神官長エリーアスの事情


 まず最初に思ったのが「面倒事」だった。


 私、エリーアスは生涯のほとんどを神官として神々に仕えてきた、敬虔なる信徒……ではない。

 大貴族の妾の子として生まれ、かなり早いうちに女遊びに飽きた私は、神官の適性があるのを良いことに神殿に転がりこんだのだ。


 多くの歴史的価値のあるものから最新の娯楽本まで、ありとあらゆる蔵書をかかえる神殿は知識の宝庫だ。

 妾の子だからと、ほとんど勉強する機会を与えられなかった私は貪欲に知識を求め、それを満たしていった。

 そして気がつくと、王都にある大神殿の大神官という位にまで昇りつめてしまったのだ。


 これが失敗だったと理解できたのは、大神官に任命されてからしばらく経ってのことだった。

 神殿に入った私を捨てた「大貴族」が動いたのだ。

 もちろん、神殿で培った私の権力を使って叩き潰してやったが。


 決められた任期は全うした。

 もっと居てほしいと言われたが、まとわりつく他の貴族たちが鬱陶しいと断り、王都から離れた小さな町の神官長として余生を過ごすことにしたのだが……。


『長いこと我らと向かい合ってくれているエリーアスには、本当に申し訳ないと思うのだけど……』


「神々のお導きですから、私は何も言いませんよ」


『……怒ってる?』


「いいえ、面倒だなと思っただけで」


『正直すぎる!!』


「私ごときが、女神様の前で心を隠すなぞできますまい?」


『それはそうなんだけど……』


 礼拝堂に浮かぶ女神の姿は、うっすらとしか見えない。

 若い頃は声だけだったが、だんだん光が見えるようになり、今ではどのような容姿か分かるようになってきた。

 遊んできた頃なら、こんな美女を見たら放っておかなかっただろうななどと考えると、頬に水をかけられてしまう。


「失礼いたしました」


『エリーアスじゃなきゃ天罰ものだよ?』


「女神様からの罰であれば、きっとこの身は喜びで震えましょうぞ」


『もう! エリーアスったら! いつも変なことばかり言うのだから!』


 そうだ。

 私は女神の取り繕わない、愛らしさに惚れている。

 彼の御方が望むのなら、どのような要望にも応えようと決めていたのだが……。


「それで、その『男』を神官にして、各地を巡礼させろと? 適性はあるのですか?」


『もちろん。私と他の神々が連れてきたから、神官の適性は有りすぎるくらいよ』


「ありすぎる……ですか」


『よろしくね!』


 逃げるように消える女神を、ため息で見送る。

 そして、この時に感じた「面倒事」という予感のようなものは現実となった。







 誰もが辛いと音をあげる水汲みは、一年どころか一週間もすれば慣れていた。

 神官になるために必須である『祈り』はすでに会得しており、王都で『武の申し子』と呼ばれたテオドールの訓練も楽しげにこなしている。


 艶やかな銀色の髪と宝石のような紫の瞳は、この町を治める領主の血筋かと思ったが違うらしい。

 それでも均整のとれた体躯を持ち、整った顔笑みが浮かべられれば誰もが見惚れてしまう美人であるのだから、私の流した「やんごとなき生まれ」というでまかせも真実だと思われるだろう。


 そう、彼は美人なのだ。


 女神が連れてきた「男」だと構えていたのだが、どうやら思っていたのと違ったようだ。(そして実際の彼を見てホッとしたのは秘密だ)

 不思議なことに、彼からは男を感じさせるものがない。

 しかし朝の生理現象はあるようで、困っていた彼にそれとなく『祈り』で緩和できると教えたら喜んでいた。だから一応「男」ではあるようなのだが……。


『やっと神官の試験なのね』


「五年はかかると言われている試験を半年で通るのは異例ですよ。これでまた、中央がうるさくなるでしょう」


『それはエリーアスが何とかしてくれるのでしょう?』


「後見人ですからね」


 元大神官であり、仮にも大貴族の血をひいている私だ。最悪、王族が横入りしたところでどうにか出来る力は持っている。

 それでも、この町で静かに余生を過ごしたいと思っていた私にとっては、すべてが……。


『面倒なことを頼んで、ごめんなさい』


「謝らないでください女神様……いや、ひとつだけお願いを聞いていただいても?」


『え! もちろん! エリーアスったら祝福も何もいらないって言うから、徳が貯まりすぎて困っていたのよね! 何でも言ってみて!』


「私が死んでも、女神様のお側で、女神様にお仕えする栄誉をお与えいただきたく」


『……え?』


「それが無理ならば、何も要りません。今の言葉は忘れてください」


『え、ちょっと待って、あれ? な、なんで……わぁ!? 電波が!? ちょ、ちょっとまっ……』


 姿を消した彼の御方の残光を、そっと拾い上げて口づける。


 誰もいない礼拝堂は、常に私と彼の御方を繋ぐ唯一の場所だ。

 身の程知らずだと思いながらも、想う気持ちは数十年変わらないことに苦笑し、そしてふと気づく。


「私の心の内なぞ知っておられると思っていたが……彼の御方も、あの子と同じく相当鈍いのかもしれないね」


 明らかに好かれているはずなのに、遠巻きにされていると落ち込む弟子に、彼の御方と似た何かを感じる。

 そうか、なるほど。


「クリス君が私の愛しい御方を奪う存在ではないならば、全力で保護しよう。これが女神様の……神々の思し召しということだろうから」


 あの様子だと、しばらく神託も無いだろう。

 次にお会いできる時までに弟子クリスを神官として鍛えることにしようと、私は本棚から大量の教本を取り出すのだった。


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