5、無職からの脱却
朗々と歌い上げる老神官に、思わず目が釘付けになってしまう。
男の子の傷口にかざしている手が、淡く光っている。
これはもしや……。
「もう痛くない! ありがとう神官長様!」
「神に感謝を」
血で汚れた膝を、懐から出した瓶の水で清める老人。
「光ったのは魔法、ですか」
「いや、これは『祈り』というものだよ」
男の子の膝にうっすらと傷痕が残っているが、じきに消えるそうだ。
連れの女の子と一緒に去っていくのを、手を振りながら見送っていると、神官長さんが私を見ていることに気づいた。
「な、なにか?」
「もし興味がおありなら、神殿に来られてはいかがかな?」
「私は、その、あまり神様に詳しくなくて……」
「面白いことを言うね。神々についてほとんどの人たちは知らないだろう。この町の神殿は観光名所でもあるし、ぜひ見てもらいたいと思っただけだよ」
「そうですか。じゃあ、お願いします」
「ご案内しましょう」
不思議な気持ちだ。
何も持たずに異世界に飛ばされた私は、女の体から男の体に変わってしまった。
ものすごく大変な状況に陥っているはずなのに、神官長さんと一緒にいるせいか、心の中は穏やかだ。
「フンフフフーン♪」
楽しくなってきて、思わず神官長が歌っていた『祈り』のフレーズを口ずさんでしまう。
「うまいものだね。神官になる気はないかな?」
「私が神官になるなんて! 神官長様の真似をしただけですよ!」
「才能があると思うのだけどねぇ」
こういうプロ?の人に、お世辞でも褒めてもらえるのは嬉しい。
歌うのは好きだけど、さすがに異世界じゃカラオケないよね。残念。
それから、神殿に到着するまで町で人気の食堂や、日用雑貨の店を教えてもらいながら歩く。
必要ない破れたドレスや女性ものの靴などは、雑貨店で買取もしてくれるという情報を得られた。助かります。
近道だと言われて細い路地を歩いていくと、不意に開けた場所に出る。
目の前にそびえ立つのは、真っ白な石造りの建物だ。
「これは……見事ですね」
「王都で腕すぐりの彫刻家たちが、何年もかけて仕上げた外壁なのだよ」
真っ白な石を彫って作られた、様々な生き物たち。幻想的な動物や、美男美女の像が建ち並ぶ。
中心にあるのは、ひときわ目立つ女性像だ。
「ここの神殿は、女神様を祀っているのですか?」
「砂漠だった大地に、緑を与えたもうた聖女様だよ。この地域では昔から、水を司る女神として信仰されているね」
「水の女神様……」
「さ、こちらへ」
柔らかな笑みを浮かべた神官長さんに先導され、開けたままになっている重厚な扉を通って神殿内に入る。
すると、関係者らしき人たちが驚いたようにこちらを見ては、深々と頭を下げていくではないか。
「え、あの、もしかして神官長様って、すごく偉い人だったりします?」
「この神殿内では一番偉いかな?」
いや、そういう感じじゃない空気がですね。
「ここが礼拝堂だよ」
「わぁ、すごいですね」
この世界に来る前に後輩ちゃんの結婚式に出ていたせいか、この荘厳な雰囲気に懐かしさを感じてしまう。
ドーム型の天井近くにあるステンドグラスから、柔らかい光が降り注いでいるのがとても神秘的で、なんか本当に神様とか出てきそう。
礼拝堂の奥には、跪くためのクッションが置かれている。
神官長さんに聞いた祈りの方法は、手を組むだけでいいとのこと。
せっかくだからと、クッションに膝をついたところで視界が真っ白になる。
え? まさか、ここで神様と会話する展開が入っちゃうの?
『そうなのよ。さすがに説明が必要かと思って』
わ、その声は女神様かな?
『そうそう。さっき紹介されていた水を司る女神だよ』
目の前が真っ白で何も見えないけど、きっと綺麗な方なんだろうな。
あ、急にこっちの世界にきて驚きましたが、わりと楽しんでいるのでご心配なくー。
『きっ、綺麗だなんて……んんっ、楽しんでいるなら良かった。まさか性別が変わるとは思わなくて、慌てて神殿に来るよう誘導しちゃったの』
なるほど。もしかして、神官長さんは知ってて案内してくれたのかな?
『エリーアルには、銀髪の青年を神殿に連れてきてって伝えたんだけど、離れていたから文字数制限かかっちゃって最初のほうしか送れなかったのよ。ちゃんとここに来てくれて良かったわ』
文字数制限? 神様の連絡方法について色々ツッコミしたい件。
あと神官長さんはエリーアルって名前なんだ。
おっと、今はそれは置いといて。なんで私、異世界に来ちゃったんですかね?
『実はね、カクカクシカジカで、あなたをこの世界に呼ぶことにしたの。これは神々の総意なのよ』
カクカクシカジカでは説明になっていないし、表現方法が古いです。
『うっ、ごめん。とりあえず、もうちょっとしたら説明するから許して』
ふふ、許しますよ。
『いいの?』
なんか、初めて会った気がしないんですよね。女神様とは、ずっと昔からやりとりしていた人みたいな、不思議な感じがするんです。
『……ふふ、ありがとう。ハル』
え? 名前?
『私たち……神たちは、あなたのことを勝手にハルって呼んでいたの。ダメかしら?』
いいですよ。こっちの人は皆さんクリスと呼ぶんで、ちょっと嬉しいです。
『良かった。じゃあ、何かあったら呼んで。私の名前は――』
「大丈夫かな?」
「……あ、はい。大丈夫です」
長いこと女神様と話していた感じだったけど、ちょっと長いお祈りくらいだったと感覚的に分かる。
それでも、心配そうな神官長さんが、そっとハンカチを差し出す。
「これで顔を拭きなさい」
「え? あれ? 泣いてる?」
なぜか知らぬ間に泣いていたらしい。
ありがたくハンカチを借りて顔を拭いたけど、さすがにこの年になって泣くとか、ちょっと恥ずかしい。
「クリス殿は、神々との縁がおありのようだ。もし良ければ、神殿の仕事を手伝っていただけるとありがたいね」
「仕事! ぜひ、お願いします!」
「そう急がなくとも良いのだよ。ギルドにも依頼を置いておくから、気が向いたら受けてくれるかな」
「はい!」
よし! とりあえず無職を回避できそうだ!
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます