第227話 本物の戦場で


 ノルシュタインさんに激励を受けたわたくしは、一直線にベルゲンさんを目指しました。お父様の事を知っている筈の、スキンヘッドのあの方の元へ。


 しかしそれは、容易な道のりではありませんでしたわ。何故なら彼は、悪魔の胃袋(デビルモウ)と呼ばれた船から次々と降りてくる魔族らとの白兵戦に突入してしまったのですから。


「ッ!?」


 わたくしは一度、歩みを止めました。今いるここであれば、戦いに巻き込まれる距離ではありません。今なら、人国軍と魔国軍の戦闘に関わる事がないままに、戻ることもできるでしょう。


 目の前では真剣で斬り合い、血が噴き出している光景が網膜に映っております。それは、本物の戦い。士官学校でやっていたような模擬戦なんかではなく、凶器と狂気でもって相手を殺さんとする、命のやり取りをする戦場。自分が生き残る為に、相手を殺す、そんな場所。


「ァ……ッ」


 わたくしは、いつの間にか震えていました。血を吹きながら倒れていく方々が、魔法で焼かれたと思われる肉が焼けたような臭いが、身体に入ってくる度に震えがこみ上げてきます。それは、酷く単純な、恐怖でした。


 ここから先に行けば、わたくしは死ぬかもしれない。


 ただそれだけ、ただそれだけなのです。言葉にすれは二言で済むような、単純なもの。しかしそれだけで、身体を強張らせるには十分な威力がありました。わたくしはそれ以上、前に進めずにいます。


 先ほど竜車上で戦った魔力の塊等ではなく、生きた生物との命の奪い合い。覚悟してきたつもりでした。お父様の剣を持ち、戦うという決意を固めてきた筈でした。最悪の場合、相手を殺す事になるのかも、と……。


 しかしそんなものは所詮、安全な場所にいた時の強がりだったのです。まず自分は死にはしない。命の危険なんかない。そんな場所にいたのなら、強い言葉も容易に吐くことができるでしょう。


(帰り、たい……戻り、たい……怖い、怖い、怖い怖い怖い怖い……)


 しかし、実際にそんな場所に来てしまえば、如何に自分の覚悟が薄っぺらいものであったのかを実感してしまいました。今、わたくしの中にあるのは、恐怖心のみ。怖いと思って、何が悪いのでしょう。


 そもそも、わたくしはまだ軍人ではありませんわ。命を張る危険を冒す必要も義務も、まだなくてよ。このまま回れ右をして帰ったって、何にも……。


『一歩踏み出すことを、諦めないでくださいッ!』


「ッ!?」


 その時。わたくしの頭の中を過ぎったのは、先ほどいただいたノルシュタインさんの言葉。どうか一歩だけでも、踏み出して欲しい。一歩も踏み出さずに諦めることを、しないで欲しいと、彼はそうおっしゃっていました。


「…………」


 一歩だけ。彼は一歩だけで良いと、言っておられました。一歩出てみて、それでも無理なら、引き返せば良いと……なら、一歩だけ、ならばッ!


「ッ!」


 わたくしは一歩、前へ出ました。すると一歩、戦場が近づきました。たかだか少し、前へ出ただけですわ。それでも……。


(……いけ、る……)


 何故か、わたくしはそう思えました。先ほどまであれほど行きたくない、帰りたいと思っていたのに、それらを全て吞み込んで一歩を踏み出してみたら、どういう心境の変化かは解りませんが、いける気がしたのです。


 それでも帰りたいとは思うこともなく、わたくしならいける、と。


「……ッ!!!」


 震えはまだありました。恐れの気持ちもありました。それでもわたくしは剣を抜いて駆け出し、声を上げます。


「ハァァァアアアアアアアアアッ!!!」


 相手を威嚇すると同時に自分の士気をも高める、戦いの基本。こういう本番の場であるからこそ、基礎を疎かにすることはできませんわ。そのままわたくしは、鉄火場を駆け抜けていきます。目指す先は……最前線で戦っている、ベルゲンさんですわッ!


「ァァァアアアアアアアアアアアアアアアッ!!!」


「ッ!?」


 しかし、そう簡単に駆け抜けることもできず、わたくしは一体の悪魔族の兵士に見つかりました。剣を抜いてこちらへ斬りかかってくる一撃を、お父様の剣で受け止めます。


 邪魔を、しないでくださいましッ!


「"花は風をいなす(パリィ・フレクション)"ッ!」


「ガハ……ッ!?」


 そのまま円を描くように相手の剣をいなしたわたくしは、体勢を崩したところに突きの一撃を見舞いました。綺麗に胴体を貫いたお父様の剣の先から、肉を貫く感触が伝わってきます。


 これが、生身を貫いた……命を貫いた感触……。


「~~~~ッ!!!」


 わたくしは堪らずに剣を引き抜きました。引き抜かれた魔族の身体から、血が溢れだしています。中から、中から、中から、中から、血がとめどなく、零れ落ちてきていて……。


「ァ……」


「グァァァ……く、クソァッ!!!」


「ッ!?」


 しかし、相手はまだ死んでおりませんでした。殺意のこもった目が、わたくしを真っすぐと捉えています。射貫かれるようなその視線に、背筋が凍り付きそうな思いがしました。その目線だけで、わたくしは、殺され、て……?


「ァァ……アアア……アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!!」


 それを見た時に、わたくしの中で何かが弾けました。ここに来た目的とか、そんなことも忘れて、今はただ、目の前で倒れていく魔族が、まだ、襲い掛かってくるような気がして……やら、なきゃ。やらなきゃ。


 やらなきゃやらなきゃやらなきゃやらなきゃやらなきゃやらなきゃやらなきゃやらなきゃやらなきゃやらなきゃやらなきゃやらなきゃやらなきゃやらなきゃ。


 斬って、刺して、斬って、刺して。しっかり殺さないと、自分が殺される。首を、胴体を、手足を、とにかく斬らなきゃ、殺さなきゃ、死ぬ、死ぬ、死ぬのは自分だ、殺されるのは自分だ……やられる前に、やらなきゃッ!


「ハァ、ハァ、ハァ、ハァ……」


 気が付くと、わたくしを襲ってきていた魔族はバラバラになっておりました。目の前には血だまりがあり、先ほどまでは生きていたであろう魔族の残骸が、その中にあり……。


「お、おぇぇぇ……」


 むせかえるような血の匂いがして、わたくしはしゃがみ込んで戻しました。わたくしが、やった……? 目の前のこれを、わたくし、が……?


「……アタシの言う事が聞けないってのッ!? これだから地獄の業火は……きゃぁあああッ!!!」


 ふと、わたくしの耳にあのバフォメットの言葉が届いたかと思えば、顔を上げてみると黒い炎が飛んできているのが解りました。


「あ…………」


 何故か、身体に力が入りません。お父様の剣を握る手も、防御魔法を展開する頭もなく、ボーっとしてしまっています。それに、頭の何処かで冷静な自分が、こう言ってきていました。これは避けられない、と。


「あ、あはははは……」


 炎が飛んできているというのに、それがあまりに現実感がなくて、わたくしは笑ってしまいましたわ。避けることも、防ぐこともできない今。わたくしはただ、笑って受け入れるくらいしか、できません。


 そのまま黒い炎が段々と近づくにつれて大きくなっていくように見えて……。


「……"刹那眼(クシャナアイ)"ッ!!!」


 一瞬でわたくしの視界に入ってきた誰かが、それを受け止めてくれました。


「ぐああああああああッ!!!」


「…………。ッ!? あ、貴方はッ!?」


 呆けていた意識が、わたくしと黒い炎の間に割って入った方の悲鳴で、一気に現実に戻ってきます。理由は、その背中を知っていたから。ずっと憧れていて、でも実際はすぐ近くにいた。魔族に連れていかれてしまい、禁呪とやらも終わりを迎え、もう駄目なのかとも思って、わたくしの大切な友人の一人。


「だい、じょうぶですか、マギー、さん……?」


「マサトッ!?」


 振り返り、身体を焼かれる苦痛の中でも笑っていたのは、魔族と化したマサトでしたわ。

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