卒業
さて。なんと言うことか。あっという間に二月。
別にバレンタインをどうこう、という訳ではない。文芸部にとっては死活問題だ。部長の土方が卒業するのだ!
もうすでに部活で三年生は卒業。つまり、土方は文芸部部員ではない。だが、彼女の強い意志で勝手に部室に来ていた。三人が話し合い、新入部員の確保及び学校非公式の七不思議解決の方向性を決めていた。
「どうする?」
「うーん? 俺は他の部、七不思議研究部とかと協力して解決したほうがいいんだが...」
新島と高田が話し合っている中、土方は文芸部の過去の活動記録に目を通していた。
「多分、他とは協力しない方がいい」
「何でだ?」
「どこで教職員が聞いているかわからない」
「なるほど」
「で、入学式の時の勧誘だが──」
「無理やり勧誘するか?」
「それは強引だ。部の評判は落としたくない」
「なら、どうする?」
「簡単だ。勧誘はしない」
「はぁ!? だったら、新入部員はこないぞ」
「来ない。だが、いい方法がある」
「いい方法?」
新島はニヤリと笑みをこぼしながら話した。
── 一ヶ月前 ──
いつもの流れで当然、放課後である。新島は高田の前に立った。
「早くしろ、高田」
「なんだ、今日は準備早いな新島」
「ああ」
「ちょっと待ってろ」
高田は席を立ち上がると、新島と歩き出した。
「なあ、新島」
「どうした?」
「おすすめの本とかある?」
「ジャンルは?」
「推理小説」
「なるほど」
新島は少し考えてから、新島を見た。
「ジョン・ディクスン・カーは知ってるか?」
「ああ、知ってる。『本陣殺人事件』の作中で少し触れていたな」
「そういえば、本陣殺人を読んでたな」
「ああ」
「なら、話しが早い。『三(みっ)つの棺(ひつぎ)』を読め。名作だ」
「わ、わかった」
「面白いぞ」
「そうなのか!」
「ああ」
すると、部室前で土方が立っていた。
「二人とも、遅いよ」
「あ、どうしたんすか?」
「うん。私が部長の時の最後の事件が起きた」
「最後の事件っすか?」
「ああ。まずは部室に入ってくれ」
三人は部室に入って、椅子に座った。土方は本棚の前に座っていて、本棚の方向を向いていた。
「八坂中学校ではスマートフォン並びに携帯電話の持ち込みは禁止だ。つまり、調べ物をするには辞書は必須というわけだ」
「それが、どうかしたのか?」
「我が文芸部が重宝(ちょうほう)する辞書は月始(げっし)社のものだ。そして、現在使っているのは月始社の第七版だ。で、その辞書が紛失した」
「紛失っすか?」
「紛失?」
「そう、紛失だ。昨日まではあったのだが、今日部室に入ってみれば辞書がなくなっていた」
「その時に鍵は掛けていたのか?」
「もちろんだ」
「となると──」
新島に続いて、二人も同じ方向を向いた。そこには、入り口とは別の扉がある。その向こうは隣りの部屋に繫がっていて、机以外には何もない。三人はその扉を開けて、その部屋から廊下に繫がっている扉の鍵を確認した。
「ああ、掛かってないぞ」
「つまり、この部屋を経由して文芸部部室に侵入した何者かが本棚から辞書を抜き出して、盗んでいったというかとか」
新島は結論をつけた後で、部室に戻った。
「まずは部室に本当にないか、探そう」
「わかった」
三人で手分けして、部室の隅から隅までを探したが辞書は出てこなかった。土方はため息まじりに古いダンボールに歩いて行き、中から辞書を取りだした。
「前の文芸部の奴らが使っていたものだ。月始社の第三版、か。相当古いな」
土方はその辞書についたほこりを払ってから、テーブルに置いた。
「辞書が見つかるまではこれで我慢(がまん)しよう」
辞書がテーブルに置かれると、すき間から小型の蜘蛛(くも)が出てきた。文芸部の三人は虫嫌いなだけあって、部室内はプチパニックになっていた。
蜘蛛が姿を消すと、部室内は一応静かになった。
「まず、なんで辞書を盗んだのかだが」新島は周囲を警戒しながら話し始めた。
「辞書にはどんな利用方法があるかだ」
「そりゃあ、調べ物だろ」
「だから高田は甘いんだ。調べ物をするんだったら電子機器の方が速い。しかも、部活で唯一電子機器を所有できる新聞部は文芸部より警備が薄い。何たって、文芸部部室の隣りは職員室だからだ。なのに、わざわざ文芸部から辞書を盗んだのかだ。その理由がわかったら苦労はしない。まずは辞書の調べ物以外の使い道を考える必要があるんだ」
「なるほどな」
「私からも一ついいか?」
「ああ」
「辞書の他の使い道なら、何かの台にするとか」
「うーん? 今のところ結論は出せないな。まずは盗んだ理由と犯人でも考えてみよう」
高田は本棚の本を一冊取り出してからパラパラめくった。それから、話し始めた。
「パラパラ漫画を書くために辞書を盗んだんじゃないのか? つまり、犯人はアニメーション制作部」
「アニメーション制作部にはアニメを制作するための機器は揃っているはずだが?」
「だよなぁ?」
「まあ、行くだけ行って確かめておこう」
三人が部室を出ると、土方は慎重に鍵を掛けた。
アニメーション制作部はB棟三階にある。新島が扉をノックすると、扉が開いた。
「誰だ?」
「文芸部一同です」
「文芸部?」
「ちょっと、いろいろな部活の部室を見学して回っていまして...」
「なら、入っちゃって。好きに見ていいから」
「ありがとうございます」
三人は部室を見渡したが、辞書はなかった。それに加え、アニメーション制作に必要な機器は揃っていた。
そのまま三人は文芸部部室に戻った。
「俺の説は駄目だったか。振り出しに戻ったぁ!」
「高田の説はいつも駄目だからな。七不思議の七番目の時も粉塵爆発という説で大失敗をしただろ」
「新島はよく覚えてるな。もう一年も前の話だが」
「一年か。結構早かったな」
「来年は長くなるぞ」
「何でだ?」
「七不思議はあと四つは残っているからだ」
すると、土方は寂しそうに口を開いた。
「来年、か。私はもういないんだな」
「ほらっ! 元気出すっす。いつでも会えるっすよ、俺たちなら」
「それもそうだな」
土方は悲しそうにため息をついた。
「先輩は辞書の他の使い道について、台になると言っていたがそれだと犯人は誰だと思う?」
「わからないな」
「なら、先輩が考える犯人は?」
「図書委員だ」
「何でだ?」
「本棚の空(あ)いたすき間を埋めるために厚い本を入れたい。そこで辞書に絞ってから文芸部から盗んだんだ」
「一理ある、か?」
「なら、まずは図書室に行こう」
新島はかなり頻繁に図書室に行ってるな、と考えながら図書室に向かった。
「失礼します」
中にいた図書委員は七不思議の二番目の時にもいた人物だった。
「また君たちか」
「どうも」
「今回の用件は?」
「辞書を探していまして...」
「好きに本棚を探したまえ」
「ありがとうございます」
三人は本棚を見た。
「先輩」
「どうした?」
「先輩の辞書には何か特徴はなかったか? ないなら、先輩の辞書かどうかわからないから」
「ああ、最後のページに私の名前が書いてある」
「わかった」
図書室の本棚を調べたが、そのうち辞書は三冊。土方の名前が記入されているのはなかった。
「どいつが盗んだんだ?」
「フランスだろ?」
「高田! 今は洒落(しゃれ)を言う時じゃない。先輩の辞書が消えたんだ」
「ヨーロッパの方が良かったか?」
「俺はイギリスだけが好きだ」
「お前、絶対王政を受け入れるのか!」
「トマス・ホッブズの『リヴァイアサン』では、絶対王政を正しいとしている。民は国から守られるという契約をしているのだがら、言うことを聞く必要がある」
「自然状態が云々の奴だろ?」
「そうだ」
「って! 何で絶対王政の話しになってんだ」
「高田のつまらん洒落のせいだろ」
「いや、面白かっただろ?」
「そういうことにしておこう」
新島は辞書を本棚に戻してから、図書室を出た。二人もそれに続いた。
部室に戻ると、推理を続けた。だが、中々話し合いが進まないので土方がカバンからみかんを取りだした。
「まあ、これでも食べてからにしよう。思考停止したら、まずは甘いものだ。親が親戚から大量にもらってな。食べきれなさそうだったから文芸部の皆で食べようと思って持ってきたんだ。まあ、食べてみてよ」
土方はみかんをテーブルに乗せた。高田はみかんを手に取ってから、また洒落を言った。
「思考停止って言ったら、中国の秦(しん)の始皇帝(しこうてい)っすね。ほら、秦国の初代皇帝だった奴だよ」
「ああ、いたな。秦の始皇帝か。俺は外国史だと三国志(さんごくし)くらいしか好きになれん。ってか、高田つまんねーな。この部屋の温度が二度か三度は下がったぞ。絶対零度だ。夏だったらクーラーを使わなくてもいいな」
「そうか? 私はいいと思うが?」
「先輩も高田もセンスないのかよ。それとも温度計すら持っていないのか?」
「なあ、新島。三国志の『志(し)』は何で歴史の『史(し)』じゃないんだ?」
「知らねーよ」
すると、高田が新島の発言と全然繫がっていない話しを始めた。
「そういえば、『秦(しん)』って名前いたよな。ほら、二学年にも一人いたよ」
「ああ、あれか。秦の始皇帝の末裔を自称してるんだ。『秦氏(はたし)』って言ったと思うが? 名前の場合は『秦(しん)』以外だと『秦(はた)』だな。百済(くだら)らへんの渡来人(とらいじん)だ」
補足しよう。秦氏(はたし)には『秦氏(はたうじ)』と言う読み方もあるのだ。
「へぇー。新島は俺より結構知ってるな。こう言うのを無駄な話し、つまり雑学って言うのか」
「普通だよ。...ってか、無駄な話しとは酷いな。俺でも傷つく時は傷つくんだからな。お前、口悪いな」
「そうか? 他に無駄な話しはないのか」
「なら──」
新島はみかんを手に取ってから、高田に投げた。高田はそれを受け取った。
「何だよ新島...。びっくりするだろ」
「そのみかん、房は九個」
「? 房?」
「中に入ってる三日月型の奴だよ」
「それが九個? 嘘じゃないだろうな?」
「まあ、確かめてみろよ。本当だから」
高田は皮をむいて確かめた。
「本当だ、九個だ!」
「だろ? みかんのヘタを外したら出てくる凹(へこ)みの中に種みたいなのが並んである。その数を数えたら房の数になる」
「そうなのか。どこで知った?」
「ガキの頃に読んだ絵本に書いてあったのを覚えているだけだ」
「絵本?」
「そう。タイトルは忘れた。だけど、男の子数人とみかんの木が出てきていたと思う。わかるなら、探したい。ちょっと気になってるんだ」
「そうなのか」
高田はみかんを食べた。
「これうまいな」
「私もそう思うよ。親戚の自信作らしい」
「部長の親戚はミカン農家なんすか?」
「そうだ。なんか、みかんとか梨とかを育てているらしい」
「そうなんすね」
「ああ、そうなんだよ」
「あのさ」新島は話し始めた。「辞書を盗んだのは、辞書を最近無くした人じゃないか? 確か、書道部が最近辞書を無くしてただろ?」
「なるほどな」
三人はまた部室を出た。それから書道部に向かった。
「書道部が盗んだとすると、文芸部部室の隣りの空き部屋が文芸部部室に繫がっていると知っていたはずだが...。
先輩!」
「どうした、新島?」
「文芸部部室の隣りの空き部屋が文芸部部室に繫がっていると知っていそうな人物はいるか?」
「まず、あの空き部屋の存在を知っている人物は数少ない。職員すら知らない者もいるだろう」
「なるほど。文芸部部員でないと生徒だったら知り得ないと言うわけか」
書道部の前に到着した新島は書道部部室の扉をノックすると、開くより先に「誰だ?」という声が聞こえた。
「文芸です」
「駄目だ。今は入れない」
新島が部の名前を言った途端に、書道部は早く帰ってほしいオーラを出した。三人は仕方なく部室に戻った。
高田は、絶対に書道部が盗んだんだと言った。
「高田は何で書道部が盗んだと断言できる?」
「お前が聞くか? 書道部が怪しいって言ったのはお前だろ」
「何で断言できる?」
「いや、文芸部って言ったら帰ってほしそうなオーラ出したじゃん!」
「まあ、そうだな」
「絶対に書道部だよ」
「だが、書道部が盗んだという証拠はない」
「だよな...証拠を見つけよう」
「いや、その必要はないはずだ......」
新島は少し頭を働かせていた。部室内を歩き回り、顎に手を当てた。それから、椅子に座ると本棚を見つめた。右手を顔の前に持ってくると、頭を掻きむしった。目を閉じてみると、新島の頭の中で考えがまとまったようだった。
「なるほど。三年生の階に行こう」
「何でだ?」
「それは、書道部が俺たちを毛嫌いした理由だ」
「ほお?」
新島は三年生の教室がある二階に向かった。二階の三学年職員室を覗くと、ある一人の職員がいた。
「先輩、あの職員の名前は?」
「確か高岸(たかぎし)だ」
「そう、高岸職員。担当は生徒指導学年主任」
「ああ、そうだ」
「で、高岸の下の名前が重要だ」
「下の名前は...」
土方は思い出すような仕草をした。それから、口を開いた。
「高岸......文芸(ぶんげい)だ」
「そう。文芸部と言わずに俺は『文芸』と言った。だから、書道部は高岸が来たと思い込んだ」
新島は扉を閉めてから、続けた。
「では、なぜ書道部は部室に入れてくれなかったか。書道部に来る八坂中学校の職員は高岸のみだと聞いた。他に来るのは必ず生徒。生徒はなぜ書道部に来るのか。
俺が扉をノックしたら、窓が開く音がした。つまり──」
土方が代弁して「煙草か」と答えた。
「正解。そう、書道部では煙草を吸いたい生徒が集まっていたんだ」
「だから、職員の高岸が来たと思い込んで話しすら聞いてもらえなかったというわけだ。それで、煙草を吸うために集まったんだから辞書は盗まないと思うんだが、二人はどう思うかな?」
「書道部は犯人ではないだろ?」
「なら、また振り出しだか」
「そうだな」
三人はまた部室に戻った。
三人は部室のある七階に上がると、職員室前に職員がいることに気づいた。右手に本を持っていて、三人とすれ違って階段を降りていった。
「何だ? あの職員......」
新島が気になって階段を見ていると、土方が話し始めた。
「あの職員な、七不思議の七番目でカイロに着火した片岡が今指導してる鏡(かがみ)って職員だよ。片岡は八坂中学校に来てもう一年だからな」
「なるほど。だから、あの職員には片岡と似たように偉そうだったのか」
「ああ。私の偏見だが鏡もまた何かやらかすかもしれない」
「だな」
部室に入ると、土方はテーブルに置かれているみかんを一つ口に運んだ。
「そもそも、辞書を盗む理由は何だろうな」と高田が言うと、椅子に座りながら新島は反応した。
「それがわかったら苦労はないよな」
「そうだな」
新島もみかんを手に取ると、皮をむいた。
「みかんがみずみずしいな」
「どれ。俺も一口......」
高田もみかんを口に放り込んだ。
「まあ、みかんは水だけどな」
「そうだな」
新島はみかんを食べ終えると、皮を持って椅子から立ち上がった。部室の隅にあるゴミ箱に歩いて行くと、皮をゴミ箱に入れた。それから、また椅子に向かって歩いて腰を下ろした。
「辞書を探すにしても手掛かりがなさすぎるんだよ」
「だよな」
三人は沈黙して、考え始めた。
それから一時間ほどして、高田が話し始めた。
「この沈黙が超つまんないんだけど? ってか、新島はまだ閃きがないのかよ?」
「ちょっと待ってろ。情報が少なさ過ぎるんだよ」
「情報ね。...そういえば、隣りの職員室に新しい本棚が入ったらしいよ。これ、新情報な。多分生徒なら誰も知らない」
「そういう情報じゃないんだよ」
「そうなのか?」
「ああ、そうなんだよ」
「でな、その本棚には教科書とか並べるらしいけど、並べる担当が鏡なんだとよ」
「あの片岡の弟子か」
「ああ」
「無駄な情報だな」
「そうか?」
「もういい」
新島は立ち上がると、隣りの空き部屋に入った。机を調べて、壁や床を丁寧に確かめた。だが、何も出てこないから廊下に出ると扉を調べ始めた。すると、扉の上のプレートに紙が差し込まれていることに気づいた。その紙を手に取ってから裏返すと
『旧図書蔵書室』
と書かれていた。新島はその紙を持って部室に入り、二人に見せた。
「あの空き部屋が前の図書蔵書室だったのか。図書室と繫がっている今の図書蔵書室の部屋が数年前に図書蔵書室になったというのは有名だが、前の図書蔵書室の部屋は知られていなかった...。だが、まさか文芸部の隣りの空き部屋が旧図書蔵書室だっとというわけか。ってか、新島!」
「どうしたんだよ、高田」
「その情報、辞書の紛失と関係あるか?」
「高田の言っていた職員室に新しい本棚が来たっていうよりはましだろ? あの空き部屋を調べてたらその紙が出てきたんだからしょうがない」
「まあ、そうだな」
新島は椅子に座ると、目を閉じた。それから自分の頭を叩くと、本棚を見た。
「高田の無駄な話しも、俺の無駄な発見も意味があったようだよ」
「つまり、わかったのか!?」
「よくわかった」
「犯人は誰なんだ?」
「行こうか」
新島は部室を出た。二人も後を追った。新島は隣りの職員室の扉をノックした。すると、扉が開いた。
「どうした?」
「職員室の本棚の中に月始社の最新版の辞書はありませんか?」
「確か、あるよ」
その職員は本棚から辞書を持って、戻ってきた。
「最後のページに土方波と書いてあるはずです」
「ああ、書いてあるよ」
「それは先輩のです。返してください」
「ほらよ」
新島は辞書を受け取って戻ってきた。高田は驚いていた。
「なんで職員に?」
「簡単だ。まず、鏡とかいう職員は右手に本を持っていて。その本は新潮文庫のもので、天アンカットになっているはずの本だ」
「なんだ? 天アンカット?」
「私は知っている。わざと天を裁断しないでいる奴だろ? 本の上の側面がデコボコしてるんだ」
「そう。天アンカットは本を美しくみせるものだ。だが、鏡が持っていたのは天アンカットがあるはずの本だけど天アンカットのデコボコはなかった。ヤスリで削って平らにしたんだろう。つまり、性格は几帳面。
几帳面な鏡が本棚に本を並べるのを担当していた。そして、少し本が足りなくて本棚の一部にすき間ができたんだろう。それを埋めるために厚い本が必要だった。そこで鏡は職員室の地図を見た。おそらく、職員用の地図だから空き部屋に旧図書蔵書室と記入されていたのだろう。で、鏡はそこに本があると思って空き部屋に入った。そこでまた扉を見つけた。その扉を開けると本棚があり、辞書を取っていったんだろう。まあ、勘違いか魔が差したかのどちらかだ」
「なるほど」
「よくわかったな」
「それほどじゃない。実に簡単なパズルのピースがちゃんと集まっただけだ。俺はそれを組み立てたにすぎない」
新島は土方に辞書を渡した。土方はそれを受け取ると、三人で部室に戻った。高田は何か用事があるようで、カバンをつかむと部室を出た。
「にしても」高田は独り言を走りながらつぶやいた。「これで、部長とやる最後の謎解きなのか。味気ないな」
高田は家の鍵をカバンから出そうとすると、鍵を部室に忘れてきたことに気づいた。急いで階段を駆け上がって部室の前まで戻った。すると、話し声が聞こえてきた。盗み聞きは悪いことだとわかっていても、気になるようだ。
「先輩...」
「ん? どうしたんだ」
「これからも一緒にいてくれ」
「何当たり前なこと言ってるんだ?」
「やっぱり言わないと駄目か」
「何をだ?」
「卒業しても、俺と一緒にいてくれないか?」
高田の体は固まったが、尚も盗み聞きを続けた。
「新島......」
「なんだ?」
「一緒にって、どういう......」
「そのままだ。つ、付き合わないかなぁ......なんて」
「......」
土方は、眉を寄せながら答えた。
「私、卒業したら横浜に引っ越しするんだ」
「......!」
「親の都合でね。だから、付き合えないんだ」
「え、遠距離でも俺は──」
「冗談はそこまでにしろ。まったく」
土方が扉に近づいたので、高田は急いで階段まで走った。
その後、屋上で部活動時間が終わるまで待ち、二人が帰ってから鍵を回収した。
高田は昨日のことが頭から離れないまま、学校に登校した。そのままボーッと過ごしているといつの間にか放課後になっていた。
「高田、大丈夫か?」
無神経にも新島は高田に話しかけてきた。
「ああ、大丈夫だよ」
「そうか?」
「それより、部室に行こうか」
「だな」
二人が教室を出た。
「なあ、新島」
「どうした?」
「お前、好きな人はいるか?」
「急だな......」
「いいから、答えろ」
「好きな人はいない」
「本当か?」
「ああ。少なくとも、告白してフラれた」
「誰に告白したんだ?」
「言うのか?」
「言わなくてもいい」
「そうか」
「ああ」
部室に入ると、土方はいなかった。
「先輩はいないな」
「そうだな」
二人はそれぞれ椅子に座って本を読み始めた。と言っても、高田は新島と土方の関係をあれこれ考えていた。
「二人とも、来ていたか」
「あ、部長」
「すまん。ちょっと、卒業のあれこれで遅れてしまった」
土方はテーブルと椅子を動かしてから、椅子に腰を下ろした。
「これから、私が卒業してからの文芸部活動形式を考える」
「会議するんすか?」
「そうだ。私が卒業しても大丈夫なようにね」
高田と新島も椅子に着席して、お互いの顔を見合った
「高田はどうする?」
「うーん? 俺は他の部、七不思議研究部とかと協力して解決したほうがいいんだが...」
新島と高田が話し合っている中、土方は文芸部の過去の活動記録に目を通していた。
「多分、他とは協力しない方がいい」
「何でだ?」
「どこで教職員が聞いているかわからない」
「なるほど」
「で、入学式の時の勧誘だが──」
「無理やり勧誘するか?」
「それは強引だ。部の評判は落としたくない」
「なら、どうする?」
「簡単だ。勧誘はしない」
「はぁ!? だったら、新入部員はこないぞ」
「来ない。だが、いい方法がある」
「いい方法?」
新島はニヤリと笑みをこぼしながら話した。
「モスキート音は知ってるか?」
「知っている。二十歳後半からはあまり聞こえなくなる音だろ?」
「そう。超高周波の音で、歳を重ねると徐々に聞こえなくなる。八坂中学校の教職員は若い奴は少ない。平均年齢三十代前後だろう。つまり、教職員には聞こえないモスキート音を出して、モスキート音が聞こえる新入生がうるさくて寄ってくるというわけだ。そしたら、文芸部を新入生に広く知ってもらえる」
「ちょっと、それも強引だな。それに、新入生に悪評が広がって文芸部に入ってもらえなくなるぞ」
「だが、いい方法だろ?」
「やり方がクズだ」
「いい方法じゃないか」
「酷い方法だ」
「じゃあ、お前は何か他に案はあるのかよ」
「ないね」
「駄目じゃねーか」
土方は活動記録から目を離して、口をはさんだ。
「まずは新入生が通るルートに広告を貼るくらいはしよう」
ということで、三人は新入生が通るルートを確認することにした。
新入生は体育館で入学式を終えると、校舎に向かう。校舎では待ち構えていた勧誘隊が新入生を無理矢理獲得する。だが、最近ではそれすら禁止され、勧誘方法は広告と二者での話し合い程度だ。二者での話し合いでは部員数が三人の文芸部では不利なため、広告に力を入れるのである。
だから、三人は新入生が通るであろう校舎のルートを確認するのだ。
「ここは多分通るな」
「そうだな」
「この道は穴場だぞ」
「なら、この壁に貼ろうか」
「海の絵に波浪(はろう)が起きているポスターも貼ろう」
「高田、つまんないぞ」
「ひ、酷い!」
「波浪と貼ろうはよかった。あとはハローとハロウィンがいいな」
「おお! その手があったか。新島は天才だな」
「そうか?」
という具合で確認作業は進み、次は階段の踊り場の掲示板を確かめるのみだ。
踊り場の名の由来は、昔ドレスを着たお姫様が王宮の階段で走る際に踊り場で急な方向転換をする。それが踊っているように見えたから、踊り場と命名されたようだ。
無駄な話しはいいとして、三人は壁を見ながら階段を登っている。すると、段を踏み外す者もいて、それが土方だった。
「あっ!」
足下から体制が崩れて、真っ逆さまに倒れそうになる。
「先輩!」
新島はすぐに反応して土方の体を引っ張った。弾みで彼の体制が逆に崩れ、とあるクリニックのコマーシャルのような、手足をまっすぐと伸ばした状態で階段を転げ落ちていった。
「新島!」
土方はすぐに階段を駆け下りて、新島の元に行った。新島は頭から流血した。血がどんどん流れ出てきて、周囲は血の海と化した。
すると、声を聞いたのか職員が駆けつけてきた。その職員は、現場を見てすぐに新島を保健室に運んだ。高田と土方は保健室には入れずに、部室に戻った。
「部長!」
「どうした?」
高田は躊躇(ためら)ったが、口を開いた。
「新島から告白を受けたっすよね?」
「なんだ、やっぱり聞いていたのか」
「......!」
「多分、新島が聞いていたのはシナリオを読み上げているときだよ」
「シナリオ?」
「演劇部のシナリオだよ」
「なんで、演劇部のシナリオを?」
「その時、演劇部の人達が来ていたんだけど、劇のシナリオについてアドバイスが欲しいらしかったんだ。だから、どこが悪いかを私と新島で演じて、説明していたんだ」
「演劇部がなんで文芸部に?」
「演劇部は文芸部のお陰で、屋上で劇の練習を続けられるからだろ」
「ああ、ポルターガイストの時の......」
高田は納得した。
次の日。高田は学校が終わると、急いで部室に行った。
「大変っす!」
「どうしたんだ、高田」
「新島、入院した!」
「あいつが!?」
「千葉県済生会八坂市病院に入院したらしいっす」
「病室はわかるか?」
「わかるっす」
「行こうっ!」
二人は済生会病院に向かった。八坂中学校前のバスから三十分程度で行けるのだ。
「えっと、新島の病室は二階の256っす」
「わかった」
土方と高田は二階まで階段で上がって、ナースステーションの前を通り過ぎると256室が現れる。そこは個室で、高田がノックした。
「はい、とうぞ」
高田が扉を開けた。新島はベットから起き上がった状態で座っていた。
「なんだ、高田と先輩か」
「なんだとはなんだ」
「お前ら、カーテンの中に隠れろ」新島は扉を睨みながら言った。
「なんでだ?」
「親父が来るんだ」
新島の威圧感に負けて、二人はカーテンに隠れた。
それからすぐに扉が開いて、男が入ってきた。顎髭を生やしている割りには中肉中背だ。だが、サングラスの奥にある眼は冷徹だった。
「真......中学二年生にまでなって、私に迷惑をかけるとは。一人暮らしは君には向いていないようだね」
「親父と一緒には暮らしたくない」
「親には敬語を使え」
「お前は親じゃない」
「血は繫がっていなくとも、立派な親子じゃないか」
「親じゃない」
「まあ、そういうことにしておく」
親父はサングラスを外して胸ポケットに入れた。
「今日は話しがあるからわざわざ来たんだ」
「......」
「戻ってこい」
「どこにだ?」
「我が家だ」
「我が家? あそこに親父の居場所はない」
「君の居場所もないがね」
「失せろ」
「おっと? 言葉遣いは気をつけろ」
「......」
「考えておけ」
親父は立ち上がって、病室を出て行った。
「二人とも、出てきていいよ」
「......」
「なんだ、どういうことだ新島?」
「俺は今、一人暮らしをしている。理由は簡単だ。母が今来た義父と再婚した。俺は義父が嫌いだから逃げてきた」
「なんで嫌いなんだ?」
「母を殺したんだ」
「殺した?」
「物理的にではないんだ......。あの義父は母から金を巻き上げていた。金を素直に出さなければ殴ることもあった。それで母は、俺を残して自殺した」
「だが、なんで義父は新島を連れ戻しに?」
「あいつは小説を書いている。以前、ゴーストライターをやっていたんだ」
「なるほど」
新島は頭を押さえた。
「頭、大丈夫か?」
「それだけ聞くと、俺が頭おかしいみたいだろ?」
「真面目に聞いてるんだ。だが、まあ一理あるな」
「頭は、一応大丈夫だ」
「そうか、なら良かった。ほら、お見舞いだ」
「ああ、ありがとう」
新島は高田から漫画本を受け取った。
「じゃあ、俺は帰るな」
「わかった。退院は三日後だ」
「オーケー! 覚えとく」
高田は病室を出た。土方は椅子に座って話し始めた。
「昨日のことは演劇部の劇のシナリオだと伝えた」
「違う。その後のことを高田は聞いていたか?」
「多分聞いていない」
「......なら大丈夫か」
「お兄さんのことは、高田には言えないな」
「ああ。俺が義父を嫌う本当の理由に直結するからな」
「あの男は最低だ」
「俺が生きているのは、先輩のお母さんのお陰だ」
「新島がお礼を言っていたことは、母に伝えておこう」
「お願いするよ」
土方は椅子から立ち上がってカバンを肩にかけた。
「私も帰るよ」
「ああ、さよなら」
「頑張れよ」
土方は病室の扉を開けた。
次の日の放課後。高田は部室に行くか迷った。土方と二人だと気まずいというのが高田の考えだった。教室から高田以外の人が消えても、高田だけは椅子に腰掛けて考え込んでいた。
結局、行くしかない。高田は椅子から立ち上がって文芸部部室に向かった。
二年三組教室から文芸部部室に行くまでは、以外と時間がかかる。その間は、普段なら新島と話しながら行くからあっという間だが、独りだと寂しく感じられる。放課後だけあって、周囲も静かだ。
大切な物は失ってから大切だと気づく。どこかで聞いたような言葉だが、まったくその通りである。
さて。高田は腹をくくって部室の扉を右にスライドさせた。そして、右足を踏み込んだ。途端、部室の中に景色が移り変わった。そこには、当然土方がいた。ソファで横になっていた。
「高田。今日は遅かったな」
「そうっすね。......新島がいないと、寂しいんすね」
「ああ、まったくだ。新島の存在価値を思い知ったよ」
「......」
高田はソファの隣りにある椅子に座った。
「もうすぐ、私は卒業だな」
「ですね」
「引っ越しはしないから安心しろ」
「じゃあ、演劇部のシナリオは嘘じゃなかったんすね!」
「私が嘘をつくように見えるかな?」
「見えなくもないっすよ」
「そうか?」
高田は、土方の顔色をうかがいながら安心した。どうやら、土方の持つオーラが部室の空気を和(なご)ませているようだ。
「部長の将来の夢は何だったんすか?」
「幼稚園の頃は、キャビンアテンダントだな」
「過敏なペンダント?」
「何が過敏なんだ?」
「感覚?」
「感覚過敏かっ! 私が言ったのは客室乗務員だよ」
「今も過敏なペンダントになりたいんすか?」
「いや、やだな。私はそこそこの会社の会社員になるよ」
「なるほど......。まあ、数学が出来ないと駄目っすね」
「そうだな」
高田は数学、という単語が引っかかったようで、頭に片手を当てた。
「今日の数学、ほとんど寝ていたんすけど──」
「寝ていたのか!?」
「まあ、そうっす」
「駄目じゃないか」
「で、最後に目を覚まして黒板を見たら、5p+79=19
の式が大きく書かれてて、意味がわかんないんすよ」
「数学教師は八代か」
「そうっす」
「だったら、p=-12というわけだ」
「5p+79=19の下に7p+29=11なんす。pが-12だったら、7p+29=11が成立しない......」
「確かにそうだな。つまり、その二つの式は見間違えたかしたんだろう。寝起きだったんだろ?」
「そうなんすかね......」
高田は紙に二つの式を書き出した。
5p+79=19
7p+29=11
「見間違えたような気がしないんすけど」
「なら、厄介だな。......新島なら簡単なんだろうが、あいにく学校にはスマートフォンその他電子機器持ち込み厳禁なんだ」
「じゃあ、俺と部長の二人で答えを出す必要があるっす」
「そのようだ」
二人は紙に書き出された式を見つめた。それから、土方は腕を組んだ。
「難しいな」
「そうっすね。p=?で、こんがらがるっす!」
「笑顔で言うな」
「はいっ!」
「眉間に皺(しわ)をよせるんじゃない」
「はいっ!」
「よ、ろ、し、い」
「なんで、式にαとかχじゃなくてpを使ったんでしょうか?」
「八代に聞いてみるか?」
「いや、俺が寝ていたことがバレちゃうっす」
「すでにバレてるんじゃないか?」
「そうは考えたくないっすね」
「そうか......。非常に難しいな」
「今日の帰りに、済生会病院に寄って新島に聞いてみるっすか?」
「そうしようか?」
部活が活動できる六時を過ぎると、放送室から音楽が流れる。その音楽が流れると、部活はその場で切り上げて、帰路につく。
二人も音楽を聴くと、帰りの支度を始めた。それからバス停で済生会病院行きのバスを待って、バスに乗りこんだ。
土方は新島が入院する個室をノックした。
「どうぞ」
「失礼する」
「先輩と高田か」
高田は胸ポケットから、二つの式を書き出した紙を出した。
「実は、意味不明な式を見つけたんで、新島に解いてもらおうと」
「数学は苦手だぞ」
「まあ、見てみろ」
新島は高田から紙を受け取った。
「この紙に最初から書かれていたのか?」
「いや、俺が見た式をその紙に書いただけだ」
「なら、簡単だ。おそらく、5p+79=19の79の9と7p+29=11の29の9はQの小文字だろ。つまり、『q』だ。5p、7pのpの次はqだからな。発音も『9』『q』は同じだから間違えて当然だ。正しくは
5p+7q=19
7p+2q=11
p=1
q=2
だろう」
「ああ、なるほどな」
「な? 簡単だろ?」
「本当に簡単だったな」
新島は高田に紙を返した。
「で」新島が言った。「先輩と高田は俺に他に用はあるか?」
「俺たちがお前の見舞いに来るのに、口実はいるのか?」
「くわしいことはわからんが、いらないんじゃないか?」
「何だよっ! 用はないが、何か話そうじゃないか」
「そうだな」
新島は頭を左手でポンポンと叩いた。高田は何かを思い出したように、カバンを開いて本を取りだした。
「そうそう。新島が読んでいた探偵ガリレオシリーズの二冊目『予知夢』を読んでみたが、面白かったよ! 『騒霊(さわ)ぐ』は本当にポルターガイストだったな。日常の謎っぽいが、わざわざ人を殺しちゃってるな」
「人を殺さないと、刑事で語り部の草薙が動けないからだろう。だが、面白かっただろ? 俺は『予知夢』だと『絞殺(しめ)る』と『予知(し)る』が好きだ。どのキャラクターが好きなんだ?」
「草薙俊介だよ」
「草薙俊介?」
「そうだよ」
新島は腕を組んだ。それから、口を開いた。
「お前、『探偵ガリレオ』は読んでないのか。ドラマも見ていないね。高田のお父さんは推理小説好きなのか? その本はお父さんのものだろ?」
「なんでわかったんだ!」
「草薙俊介という名前だ。『予知夢』の単行本と文庫本の初期では草薙俊介と誤記されているんだが、それ以降は草薙俊平と正しく直されている。高田が今持っている『予知夢』は大きさから考えて単行本だ。他の本、『探偵ガリレオ』では草薙俊平とされている。今売っている『予知夢』を買えば、草薙俊平と表記されているだろう。高田が読んだ『予知夢』は家にあった物だ。中古で高田がわざわざ買うとは思えない。高田の家は高田以外にはお母さんとお父さんの二人だけ。高田が以前言っていたが、お前はお母さんに似たそうだ。高田は基本的に推理小説は読まないから、お父さんが推理小説好きで、『予知夢』の単行本を持っていたということ。ドラマでは草薙俊平と表記されている。
まとめると、高田はドラマを見ていない。『探偵ガリレオ』を読まずに単行本の『予知夢』を読んだこと。お父さんが推理小説好きなこと(これはこじつけがましい)。その本がお父さんのもの。という点だね」
「あの一言でそこまでわかったのか」
「まあ、当然だよ。俺が好きなキャラクターは湯川学だよ」
「大体、そうなるだろうな」
「読んでいくと、登場人物も意外と出てくるぞ」
「わかった。読んでみよう」
高田はカバンに『予知夢』を突っ込みなから話しを続けた。
「新島の推理力はどこから湧いてくるんだ?」
「言っただろ? 親父のゴーストライターをやっていたって」
「親父さんは推理小説家なのか?」
「さあな」
「何だよっ!」
「まあまあ」
新島は自分の顎を左手でなでた。
「新島が退院したら、俺達三人でまた遊ぼう」
「俺が退院するのは明後日(あさって)。だが、もうすぐ先輩は卒業」
「あと一週間で卒業式だったな」
「そのようだ。見舞いに来た先公がそう言っていた」
「先公? 誰が来たんだ?」
「担任の八代だ」
「なぁるほど」
土方は納得して頭を叩いた。高田は腕を組んで話し始めた。
「実は......色々調べた結果、七不思議の三番目が判明した」
新島と土方は声をそろえて、何だって、と言った。
「三番目も二番目同様に怪奇現象に近い。ただ、三番目は様々な証言を基礎に構成された話しなんだ。つまり、信憑性(しんぴょうせい)に欠ける」
「話してみろ」
「わかった。......と言っても、長い話しではないんだ。単純に、窓ガラスが勝手に割れるというものだ。どのような状況、条件がそろって発生するかわからない。故に、八坂中学校がどのような意図で窓ガラスを割ったか、またどのようなトリックを用いていたのかは今のところ不明だ。まあ、内容が少しわかっただけでも奇跡に近い。何せ、最近は窓ガラスが割れることはないらしい。廃部になったとある部の活動記録や、元八坂中学校生徒の兄や姉から話しを聞いた現八坂中学校生徒の弟や妹の証言が残るくらいだ」
「なるほど。伝聞された話しを伝聞したわけだから信憑性が低いわけだ」
「まったくその通りだよ」
「窓ガラスが以前割れた場所はわかるのか?」
「不明だ。だが、八坂中学校創設から現在まで七不思議以外にも窓ガラスが割れることはあった。それらをひっくるめて、窓ガラスが割れた場所はわかった」
「つまり、いままで割れた窓ガラスの場所はわかるが、そのうちに紛れ込んでいる七不思議が原因で窓ガラスが割れた時の場所までは判らないということか?」
「ああ、そういうことだ」
新島は病人ながらも、一人前に頭をフル回転させた。
「いままで割れた窓ガラスの場所から、七不思議が原因で窓ガラスが割れた場所を特定しよう」
「どうやって?」
「それは知らんが、やってみてからじゃないとわからないだろ?」
「まあ、そうだな」
「な?」
土方は、椅子から立ち上がって新島の前に立った。
「では、七不思議の三番目の解決は君たちにまかせるとする。私は明後日、八坂中学校生徒ではなくなるからな」
「行く高校は決めているのか?」
「新島はかなり無粋なことを聞くんだな。もちろん、八坂高等学校だよ」
「なら、高田と一緒に八坂高等学校を目指すよ」
「待っている。私がいない一年間で、文芸部がどう変わったか、聞かせてもらうとする」
彼女は白い歯を出して無邪気に笑い、新島の頭をなでた。
──二日後──
二日後。つまり、新島真が退院する日だ。頭の流血した部分にガーゼを貼って、朝から新島が教室に入ってきた。だが、新島の交流範囲はあまり広くない上に深くもない。つまり、歓声は起こらない。逆に、教室の空気が冷めた。病み上がりにはつらい仕打ちでもある。所詮、中学校とはそんなところだ。
「新島!」
ただ唯一、新島に声をかけた人物がいる。当然、高田弘だ。
「どうした、高田?」
「いや、退院してすぐだから声をかけてみた」
「ああ、そのことか。体は大丈夫だ」
「なら、よかったな」
「そうか?」
高田はため息をついてから、「実は」と続けた。
「お前と部長の病室での会話を盗み聞きしてしまったんだ」
「ほお? どんな会話だった?」
「新島が親父さんを嫌いな本当の理由だ」
新島は眉間を親指と人差し指で押さえた。
「一番聴かれてはまずいところを聞いたようだな」
「やっぱりそうか......。悪かったな。だが、少し気になって」
「その話しをするには、先輩にも許可がいるし、俺の存在価値を著しく低下させる」
「存在価値?」
「俺がこの世に存在していい理由がなくなる」
「それは、ひどいことを聞いてしまった」
「大丈夫だ。いずれ、話そうとは思っていたんだ」
「......」
新島はガーゼを触った。
「来週にでも三人で集まって話そうか」
「わ、わかった」
高田は、自分の席に向かった。新島も自分の席に向かい、カバンを下ろした。
同日の放課後。新島は頭を押さえながら高田の席に向かった。
「部活行くか?」
「うおっ! 新島か」
「何だよ......少し傷つくぞ」
「......ああ、すまん。部活は行くぞ」
「そうか。良かったよ」
新島と高田は教室を出て、部室に向かった。部室に入ると、当然のように土方がいる。
「やあ、二人とも」
「先輩、俺が生まれた理由を高田に話したい」
「......そろそろとは思っていたが、来たか」
「来週に、という予定だったが、卒業式が控えている。そこで、提案だ。今日、ファミリーレストランにでも寄って話すのはどうだろう?」
「人に聞かれてはまずいことだ」
「まあ、確かにそうだな......。なら、うちに来るか?」
「新島の家には、誰もいなかったな」
「ああ」
「なら、決まりだ。高田。新島の家で話そう」
「わ、わかったっす」
新島は椅子を引き寄せて座った。
「高田も座れよ」
「わかった」
高田は新島の隣りに椅子を置いた。
「稲穂祭以外」新島は本棚から文集を手に取りながら言った「文芸部には正式な活動がないな。稲穂祭は楽しかった」
「そうか? 七不思議の一番目と予言者に翻弄されたからな」
「鈴木真美の件か」
新島は文集を本棚に戻した。
いつも通りの場合、新島だけが三人の中で一人だけ帰る方向が違う。だが、今日は新島の家に用があるのだ。
六時に下校のチャイムが鳴り響き、三人は帰り支度を始めた。そして、正門をくぐると一同は右に曲がった。
「新島の家って遠い?」
「学校から高田の家までの距離より近いぞ」
「本当に近いのか?」
「ああ。三組の教室の前の廊下の窓からうちのマンションが見えるからな」
「『の』が多いな」
「いや、マンション近いだろ?」
「え? もっかい言って」
「高田、ふざけんなよ」
高田は腹を押さえてゲラゲラ笑った。
「笑ってる場合じゃねえ」
「新島の秘密を聞きに行くんだもんな」
尚も高田は笑っていた。
「先輩からも高田に何か言ってくださいよ」
「私もか?」
正門を右に行き、突き当たりをまた右。それから少し進むと自動販売機が見えてくる。そこを左に曲がり、最初の分かれ道を右に行くとマンションに到着する。
新島の住むマンションは学校の目の前というほど近い位置に建つ。そのマンションの206号室が新島の家だが、当然親はいない。
扉の鍵穴に鍵を差し込んで右にひねると、ロックが解除された。扉を手前に引き、中に入る。すると、玄関には赤、というより薄いオレンジに近い色の金魚が一匹だけ水槽の中を泳いでいた。
「新島! この金魚の名前は?」
「イチゴだ。去年の縁日で釣ったんだが、その縁日が九月十五日。十五日の十五でイチゴだ」
「センスないな」
「そうか?」
靴を脱いで進み、左に曲がってまっすぐ行くとリビングに出る。窓側にカウンターと窓、ベランダがあるが、そこから見える景色は薄茶色のマンションと砂利道だ。
「ちょっと待ってろ。ココアと抹茶、紅茶。どれか選べ」
「俺は抹茶!」
「私は紅茶で頼む」
「わかった」
高田が抹茶、土方が紅茶。新島はココアにした。
新島は陶器製のコップを三つ出して、そこにそれぞれ抹茶の粉末と紅茶の粉末、ココアの粉末を入れた。お湯で溶ける粉末だから、次にお湯を注ぐ必要がある。コップを三つ持つと、キッチンの横にあるウォーターサーバーに向かって、コップにお湯を入れた。
「ほら、高田」
「ああ、ありがと」
「先輩!」
「すまん」
二人は新島からコップを受け取り、椅子に座った。
「では話そうか。俺の正体を」新島はココアをすすりながら言った。
「心の準備は出来ている」高田は抹茶を口に運びながら言った。
「俺には兄がいた。今も生きていれば中学三年生、一つ年上だ。名前は誠(まこと)。長男と言うだけあって、両親は兄を溺愛した。だが、兄は心臓に爆弾を抱えていたらしい。それこそ、いつ死んでもおかしくないほどだった。不発弾よりひどいものだ。自衛隊はいないからな」新島の口元は優しく微笑んではいたが、目の奥は鋭く尖っていた。幼い頃の嫌な記憶を、怒りをおさえて懸命に思い出しているようだ。「父は兄を助けるべく、手を尽くした。だが、手術には莫大な金がかかる。闇金に手を出して、返済が滞り、殺された。父の死に母が憔悴していたら、そこにつけこんで義父が母に近寄った。再婚し、義父は新たなる手を考えた。適合する心臓すら見つかっていない現状を打破する策だ。適合する心臓を持つ人間を創る。つまり、クローンというわけだよ」
「まさか......!」高田は口を大きく開けた。
「そのまさかだ。俺が、そのクローンなんだ」
「......っ!」
「父は生前に、精子を保管していた。義父はそれを使って、体外受精を行い、適合する心臓を持つ人間を生もうとしたんだ。だが、それには少なからず医者の協力も必要だ。そこで、義父は先輩のお父さんに会いに行った。先輩のお父さんは、闇医者なんだよ」
土方はコクり、とうなずいた。
「先輩のお父さんも協力し、計画を進めた。結果、俺が生まれた。俺を育てたのは、先輩のお父さんだ。義父は、俺を育てたら、手術の時に情がわくと言って、俺を育てることを放棄した。幼い頃から俺は先輩を姉だと思っていたんだが、違ったというわけだ」新島はココアを飲み干して、コップをテーブルに置いた。「手術が行われる際は、俺は生きたまま心臓を取られる予定だった。取るのは当然、先輩のお父さんだ。だが、手術実行の十日前。兄は急に体調を崩し、死んだ。だから、俺は生きている。そして、義父が大嫌いだ。
なぜかわかっただろ? 所詮、俺は兄を生存させるために生まれた心臓の代用品に過ぎなかったんだ。その事実は、先輩のお父さんから聞かされた。十歳の時だ。齢(よわい)十歳にして、俺は生まれてきた真実を知った。その時の憎悪は忘れられないよ。俺の身内に味方は一人もいなかったんだ。実の母にすら殺されそうにもなった。わかるか? 俺の、あの時の失望? わかるわけがない......。自分がクローンだと、急に言われて受け入れられると思うか?」眉間に皺(しわ)を寄せて、歯を食いしばった。
「その......すまなかった。悪いことを聞いたな」
「大丈夫だよ。もう受け入れた過去だ。で、俺が大きくなってからの話しをしようか。
義父は小説家だった、と言ったことがあるが、まあ事実だ。プロットを考えるのはいつも、俺の役目だった。義父は高田の言うとおり、推理小説家だ。プロットを作っているうちに、雑学を知るようになった。無駄な知識が頭に入ってきた。それが、文芸部では大いに役に立ったがな。
高田。俺がクローンとして生まれてきた後で、義父が俺になんと言ったと思う?」
「さあ?」
「『正常に心臓が鼓動しているようだ』と言ったんだ。母はそれにこう答えた。『これで、息子は助かるわ』とね。俺が死ぬ、ということは頭の片隅にすらなかった。いや、息子とすら認識していなかったのだろう。だから、そのように答えたのだ。嫌気がさして、家を出た。その頃は小学校六年生だったな? あの頃は義父と母が住む家にいて、そこを出てから先輩の家に向かった。先輩の家の人達は、俺を一人の人間として扱ってくれた。だが、義父は俺が先輩の家にいることは知っているから、たまにプロットを頼みに会いに来た。会いたくもないから、俺は逃げた。で、死んだ父の持ち物であるこの家に辿り着いたんだ。俺は生まれてから、愛情を受けたことがない」
高田は、下を向いて黙った。
「重い話しをしてしまったな。すまなかった。では、空気を変えるために、何か面白いことをしようか?」
「面白い話し?」高田は首を傾げた。
新島も、面白い話しは考えていなかったらしく、眉をひそめた。
「なら、七不思議の話しがあるんだが......」土方が腕を組みながら言った。
「七不思議!」
「ああ。以前、高田が話していた、七不思議の三番目である窓ガラスが割れるあの件だ。私も調べてみたが、三番目が実行されているのは旧館らしい」
旧館、とは以前の校舎だ。木造、ではないがかなり古い。新館と繫がってはいるが、近寄る人物は希だろう。
「旧館か! あり得るな」
「だろ? だが、八坂中学校がなぜ窓ガラスを割るのか、それとそのトリックはわからない」
「なるほど」
「で、目撃者の証言があるのだが、窓ガラスが割れる前に何か音がしたらしい」
「音?」
「低く小さい音だとよ」
「低く小さい音?」
新島は腕を組んで考え込んだ。だが、すぐに顔を上げた。
「まったくわからんな」
「新島でもまだわからないか」
「情報が少ないからだろう」
「確かに、そうだな」
三人は声を出してうなった。
高田も、七不思議の三番目について情報があるようだ。手帳を取りだして、開いてから話し始めた。
「窓ガラスが割れた後、破片は全て内側に落ちるらしい」
「じゃあ」新島が言った。「外側から力が加えられたということか?」
「俺の調べた限りでは、そのようだよ」
「低く小さい音と外側からの力。なんとなくだが、何か閃きそうだ」
新島は再度思考を凝らしたが、結局閃かなかった。
その後も三人は話し合い、八時を回った頃に高田と土方は新島の家を出た。
さて。色々とぶっ飛ばして話しが進み、現在は卒業式なわけだ。決して広いとは言えない体育館で、始められた。長々と校長がつまらない話しを続けるのは、毎回恒例の生徒が嫌う行事なわけだが、今はそのつまらない行事が行われている真っ最中だった。
「──であるから、生徒皆さんがちゃんと校則を守る必要があるのです」
などと、校長の肩書きを持つ白髪の初老がほざいていた。
生徒は、校長の話しの最中は立たされることはないが飽き飽きしている。次に、卒業生の合唱が始まり、在校生が退屈になる。そんな時間が続いていると、体育館の窓ガラスが一つ、割れた。破片が外に飛び散ったようだから、内側から力がかけられたようだ。
「「キャー」」
生徒の、特に女子がそう叫んだ。それから、恐怖が伝染するかたちで、体育館内はプチパニックになった。教職員数人は原因を解明して生徒を静めるために急いで、割れた窓ガラスの周辺に近づいた。割れた窓ガラスは二階の高さに取り付けられた細い通路、ギャラリーの位置にある。はしごでギャラリーに上がるのだが、教職員がはしごからギャラリーに向かう途中で別の窓ガラスが割れた。生徒がまた騒ぎ立てる。プチパニックを超えて、パニックと呼べるレベルになった。この状態で卒業式は続けられないだろう。教頭は焦りつつも、生徒を教室に帰すことを進めた。だが、それは無意味だ。すでに、体育館の窓ガラスは全て割れてしまったのだ。
卒業式は延期された。窓ガラスを修復し、破片を回収するためだろう。来週の金曜日に卒業式が移った。卒業式延期ですぐに
放課後になり、高田は新島の席に向かった。
「七不思議の三番目が起こったな」
高田の声に新島は反応した。「だな」
「急いで部室に行って、急遽三番目を解決する必要がある。そこで、新島の頭脳が活躍するわけだ」
「俺任せかよ」
「しょうがねえだろ? ガリが無いんだ」
「また、しょうもない洒落を......」
「こういうのは得意なんだ」
「そうか。よかったな」
新島はカバンを持って、立ち上がった。
「部室行くぞ」
「新島もやる気だな」
「そりゃ、どーも」
二人は階段を上がって、部室に向かった。部室には土方がいると、二人は考えていたが思いのほかいなかった。それから、扉が開く音がして振り返ると土方が入ってきた。
「七不思議の三番目を解決しよう」土方は息を切らせながら言った。
「やっぱり、卒業式での窓ガラス破損事件は解決しないとな。だが、七不思議の三番目の高田の情報と、今回の窓ガラス破損は少し違う。破片が飛び散る方向だ」
「確かに、逆っすね」
「そして、低く小さい音もしなかった。つまり、以前の七不思議の三番目と今回の窓ガラスを割ったトリックは違うというわけだ」
「なるほどっすね。だけど、だとしたら犯人は誰でしょう?」
「だよな......」新島は眉間に親指を当てた。
「私の意見だが、犯人を探すよりトリック解明の方が優先すべきだ」
「それもそうか。だったらまず、卒業式での件から解明しようか。
内側から力が加えられたから、おそらく体育館の窓ガラスに何らかの仕掛けがあった可能性がある。例えば規模の小さい時限爆弾、とか。だが、爆発音はしなかった。別の方法があるのかわからんが、少なからず窓ガラスに細工はしただろう」
「細工って?」
「それがわかったら苦労はしないだろ」
「だよな......」
新島は椅子に腰をおろした。高田は本棚に近づき、板を外して漫画を取りだした。
「高田、漫画読むのか?」土方は腰に手を当てながら言った。
「あ、気晴らしに読むだけっすよ......?」
「そうか」
土方は毛布に包まって、ソファに座った。高田は漫画を開いて読み始めた。
少しして、新島が声を上げた。
「鈴木真美先輩に聞けばいいんじゃないか!」
「なるほど」
鈴木は軽音楽部で、作曲を任されている。しかし、最近はスランプでろくな曲が出来ない。七不思議も、八坂中学校に言及できぬまま卒業だ。自分の人生を振り返ってため息をついた。それから、五時に家に帰るために正門を出ようとしたら、見覚えのある顔が三つあった。文芸部の三人だ。
「鈴木先輩。七不思議の三番目について聞きたいことがあります」
「新島......。それに土方、高田か」
「七不思議の三番目。あなたは卒業式の事件のトリックと七不思議の三番目のトリックが違うと気づいてますよね?」
そのことか。鈴木は安堵のため息をもらした。
「もちろん、私もちゃんとその点は気づいているわ」
「なら、話しが早そうですね。情報共有しましょう」
「情報共有?」
「ええ、そうです。と言っても、こちらの差し出す情報は無いですが......」
「それは情報共有と言うのかしら? まあ、いいわ。あなたは七不思議の三番目と卒業式での事件のどちらを聞きたいの?」
「両方です」
「卒業式での事件は、私もまだ知らない。だけど、七不思議の三番目のトリックのヒントは教えてあげるわ」
「それは、ありがたい」
「あなたが京都で体験したことよ」
鈴木はそのまま帰って行った。
「京都?」
高田は意味不明そうに首を傾げた。
「俺が解決した鶏の鳴き声の件じゃないかな?」
「ああ、なるほど。それか!」
「七不思議の三番目は、マスキング効果と関係しているってことだろう」
「あ、マスキング効果か。名前が出てこなかったぜ......」
「だが、マスキング効果でどうやって窓ガラスを割るのか......」
「俺の考え、言っていいか?」
「言ってみろ」
「七不思議の三番目の窓ガラスを割る方法は音が出る。その音を消すためにマスキング効果を利用したわけだ」
新島は顎に手を当てて、なるほど、とつぶやいた。
「何かわかったのか?」
「たった今、新島のおかげで理解した。実験しよう」
部活動が終わる六時まであと一時間。急いで部室に戻って実験をしなくてはならない。
新島は部室に向かう前に体育倉庫に寄り、機械のメガホンを手に持った。
三人は走って階段を七階まで上がるが、一階から七階を階段で上がるのは相当キツい。息を切らしていた。新島は部室に入ると、ガラス製のコップを棚から取った。
「先輩。このコップをもらってもいいか?」
「かまわないよ」
「では、このコップを使う」
新島はまず、コップを叩いた。そして、メガホンをコップに向けてから、メガホンを介して声を発した。それから、声を発し続けていると、コップが割れたのだ。
高田は驚いて、「なっ!」と声を上げて固まった。
「これは」土方は言った。「どういう仕掛けだ?」
「最初にコップを叩いたのは、このコップの共鳴する周波数を知るため。で、メガホンでその周波数の音を出し続けるとコップが共鳴して割れる。
おそらく、八坂中学校はこの仕掛けで窓ガラスを割ったのだろう。この学校の窓ガラスは古いからその程度で割れただろうし、犯人は学校だからもろい窓ガラスに変えることも可能だ。そして、メガホンで出した音を消すためにマスキング効果も利用した」
「なるほど。だが、その動機がない」
「窓ガラスが割れたのは、全て旧館。つまり、学校は生徒から遠ざけたい何かを旧館に隠していた。というのが、俺の推論だ」
「なら、旧館に確かめに行こう」
土方が部室を出ようとすると、新島がそれを止めた。
「高田がまだ行動不能だ」
「まったく......」
土方は高田を蹴飛ばした。
「痛っ!」
「動け」
三人は旧館に移ってきていた。
「と言っても、旧館のどこに隠しているかわからないな」新島は頭を掻きながらため息をついた。
「まあ、探してみるしかないか」
「いや、当てずっぽうよりいい方法はある。窓ガラスが割れたが、旧館の窓にはちゃんとガラスがはめ込まれている。つまり、割った後で学校側は新しいガラスをはめたということだ。新しいガラスがはめられている場所を探せば、どの部屋から遠ざけたかったかわかる」
「なるほど」
新島の案で、三人は窓ガラスを丁寧に調べた。すると、土方が一カ所だけ他より新しくなっている窓ガラスを発見した。
「どうやら、ここのようだよ」
「この部屋を調べてみよう」
その部屋は、以前は職員室などに使われていたのだろう。普通の教室より一回り広くなっている。そして、古い机と椅子が数個並べられていた。三人は手始めに、その机の引き出しを調べた。だが、中は空で何も入っていなかった。
「何も入っていないな」
「新島、少し違うぞ」高田は微笑みながら新島を見た。
「何か見つけたのか?」
「ああ、見つけた」
「何を!?」
「......空気」
新島は固まった。
「どうだ? 驚いたか?」
「なら、俺も面白いことを言ってやろう」
「言ってみろ」
「ここは職員室だろ?」
「ああ」
「つまり、食飲(しょくいん)する部屋だ」
「なっ! その発想はなかった! 新島は、天才だ」
「何やってんだ? 二人とも......」土方は、二人のやりとりに呆れていた。
何はともあれ、三人はその後重大な物を部屋から見つけ出した。万札の束だ。怖くなった高田が逃げ出したのを皮切りに、一同は部室に逃げ帰った。
「ハァ、ハァ......」高田は息を切らせながら椅子に座った。すでに口もきけないようすだ。
「何だ」土方は膝に手を当てた。「あの大金は!」
「おそらく、八坂中学校の脱税というわけだ」
「脱税?」
「法律にバリバリ触れた行為だ。まあ、脱税のこと知っているのは職員の幹部クラスの教頭、全校主任、学年主任、それと校長程度だろう。脱税は少ない人数の方が露見しにくいからな」
「つまり、大金が見つからないように窓ガラスを割って遠ざけたというわけか?」
「多分、そうだろうな」
「なるほど。だが、やばいことを知ってしまったな」
「ああ、そうだな。高田は体が震えて、言葉を発せないようだ」
「この後どうする?」
「帰るか? もう六時だし......」
「そうしようか。明日、改めて卒業式の事件の謎を解決しよう。大金、脱税のことは口外するなよ」
「わかっている」
高田の震えが収まってから、それぞれ帰路についた。
次の日、朝から放送での緊急会議があった。卒業式に関係している話しで、学校側はテロを予見しているらしかった。
同日の放課後、文芸部部室では早速、その件(くだん)のことを話し合っていた。
「新島」土方の口調はかなり神妙だった。「卒業式での事件のトリックはわかったのか?」
「いや、まだだ。それと、体育館を調べてみたいが箝口令(かんこうれい)と規制が出されていて無理そうだ」
「なら、どうすると言う?」
「体育館の窓ガラスにどのような細工が施されていたか調べるしかない」
「だから、どうやって?」
「生徒会に話し合う必要がありそうだな」
「生徒会?」
「そう。生徒会は卒業式の椅子や垂れ幕などの設置を行っている。その時に、窓ガラスに違和感はなかったかと聞くんだ。そしたら、細工がどういうものかわかる」
「なるほどな。だが、私達は生徒会役員へのパイプがない」
「......。先輩の友達の、三鷹先輩は?」
「三鷹ちゃんも、生徒会役員の知り合いはいないと思う」
「だとしたら、どうしたものか......」新島は難しい顔をして、腕を組んだ。
「鈴木真美はどうだろう?」
「いや、これ以上貸しはつくれない」
「そうか、まいったな」土方は眉をひそめた。
「さて。これこそ、万策尽きたか」
「ん?」
突如、土方は何かを思い出したように声を上げた。新島は驚いて、どうした?、と尋ねた。
「体育館の窓ガラス、なぜか光っていた気がするぞ」
「窓ガラスが光る?」
「そうだ。光を反射している感じだった」
「反射? ガラスだから、当然だろ?」
「いや、ガラスの反射のそれとは少し違った」
「ガラスの反射とは違う、か」新島は部室の隅から隅を円を描きながら歩き回った。「もしかして、体育館の外との温度差での結露じゃないかな?」
「結露? あ、そうかもしれない」
卒業式が行われた日の朝は異様に寒く、結露が起こっても仕方がなかった。それに、エアコンが各家庭で広く使われるようになってからは夏にも結露が起こりうると聞いたことがある。
「結露か。だったら、細工がやりにくいかもな」
「そうだな」
新島と土方は思考を凝らしながらうなった。それから一時間は考え込んでいたが、行き詰まっていた。
新島はため息をついた。「ずっと考えていたら、喉が渇いたな」
「私は、お腹が空いたぞ」
「高田は?」
二人は高田のいる方へ向いた。彼はすでに眠っていた。
「まったく......」土方は毛布を手に取って、高田に投げつけた。「毛布にでも包まっとけ」
「水はなかったかな?」
「冷蔵庫に入っていたはずだ」
「ああ、ありがとう」
新島は冷蔵庫を開いて、水の入ったペットボトルを取りだした。それを一気に飲み干すと、空のペットボトルをゴミ箱に入れた。
「なあ、お腹が空いたぞ」
「いや、ここ部室だから食料という食料はないなぁ......。ただ、コロッケが冷蔵庫に一個入ってるな」
「じゃあ、それを食べるか」
新島は冷蔵庫からコロッケを取って、土方に渡した。土方は最初、コロッケをそのまま一口食べた。だが、冷たかったらしく、部室の隅にある電子レンジに入れて一分温めた。その電子レンジは古い物で、500Wだ。
電子レンジの特徴的な『チン』という音がすると、土方はコロッケを取りだして、口に運んだ。
「おぉ! うまい!」
新島は椅子に座りながら、その光景を見ていた。
「あっ! そうだよ。電子レンジだ」
「電子レンジがどうかしたのか?」
「犯人は電子レンジと同じ原理を利用して、窓ガラスを割ったんだ」
「電子レンジ?」
「そう、電子レンジ。電子レンジが物を温められるのは、マイクロ波を使っているからだ。マイクロ波で水を振動させて発熱するマイクロ波加熱という原理だが、そのマイクロ波を利用して窓ガラスを破壊させた」
「窓ガラスにマイクロ波を当てると、熱くなるのか?」
「いや、窓ガラスに水分が付いてなかったら割れないだろう。だが、体育館の窓には?」
「結露して水が付いてた!」
「そう。その水が振動して、窓ガラスが割れちゃったんだ」
「だとしたら、体育館のどこかにマイクロ波を出す装置があるな」
「ああ、おそらくな。で、次は誰がそんなイタズラをしたのかだが......」
「窓ガラスを全て割るのを、果たしてイタズラと呼べるか否か」
「呼べないだろうな。イタズラの域を超えている」
「まあ、そのことは犯人に問いただすとしよう」
新島は犯人の手掛かりを探すため、卒業式の時のことを思い出そうとしていた。椅子から立ち上がり、壁に寄りかかった。「犯人は卒業生の可能性が高いな」
「何でだ?」
「わざわざ卒業式に窓ガラス破壊を行ったということは、その卒業式を境に八坂中学校からいなくなる卒業生が行うための動機は十分だ」
「だとしたら、一番怪しい人物が卒業生にいるじゃないか」
「俺も、先輩と同じ考えだ」
「鈴木真美だな」
「ああ」
鈴木真美。七不思議の全てを解明し、八坂中学校のパンドラの箱を開けた一人だ。動機はおそらく、卒業までに学校への報復だろう。
二人は高田を部室に残して、急いで軽音楽部部室に向かった。鈴木は部室で、作曲を行っていた。他の部員は音楽室で演奏をしている最中だろう。
「来たわね。私が犯人だって、気づいた?」
鈴木の他人事のような口調に、新島は少なからずムッとした。
「鈴木」土方は部室の扉を閉めた。「何で窓ガラスを割った?」
「私が八坂中学校に仕返しをして、何か悪い?」
「なぜ、仕返しを?」
「七不思議を解明していたことで、八坂中学校から圧力がかけられていたから」
「圧力?」
「私だけ、軽音楽部で演奏すらさせてもらえない」
「それは被害妄想だろ?」
「そうかもしれないけど、七不思議は学校の私利私欲で生まれた。生徒を代表して、報復する必要はあるわ!」
「確かに、私達はまだあと三つの七不思議を解いていない。だが、文芸部の新島なら必ず卒業までに七不思議を解いて、学校に言及できるはずだ」
「私が言及しなくては駄目なんだ」
「その役目は文芸部が引き継ぐ」
「......」鈴木が言葉に詰まった。
今まで黙っていた新島は、腕を組みながら口を開いた。「人を頼ることも大切です。自分で考え過ぎていると、発想力もなくなります。マイクロ波を使ったトリックは東野圭吾の『虚像の道化師』の『幻惑(まどわ)す』に登場したものをそのまま手を加えずに使用したものですよね?」
「何で、それを......!」
「探偵ガリレオシリーズは自分も大好きですから。虚像の道化師では、俺は『透視(みとお)す』が好きです。相本美香さんは、封筒の中身のことについて触れなければ死ぬこともなかったのですがね......」
「そうか。では、八坂中学校に言及する役目は文芸部に委ねるとしようか」
鈴木は椅子から立ち上がり、新島と握手をした。
土方と新島が軽音楽部部室を出た。
「新島」
「何だ?」
「いくら探偵ガリレオシリーズをお前が好きでも、鈴木がそうとは限らないだろ? だが、それを言い当てたときは鈴木は驚いていた。つまり、鈴木は自分が探偵ガリレオシリーズを好きだと新島に伝えていないはずだ。どういう仕掛けで、そのことを勘づいた?」
「手、それと本」
「くわしく頼む」
「『透視(みとお)す』と同様、鎌をかけた。『禁断の魔術』は短編集と長編が存在する。『禁断の魔術』の短編集は『透視す』『曲球(まが)る』『念波(おく)る』『猛射(う)つ』の四つだ。だが、『透視す』『曲球(まが)る』『念波(おく)る』は『虚像の道化師』に再編集して収録された。残る『猛射(う)つ』が大幅改稿されて長編となり、『禁断の魔術』となった。
手に本を読んだ跡があった。鈴木真美は左手親指の付け根に直線の跡を残していたが、左手で本を持った跡だ。鈴木真美はそういう癖がある。といっても、彼女はその癖に気づいてないがな。
そして、カバンの膨らみから本が四冊あることがわかる。普通、一日じゃ読めない数だ。だが、四冊持ってきているということはマイクロ波がトリックに登場する『虚像の道化師』『禁断の魔術』を持ってきていたということだろう。その本を、手の跡を踏まえて考えると、少し前まで読んでいた。それで、鈴木真美が探偵ガリレオシリーズを好きだという確実性を帯びる。で、『幻惑わす』を参考にしてマイクロ波を使った窓ガラスを割るトリックを思いついたのだろう、という推理が出来るというわけだ」
「そうか。......ややこしいな」土方は不満そうな顔で言った。
二人はそれから、文芸部部室に戻った。高田はまだ眠っていたから、新島は蹴りをいれた。「起きろ!」
「いっ! ......痛っ!」
「帰るぞ」
「何だ? まだ犯人すらわかってない」
「鈴木真美だよ」
「......!?」
新島は仕方なく、高田に説明した。高田は納得して、うなずいた。
次の週、卒業式は無事に行われ、終了した。土方はその日をもって、八坂中学校生徒ではなくなった。それと同時に、文芸部部員でなくなった。そして、新島は晴れて文芸部部長になり、春休みも始まった。春休みでも、三人は集まって、新入部員確保の会議をしていた。もちろん、場所は新島の家だ。
「さて。まず、先輩が文芸部を抜けたことによりこの三人が籍を置く集団がなくなった。だが、俺の家で今日から、この三人でチームが発足する。『旧文芸部 烏合(うごう)の衆(しゅう)』!」
新島のネーミングセンスを疑うところだが、本日から烏合の衆が発足したわけだ。長(おさ)は当然土方だ。だが、今回の司会進行は新島に任されていた。
「では」新島はテーブルに置かれたコップを右手でつかみ、上に上げた。「皆々様、乾っ! ぱーい!」
新島のかけ声とともに、土方と高田もコップをつかんで上に上げ、三人でコップをぶつけた。すると、コン、という音がして、高田のコップに入っていた抹茶がこぼれた。当然熱く、抹茶のこぼれた先は高田の頭だった。
「あッチっ!」
「あちゃー」新島は笑いをこらえていた。それから雑巾を持ってきて抹茶を吹き「高田、抹茶入れ直す?」と尋ねた。
「ああ、入れ直してくれ」
「わかった」
新島はコップに抹茶の粉末とお湯を入れて高田に渡した。
「サンキュー」
「んじゃ、仕切り直して烏合の衆発足だな」
三人は、コップの中身を飲み干した後で、文芸部の新入部員確保と七不思議の会議を始めた。
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