32、どこまでも限りなく


 岩蜥蜴は、初級のユリウス君たちがちょうどいい塩梅で戦える「強くも弱くもない」魔獣だ。

 攻撃方法は体当たりなどの物理が主だけど、狼ほど素早くないし、ドラゴンのように炎を吐いたりもしない。

 でも、硬い。ひたすら硬い。

 馬だけで移動している人なら、相手にしないだろう。下手したら武器がダメになってしまうから。

 奴らは乾燥した地域に出没して、岩や砂に含まれた魔力を摂取して生きている。馬より足は早くないが、馬車に追いつける程度の速度で走れるし、なんなら普通に人間を襲う。そもそも人間には岩や砂以上に魔力があるからね。


 え? 私?

 さすがに素手は難しいけれど、テオ先輩直伝の技を使えば倒せるよ。


 つまり、岩蜥蜴は

 ただ今回厄介なのは、数の多さだった。


「馬車は走らせたままでいい」


「了解でさ」


 御者のおっちゃんも、こういう経験があるのか落ち着いている。もしかしたらディーンさんが高ランクだと知っているから安心しているのかもしれないけど。


「ピンク、準備はいいか?」


「ミーヒャーエールー!!」


 相変わらずプリプリ怒っている坊っちゃまの首根っこを掴んだディーンさんは、馬車のドアを開けて振り返った。


「行ってくる」


「いってらっしゃい、ディーンさん」


 馬車(こっち)は任せておいて! と気合を入れている私を見て、僅かに微笑んだように見えたディーンさんは次の瞬間には馬車から飛び降りていた……坊っちゃまの首根っこを掴んだまま。


「にゃああああああああ!?」


 遠ざかる悲鳴?に、つい笑ってしまう。坊っちゃまは懐かない猫みたいだなぁ、なんて……おっと、こんなこと考えていたら爺やさんに怒られちゃうかな?


「おい、ディーン先生が笑っていたぞ……」


「表情筋があったのね、あの人……」


 え? ディーンさんってよく笑ってるイメージだけど?(私の脳内で)

 無表情でも表情が豊かな人っているよね。え? いない?


 お留守番のユリウス君とマリーちゃん。名目上は私の護衛ってことになっているけど、ディーンさんは戦力として考えていないだろう。

 私は自衛できるし、なんなら爺やさんもいるからね。


「やっぱり嫁か? 嫁なのか?」


「ユリウス!!」


 嫁って何だろう?

 ユリウス君をフルボッコにしているマリーちゃん。うん、けっこういい攻撃を与えているみたいだね。鬼教官の特訓?で、体力がついたようで良かった。


 いやそれよりも、何よりもですよ。

 お貴族の坊っちゃまを猫みたいに扱っている、うちの護衛が失礼すぎる件。


「あの、爺やさん、すみませ……」


「あのように楽しそうな坊っちゃまを、初めて見ました。ディーン様には感謝でございます」


「そう、でしたか?」


 爺やさんがそう言うなら良いのか……いや、良くないな?


 ディーンさんへの諸々な教育的指導は後に回すとして、今は岩蜥蜴の討伐状況だ。

 先ほどの口調(と能力)からすると、ひとりで倒せるけれど数が多いから時間がかかるってことかな。

 つまり私の護衛が出来なくなるのを避けたかったんだろう。


「うわ、ディーン先生すげぇ。一気に三匹いったぞ」


「あれは……上位魔法?」


 馬車の窓から興奮気味に外を見ているユリウス君とマリーちゃん。

 じゃあ私もと後ろから覗いてみたら、意外と馬車から近い場所で戦闘が行われていた。

 なぜ? と思ったら、どうやら馬車の車輪が一部壊れて速度が落ちているようだ。


「天の裁きよ!!」


 よく通る坊っちゃまの声とともに、いくつかの雷が岩蜥蜴に落ちていく。

 一撃で倒れなかったものは、ディーンさんが何かを飛ばして仕留めている。


「いたいっ!」


 そして坊っちゃまの頭に当たったのは、どこからともなく落ちてきた金ダライである。

 戦闘中でも神様は容赦ないね。ところで……。


「なんで今、坊っちゃまに天罰が?」


「雷の魔法に『天の裁き』などという言葉は必要ないのでございます。今までは何事もなかったのですが、神官様がいらっしゃるので神々の小さな怒りに触れているのでしょう」


 微笑みを絶やさず解説してくれる爺やさん。

 同じ魔法使いのマリーちゃんも、なんか恥ずかしそうにしている。さては心当たりがあるな?


「マリーも昔は『地獄の業火に焼かれよ!』なんて言って……」


「うるさい!!バカユリウス!!」


 おお、ユリウス君のお腹にマリーちゃんの綺麗なストレートが入った。

 この子は格闘家の才能もあるかもしれない。







 馬車の車輪は、なんとディーンさんが直した。

 応急処置だって言ってたけど、御者さんが「かなり長く使える応急処置だ」と驚くほどの仕上がり。さてはプロの仕業だな?


「馬車の整備も出来るとか、ディーンさんは器用ですね」


「さっきのは俺の力じゃない。別口だ」


「別口?」


「いるだろう。知り合いに」


 無事に王都手前の小さな町に到着した私たちは、早々に宿をとることにした。

 荷物を部屋に運び込んだディーンさんは、きょとんとした顔の私を見て小さいため息を吐く。

 いやいや私の知り合いなんて、イアル町の神殿の人たちくらいしか……。


「そうじゃない。もっと上だ」


「上? ……ああ、そういうことですか」


 きっと、どこかの過保護な上の人(かみさま)が助けてくれたのだろう。

 声が聞こえなかったということは、いつもの水の女神様じゃないってことか……よし、後で感謝の『祈り』を捧げよう。


「俺は先に食堂に行くが……」


「私も一緒していいですか?」


「ああ」


 宿の部屋はそれなりに清潔だったけど、シャワーは共同だった。

 できればお風呂がいいのだけど、共同浴場は二日おきの営業なんだって。残念。


「クリスさん! こっちこっちー!」

「あ、林檎酒があるのね」

「遅いよ! お腹すいてるんだから、早くしてよ!」

「坊っちゃま、お野菜もお食べくださいませ」


 なんで坊っちゃまがいるの?

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