2、森と小川と放置された荷物



 ブラック企業に勤めているという自覚はあった。

 もうひとつ付け加えるならば、セクハラ男が横行する場でもあった。

 それでも同僚たちが「あとは頼んだ……ぜ……(親指を立てて退職)」とか、「転職したら、俺、彼女と結婚するんだ(退職フラグ)」などと言い残し去っていったので、あと少しだけと言いながら何年も勤め続けていた。


 体も心も壊れていたと思う。


 ストレスが原因と思われる病気は、ほとんど網羅していた。

 健康管理(笑)のためにスポーツジムに通っていたおかげか、大病はせずにすんでいたのも悪かったのかもしれない。

 アホみたいに筋トレしているのに、女子だからか筋肉がつかなくて悲しいと言ったら、後輩ちゃんから「いつか物理でクソ上司をヤりそうですね!」と笑顔で言われたものだ。

 その後輩ちゃんも、どこかの不動産王に見初められて結婚退職したのは懐かしい思い出だ。転移する直前の話だけどね。


 とにかく、その日は酔っ払っていた。もちろん良い気分で。

 なぜなら後輩ちゃんの結婚式に呼ばれたクソ上司を、新郎の不動産王が金と権力でフルボッコにしていたからだ。

 愛らしい後輩ちゃんにセクハラをしていたのも知っていたみたいで、新郎に完膚なきまでに叩きのめされたクソ上司が早々に会場を出て行った後、私を含め会社の人間たちはご祝儀をさらに上乗せして払おうとして止められたりして、どちゃくそ楽しかった。


 はぁ、ほんと、後輩ちゃんは幸せになれるみたいで良かったよ。

 泣きながら飲んで、後輩ちゃんから「男前な栗栖先輩が大好きです!」とか言われて「私も後輩ちゃん大好き!来世はスーパー攻め様になりたい!」とか暴言吐いて、「それBLじゃないですかやだー!好きー!」と告白したりされたりしたのが良くなかったのかもしれない。


 目が覚めたら森の中で、綺麗な水が流れる小川がサラサラしておりましバッハ。







「ここはどこ……?」


 辺りを見れば、外にいることは分かる。でも、ここがどこだかは分からない。


「私は……誰?」


 正直に言おう。

 結婚式に呼ばれていた私は、ドレッシーな格好をしていた。

 体にフィットするワンピースを着ていたはずだ。でも、ここまでキツくはなかった。


「なにこれ、くるし……」


 ビリッ!!


「あ……」


 ドレスが裂けた。そして、呼吸が楽になった。

 体をペタペタ触れば、胸はムチっとした筋肉に包まれているのが分かる。

 沸き上がる好奇心にあらがうことなく、そっと下半身に手をやれば鎮座するブツがある。


「なるほど」


 状況はまったく理解していないけれど、今自分が女ではなく男であるというのは理解できた。

 そして、ビリビリに破れた女性もののドレスを着ている私は、はたから見ればライトな変態に分類されてしまうだろうことも理解した。

 この場合ライトとは「右」でも「照明」でもなく「軽い」という意味で使ってほしい。

 ちなみに鎮座しているものがライト(右)寄りかは不明である。(どうでもいい)


 どうしたもんかと思っていると、目の端に何かが映った。

 一瞬なにか動物がいるのかと思ってビビりまくったけど、よくよく見れば茶色い荷物袋のようだ。

 ちっ、驚かせやがって。


「これ、何が入っているのかな……?」


 自分の声が、めっちゃイケボな件。

 透きとおるようなテノールが心地よい。まさか自分の声に萌えるとか、人生は驚きに満ち溢れているね。


 周囲に人の気配はないし、置いてある袋は開けても問題ないだろうと勝手に判断。

 中を見れば何着かの男物の洋服と、綺麗なブローチが入っていた。

 この状況を客観的に見れば、なんとなく分かる。もしかしたら、もしかしてだけど、通勤時間に読んでいるネット小説あるあるの状況ではないかと……。


「ここが異世界なんて……まさか、ね」


 多くのネット小説(異世界転移もの)を読む私が分析したところ、残念なことに現状を打破する難易度が高い感は否めない。


「この服、ファンタジーによくあるチュニックにゴムじゃなくて紐で縛るタイプのズボン……あ、ブーツもあるラッキー」


 ありがたく着替えてしまう。

 だって私、たとえライトであっても「変態」にはなりたくないもん。

 でも下着は女性もののままです。大きめのトランクスみたいなのが入っていたのだけど、左右に揺れるブツが落ち着かないので苦肉の策だ。

 ブラはしていないとはいえ、今の私が「女性ものの下着を身につけているライトな変態」という事実からは、全力で目をそらすことにする。


 着替えたおかげで、よくあるファンタジーの身なりのいいモブ男性みたいにはなれた。

 よく見れば仕立てのいい服だから、もしやこの荷物……いや、今は考えないようにしよう。うん、それがいいそうしよう。


「性別が変わっちゃうのはTSってやつだよね。それで体は変わってるけど、死んだりしていないから異世界転移ってやつ? マジか。なんで私が……」


 深く深くため息を吐く。


「異世界にいける条件トップ3に入る、ブラック企業に勤めていたからとか? はぁ、なんで男になったのかさっぱり分からないよ。女の時よりもいい体しくさってからに」


 女の時はペッタンだった胸が、今はしっかりあるのが憎たらしい。筋肉だからって許されると思うなよ?


 いや落ち着け私。

 ここは森の中で、近くに小川はあるけど食べ物はない。

 荷物袋にあったのは、洋服数着にブローチひとつ……おや?


「何か書いてある? 文字……ルーンとかアトランティックみたいな文字が?」


 ピントを合わせるように見ると、意味が分かる……ような気がする。


「フェルザー家の繁栄を願う? なんか大事なものっぽい?」


 むむむと見ていたら、どこからか馬の鳴き声が聞こえた気がした。もしや、馬に乗っている人がいるとか?


 慌ててドレスの残骸とブローチを荷物袋につっこむ。

 よっこいせと立ち上がった私は、音のする方向へと走っていった。



 

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