第4話 不思議な女中

 エルは朝早くから宿を出た。

 村についたときよりも、幾分清潔な装いになっている。煤けた外套も、染み付いた埃が丁寧に払われていた。すっかり準備万端だ。

 「おはようさん! もう出発なんだってね」

 宿を離れた先で昨日の焼き菓子屋の女主人が声を掛けてきた。小麦の詰まった麻袋を抱えていた。

 エルは小さく会釈すると、女主人は少し心配そうな表情になって、

「おや、元気が無いねえ。もしかして、あんまり休めなかったかい?」

 エルは首を左右に振った。

「すみません。どうしても朝が弱いものでして」

「あれあれ。そんなので旅は大丈夫なのかい?」

「歩いているうちに目も覚めてきますから。それに、足腰には自信があります」

「ま、眠気が覚めるまで無理しないでゆっくりして頂戴な。そうそう、村長から話は聞いたよ。西のほうに行くんだってね。私も書いたからさ、よろしく頼むね」

 朝イチで手紙の山を渡され、それをポーチに入れて外套の内側にしまっていた。それをふと手に触れて確かめる。

「はい、任されました」

 そう答えると、女主人はハリのある笑い声と一緒に立ち去っていった。エルは悟った、自分には朝イチであの元気さは無理だ。

 出発前に村長のところへあいさつに行こうと思ったが、昨日のもてなしを思い出した。下手な足止めを食らいたくないと思い、しれっと村を去ることにした。いつものことだ。

 すれ違う数人の村人に挨拶をし、それと同じ数の感謝の言葉を返され、村の外に出ると、遠くに見える畑で、昨日の第一村人である老夫婦が昨日と同じように畑を耕していた。老夫婦がエルの姿に気づき、手を振ってきた。エルもそれに応える。

 森は、エルの視界の向こう側、畑が広がる先にある。緩やかな丘の中腹にひとかたまりになっていて、奥まで見通せない鬱蒼さは、たしかに子供を怖がらせるおとぎ話の舞台としてはぴったりだ。

 やがて、森に入った。

 早朝の空気をはらんだ森は、ひんやりとした湿った空気に腐葉土の香りが相まって、しっとりとした重い雰囲気に包まれていた。身に染み入る涼やかさが眠い頭には気持ちがいい。

 古い森だから、下草が少ない。エルは少し道を外れて、視界の中で一番の巨木の根本までやってきた。弱っている様子もない。豊かな森である証拠だ。このような森が近くにあるのなら、あの村はたとえフォーチュン・セルがなくなっても上手くやっていけるだろう。

「……ん?」

 ふと、足元に視線を向ける。

 足跡があった。それも複数だ。エルのものとは明らかに異なる。しゃがんで注意深く見る。

 妙だ。

 足跡の大きさと歩幅からして、これは大人のものだ。子供が悪戯や冒険の類いで入り込んだものではない。村長の言葉と、女主人の言葉を思い出す。

「やっぱり、誰かがいるんじゃないか……」

 顔を上げて、耳を澄ます。外套の中で、後ろ手で腰に手を添えた。

 そよ風が僅かに木の葉を揺らす音と、鳥の鳴き声。他に、妙な音は聞こえない。

 こういうときは、首を突っ込みすぎないことが一番だ。件の家を訪れたら、早々に去ろう。

 そう考え、家への道のりへの一歩を踏み出したその時だった。

 何かが風を切る音が聴こえ、エルはとっさに腰の後ろから“獲物”を抜いた。

 金属同士がぶつかりあう音が響いた。

 エルの手には大ぶりのナイフが握られていた。それはナイフと言うには存外大きく、まるでナタのように幅広い。小柄なエルが握るとなおさら大きく見えた。

 そして、エルがナイフを振るった先には、鋭利な金属片があった。ちょうど、矢じりほどの大きさと形だった。これを弾いたのだ。それは、近くの木の幹に深々と刺さっていた。人体に当たっていたら、肉をえぐり骨を砕くほどの勢いはあっただろう。

「誰ですか」

 エルが声を上げた。身動き一つせず、視線だけを動かし、辺りを探る。すると、近くの気が揺れ、人影が姿を表した。それは、女中――俗に言うメイド――の姿をした成人女性だった。煤けたエプロンドレスの他には丸腰である。大樹がそびえる古い森の中においては、まったくの不釣り合いな存在だった。女中は、淡白な顔をエルに向けていた。およそ感情は見受けられない。

「外敵を確認。情報収集を開始する」

 そう呟いたあと、

「この森に近づいた目的を述べなさい」

 不躾に聞いてきた。エルは、持っていたナイフを腰に戻した。相手がどうあれ、まずはこちらに敵意のないことを伝えたほうが良さそうだ。

「僕は手紙屋です。昨日、谷間の村にやってきました」

 両手を広げてみせながら答えた。だが女中の雰囲気は変わらない。

「この村に近づくなという指示はなかったのですか」

「指示と言われるほどのものではありませんが、一応」

「ならば引き返しなさい」

 この女中、意地でも森の奥に来られたくないらしい。

「この先に家があるはずです。そこに住んでいる人に用があります」

「あそこに人は住んでいません」

 女中ははっきりと言い捨てた。

「ならばあなたで構いません。僕は手紙屋です。手紙を預かり、届けるのが役目です。これから、西に向かって出発します。誰かに届けたい手紙があれば――」

「そんなものはありません。即刻立ち去りなさい。さもなくば、実力行使に出ます」

 エルは何か言おうとしたが、その言葉を飲み込み、小さくため息をついた。従おう。仕事とはいえ、喧嘩してまで手紙を書いてもらうこともない。嫌だというならそれに応じるしかない

「わかりました。失礼しました。立ち去らせてもらいます」

 踵を返そうとしたエルだったが、その背中を、

「待ちなさい」

 女中が呼び止めた。

「あなたは昨夜の連中の斥候ではないのですか?」

 声に少しだけ感情めいたものが乗っていたの以外は、表情も何もかも変わっていなかった。

「生憎ですが、この森に入ったのは、昨日の昼下がり以来、まだ二度目です。ましてや夜に立ち寄るなんてことはしません」

 そういうと、女中はほんの微かにだが、眉をひそめたような気がした。

「そう、ならば……」

 そう女中が思案を巡らせたとき――、


「女中が家を離れたぞ。今だ」


 そう女中が思案を巡らせたとき、森の奥で、爆発が起きた。

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