
旅を始めてそこそこになるが、まさかこんな子供を連れて歩くことになるなんて思ってもみなかった。普通ならば、有無を言わさず断るところだ。それでなくても、子供の扱いなんてまったくわからない。どうしろっていうんだよホント。
リリーは、飽きもせず焚き火をぼーっと眺めていた。
アーティファクトの女中と、何も知らない女の子……。どこかの名家のお嬢様とその召使いだろうか。そうだとすると、リリーは捨てられたのか。あるいは、何らかの理由で家が無くなってしまうのを、娘だけでもと逃したかのかもしれない。どちらにせよ、この世の中じゃあ、ありふれた話だ。
リリーが帰るべき場所は、もう無いかもしれない。
幼い面影が照らされている。色の抜けた髪はきれいに整えられていて、日頃の手入れが行き届いている証拠だ。顔立ちから察するに、将来はなかなかな美人さんになりそうだ。どこの家庭でも、目に入れても痛くないほど愛でられるに違いない。多少豊かな街に行ければ、簡単に引き取り手が見つかるだろう。残念だけれど、話はそれでお仕舞いだ。それより先の他人の人生をどうにかできるほど、僕はできた人間ではないことは僕が一番よく知っていた。
「そのうさぎ」
リリーが突然口を開いた。エルは少しだけ驚きながらもうなずき返す。
「死んでるの?」
「そうだよ。今晩の晩御飯に、って思ってね」
リリーは小さくうつむいた。
「おにく、きらい……」
しまったな。これは想定外だった。お肉が嫌いな子供がいるのか。ううむ、女の子ってわからない。
「大丈夫。食べられる山菜も取ってきたから、干し芋と一緒にスープにしよっか」
「スープ、すき」
よかった。
さっそく、料理の支度に取り掛かった。もともとはエルが一人で使う前提の規模の道具しかないが、小さな女の子が満足するくらいの分なら割増で作ることはできそうだ。ただ、見た目がきれいに作れる自信はなかった。そこが少し悔やまれる。
「ずいぶんおそかった。とおく? お出かけ?」
兎は干し肉にでもしようかな。そう考えていると、リリーが聞いてきた。
「周りに危ない場所がないかを見てきたんだよ」
「とおくに行っちゃったのかとおもった」
「……。……頼まれたからね。君を一人にはしないよ。ちゃんと、安全な場所まで届ける」
「あんぜんなばしょって? どこ? 言ってた街?」
いわれてみると、それは難しい質問だった。
「とりあえず、今考えているのはコーサスの街かな。えっとね、そこまで流されてなければだけど、ここから二日くらい歩いた場所にあるんだよ。そこそこ大きくて、安全だよ」
「大きいまち? ひともいっぱいいる?」
「前に行ったときは、たくさんいたよ。たくさん人が住んでるし、集まってくるし、出ていくんだ。だから安全なんだよ」
「楽しみ。がんばって歩く」
思わずエルは吹き出してしまった。
「ゆっくりでいいよ。怪我しないように、疲れすぎないようにね」
「うん。ゆっくりがんばって歩く」
「その意気だ」
焚き火の上で、スープが煮えた。干し芋にも味がしみてる。完成だ。
「ほら。出来たよ」
エルは、カップにスープを注ぐと、スプーンを添えてリリーに渡した。
「ん」
「熱いとおもうから気をつけて」
「へーき」
リリーはスープを数回かき混ぜたあと、冷ますこともなく小さな口に運び出した。
ちゃんと喋る子でよかった。あんなことの後だってのに、食欲だってある。以外にこの子は、丈夫な子なのかもしれない。エルは、自分のスープを何度も冷ましながら、ゆっくりと食べ始めた。
「ふしぎなあじ」
「干し芋を使ってるから少し甘いかもしれない。口に合わなかったかな」
「あまい。あまい……」
そう言いながら、黙々と食べ続けた。
「ねえ、リリー。リリーはどうしてあそこに住んでたの?」
リリーは、くりくりとした目をエルに向けると、小首を傾げた。
「わかんない。あそこにすむーって言われたから、あそこにすんでたの」
「あの女の人と?」
「うん」
「リリーは、その前はどこに住んでたの?」
「わかんない。いつもあそこだった」
「さっきの村に行ったことは?」
「はじめて」
目と鼻の先の村にさえ行ったことがないとは、あの女中、ずいぶんリリーを大切にしていたかったらしい。
そう思いながらエルも自身の食事に口をつける。
「さっきのふく」
リリーから口を開いた。聞き返すと、言葉を続けた。
「さっきのふく、ナイフがたくさんだった」
ワンピースが乾くまでの間、貸していた外套のことか。
「そうだね。便利なんだよ、何にでも使えるんだ。切るのにも、削るのにも、整えるのにも、なんにでもね。僕に旅の基本を教えてくれた先生がよく使っていてね。真似てるんだ。銃は、もう簡単に手に入る世の中じゃないしさ」
「せんせい? おしえてくれるひと?」
「そう。なんにもない僕に生き方を教えてくれたから、先生さ。長い距離を歩く疲れない歩き方から、食べれる草の見分け方とかね。そうそう、兎の取り方もそうだし、なんでも教えてくれたよ。手紙屋を勧めてくれたのも、その人なんだ」
「てがみ屋さんって、たのしい?」
「うーん、楽しいだけじゃないけどね。たまに、悲しい手紙を届けることもあるし。それでも、僕が旅をするきっかけになったから、良かったと思ってるよ」
「どうして、てがみなの?」
お、なかなか鋭い質問だ。
「重くないし、かさばらないからさ。食べ物や高いものを運んでお金を稼ぐ人もいるし、そのほうが稼げるけど、危ない人から狙われやすくなるし、僕にはそんなたくさんのお金、必要ないからね」
「ふうん」
興味あるのかないのかわからない薄い反応だったが、リリーは何度も頷きながら聞いているので、それなりに楽しんでくれているようだ。
それにしても、自分の話をこんなにするのもどれくらいぶりだろう。
「おてがみって、どういう人にあげるの?」
「やっぱり家族が多いかな。他には古い友達とか、商談……お店に関する手紙をお願いされることもあるね」
リリーは相変わらず何度も頷いている。
「エル、たくさんおはなししてくれる」
「答えられることならね。あんまり自信はないけど。お話は好き?」
「うん。でも、わたしからしてばっかで、してくれなかった。だから、きくの楽しい」
少しだけ、ほんの少しだけれども、リリーがころころと笑ってみせた。エルもその反応を見てつい楽しくなってきてしまう。
「もっとおはなし。たのしいの」
「そうだねえ……、それじゃあ、もう一つ。お願いされたお手紙で面白かったものなんだけどね、目的の街に着いて、名前と家を頼りに探してたら全然見つからないの」
「うんうん」
「手紙の中を見るのはご法度だけど、届けられないのはもっと駄目なことだから、思い切って中を確認したんだ。そうしたら、それがまさかの犬に宛てたものでさ。そりゃあ家が見つからないわけだってね。一応飼い主を見つけて、事情を話した上でその犬に渡したんだけど、これってちゃんと届けたことになるのかなって不安になっちゃって……」
「うん……」
「その家では、その街で食べたものの中でも一番のご飯をご馳走になっちゃってね。ペットをこれだけ大切に扱う街があるんだなあってびっくりしちゃったよ」
カタン、と食器が落ちる音が聞こえた。リリーが眠そうに目をしばしばさせながら食器を拾おうとしていた。
「あはは、ごめんごめん。つい話が止まらなくなっちゃった。眠いよね。もう休もっか」
「うん寝るぅー……」
そういうとリリーは、エルに近づくと袖を握りしめてきた。
「えっと、リリー?」
「寝るのぉー……」
参ったな。
「ほら、テントを貸してあげるから、手を離して」
「いやーぁー。やぁー……」
「ええっと……」
まだほんの子供だと考えればこんなものなのか。とはいえ、このように人に頼られるなんてことは経験がないから、どうにも戸惑ってしまう。
僕は先生にどうしてもらってたっけな。…………。
「……まあいいか」
エルはリリーをテントの中に休ませてあげると、外套をかけてあげ、自身も着の身着のままで横になった。リリーの頭を撫でてあげる。
リリーは相も変わらず袖を握っている。小さな寝息を立てていた。ロイは思わず溜息をこぼした。
先生……。僕はとんでもないことを頼まれたのかもしれません。
「……まあいいや。とにかく休もう」
正直、僕自身も疲れてしまった。
そう呟くと、数秒後には寝息を立て始めた。
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