第159話 彼女の涙と湧いた疑念


 彼女の周囲の空間に無数に展開された魔法陣から、漆黒のロープの様なものが魔狼へ向けて伸びていきます。


「こ、こんな拘束、ごと……き……」


 複数のロープが絡み付いて捕らえられた魔狼は、最初こそもがいて抵抗していましたが、それも徐々に弱まっていきました。


「な、何だ、この、魔法……力が……オドが……抜けて、い、く……」


「私のオリジナルよ。さっさと倒れなさい」


「ちく……しょ…………う…………」


 やがて、魔狼は完全に動かなくなりましたわ。それを見たフランシスさんはため息をついて魔法を解除します。


「わ、わたくし達があんなに苦労した相手を、こ、こ、こんなにあっさり倒してしまわれるなんて……」


「す、すげぇ……」


「な、なんや今の見たこともない魔法は……?」


「オリジナルって……まさか自分で作った魔法だったのかい、今のッ!?」


「……よし、死んではいないわね」


 唖然とするわたくし達を無視して、フランシスさんはしゃがみ込んで魔狼の様子を伺っております。


 動かなくはなったが、命に別状はなさそうとの事でした。


『…………お母さん……』


 やがて立ち上がったフランシスさんに、オトハが魔導手話にて話しかけました。


 振り返って彼女を見たフランシスさんが、「ああ、そうそう」と言って白衣から物を取り出します。


 オトハのもとまでツカツカと歩いていった彼女は、取り出したそれを乱暴に彼女に押し付けました。


「はいこれ」


『っと……こ、これ、お昼の……』


 何を押し付けられたんだと見てみると、オトハの手元にはお昼に彼女が持って行ったお弁当箱があります。


 何度目になるか解らない驚きを見せた彼女が蓋を開けてみると、中身は空っぽであり、綺麗に洗ってすらありました。


「……じゃ、そういう事で……あっ。この魔狼通報するの面倒だからそっちでやっといてね。それじゃ」


『ま、待って、お母さんッ!』


 さっさと歩き出したフランシスさんを、オトハが呼び止めます。


「……何?」


『わ、わたしのお弁当……食べて、くれたの……?』


「見りゃ解るでしょ? ……ああ、言い忘れてたわね」


 そう言うと、フランシスさんは首だけをオトハの方に向けて、無表情のままこう口にされました。


「……ごちそうさま」


『ッ!!!』


 ごちそうさまと、フランシスさんは言われました。目を見開いたオトハの瞳から、ポロポロと涙が溢れ落ちていきます。


『~~~~~ッ! お母さんッ! お母さんッ!』


 やがて何かが耐え切れなくなったのか、オトハはそのままフランシスさんの元に駆け寄って行き、その背中に抱きついて顔を埋めました。


 涙ながらに魔導手話を行い、フランシスさんをお母様と呼び続けています。


「……………………」


 表情を変えることもなく、何も言わずに見ているフランシスさんでしたが、オトハを振り払うような事はされませんでした。


 ただじっと泣いている彼女を見て、そしてその場に立ち続けています。


「……あ、あれ? 私は今まで……?」


「ッ! マサトッ! 大丈夫なのかいッ!?」


「わッ! ウルさんッ!? い、一体どうしたので……あと、めっちゃ頬が痛いんですが、これは……?」


「敵の攻撃だよッ!」


 少しして、気絶していたマサトが起きたみたいです。ウルリーカが彼に抱きついていますが、とにかく彼も無事で良かったですわ。


 あとマサトの両頬を往復ビンタしていたのは貴女では、ウルリーカ? 何ですか、敵の攻撃って?


『ッ! マサト……ッ!』


「……じゃ」


『あ……お、お母さんッ!』


 起き上がったマサトに気づいたオトハが顔を上げた時、フランシスさんは踵を返して歩き出しました。


 もう用はないと言わんばかりに、こちらを振り返ることもなくドンドンと進んでいきます。


「た、助けていただいてありがとうございましたわッ!」


「すまねぇ、恩に着るッ!」


「さ、サンキューやったでフランシスさんッ!」


「ありがとうッ! 本当に、本当に助かったよッ!」


「えっ? えっ!? 皆さんボロボロじゃないですかッ!? それにどうしてフランシスさんがここに……?」


 口々にお礼を言うわたくし達の状況が一人だけ掴めていないマサトでしたが、まあ説明は後で良いでしょう。


 今はそれよりも、フランシスさんに感謝を告げる方が大事ですわ。


『お母さんッ!』


 最後に言ったのは、オトハでした。


『本当に、本当にありがとうッ! また、お弁当、持っていくからねッ!』


「……………………」


 彼女のその言葉にフランシスさんは振り返ることもなく、何も返事もしてくれませんでしたわ。それでもオトハの顔は笑顔でした。


 多分、お母様と、少しだけ歩み寄れたのだと感じている筈ですから。わたくしの勘がそう言っているのですから、間違いありませんわ。


「だ、誰か私に状況を教えてくださーいッ!」


 取り残されているマサトが声を上げています。全く、肝心な時に寝ていたの、です、か、ら……。


 その時再び、わたくしの勘が働きました。


(……いえ。わたくしは一つ、大事な事を見逃していましたわ……ッ!)


 そうです。魔狼に襲われて、フランシスさんに助けていただいた。それは何とかなったので良いのですわ。


 一番肝心なのは、どうしてマサトが襲われたのか、ですわ。


 もちろん、たまたま戦争の生き残りであるあの魔狼の姿を彼が見つけてしまい、なし崩し的にこうなったという線もなくはないでしょう。


 しかしあの魔狼は、自らの意志でマサトを連れて行こうとしていました。明らかにマサトを狙っていたのです。


 それにこうも言っておりましたわ。


『……目標をヴァーロックさんの元に届ければ……』


 目標と。それを届ける先がヴァーロックという輩であると。そう言っておりましたわ。


 つまりそれは、マサトには魔族に狙われる程の何かしらの理由がある、と言うことになります。


 思えば。マサトについては戦争孤児であるという事以外、わたくしは何も聞いておりませんわ。彼自身の背景を、全く知らないのです。


 まあ、気軽に他人には話しにくい辛い過去があるかもしれないと思い、ほとんど聞いていなかったわたくしにも問題があるとは思いますが……。


(……何か重要な、とてつもなく大きな何かが、マサトにはある……?)


 他の皆が身体を気にしながらゆっくりと起き上がっている中、わたくしは一人、強烈に働いた勘の内容について思いを巡らせていました。


 マサト……貴方は一体、何者なんですか……?

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