第五章
第135話 彼の意気込み
『……アタシが連絡するまで余計なことしないように』
「了解した」
遠話石から聞こえたのは、上司の不機嫌な声色だった。
『……じゃ、そういうことで』
手短にそれだけを伝えられると、遠話石は沈黙した。
何か愚痴でも吐かれるのかと、ヴァーロックは身構えたが、特にそれ以上の話はなかった。
「……魔国の方も、静かではなさそうだ」
静かになった遠話石をしまうと、彼はそう呟く。戦友からの手紙では、魔王の後継者争いが激化しているのだとか。
今回彼の上司であるバフォメットがわざわざ帰ることになったのも、この辺りが故である。
現在は魔皇四帝による合議によって運営されているらしいが、度々衝突も起きるのだとか。その度に上司が不機嫌になり、その世話をしているのが面倒と、戦友も手紙で愚痴っていた。
アイツに上司を労う気持ちがあったのも驚きだ、とヴァーロックはその手紙を読んだ時に小さく笑った。
「……失礼します。今、よろしいでしょうか?」
「構わん」
やがて扉がノックされたのでヴァーロックが返事をすると、一人の魔狼が入ってきた。
彼に向かって敬礼をし、用件を口にする。
「対象を追っていた際に消息不明となったアラキとカラキですが、やはり行方が解りません。その後の足取りについては……」
「…………」
報告された内容は、任務を渡してから行方知れずとなった二人の部下についてであった。
厳しい表情でそれを聞いたヴァーロックは、一通り聞き終わった後に重々しく口を開く。
「……わかった。調査はこれ以上続けなくていい。ご苦労だった。下がって良い」
それを聞いた部下の魔狼の男が、「ハッ!」っと返事をして部屋を後にした。心なしか報告を持ってきた部下も、暗い顔をしていたように見える。
「……また部下を亡くしたのか、私は……」
部下が口にしていたアラキとカラキは、こちらの監視対象であるマサトを追わせて、人国の海に近い街に向かわせた後に消息を絶った。
定期報告が途絶えた彼らを他の部下に探させたが、その痕跡を見つける事はできなかったのだ。
かと言って、これ以上彼らの捜索に人手を割いている余裕はない。いつ上司からの命令が来るかも解らないし、対象の監視も続けなければならない。
もしかしたらまだ生きているかもしれない彼らを見捨てることになる決断であったが、現状の都合ではそれを下さなければならなかった。
まだ若かった彼らがいなくなったことを思い、ヴァーロックは一度、目を閉じた。
「……黙々と任務をこなしてばかりで、付き合いもそっけない不器用な奴だったな、アラキ。飲み会でくらい、もう少し笑っても良かっただろうに。その癖、こっそりと細かい掃除や任務の後始末をしていたような奴だ。もう少し素直になっても良かっただろうに、全く。
そして、カラキ」
自分の下で働いてくれていた二人について思いを馳せ、彼は拳を握りしめる。
「……誰よりも才気に溢れ、そして出世欲の強かったお前だ。失敗でもしようものなら、死にものぐるいで取り返しに行く。ミスはサクセスで返す、がお前の口癖だったな。失敗を取り返そうとする意気込みは良かったが、自分の失敗を認められないのは、まだ未熟な所だった。そこさえ治せればあるいは……」
いや、今更だな、と彼は首を振った。一息ついて目を開けると、相変わらず強い目をしている。
「……お前らの事は忘れんぞ」
そして、彼は仕事に戻っていくのであった。彼らの頑張りを、無駄にしない為に。
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「何だってッ! 逃げられたって言うのかッ!?」
声を上げたのはオーメンだった。ある夜に仕事場へと戻った際に部下から聞いた話で、耳を疑ってしまったからだ。
「も、申し訳ありませんッ! いつものように大人しくしていると思っていたら、いつの間にか……」
「クソッ!」
オーメンは空っぽになった牢を見て、悪態を吐き捨てた。中には昨日まで、彼らが海に近い街で捕らえた魔狼がいた筈だった。
一人には自害されたが、確保できていたもう一人の方だ。マサトの監視をしていたと思われる彼から情報を聞き出す予定だったのだが、最早それは叶わない。
「ちゃんと見てなかったのかッ!?」
「み、見る時は見てましたよ! ただ、その、オーメンさんもエルフの里に行かれてましたし、他の人手も……」
部下のその言葉に、オーメンは手で顔を覆った。
上司であるノルシュタインが信頼を置く、一部の人間でしか任務にあたれなかった現状。あのベルゲンにもバレないようにと、必要最小限の人数で回していた弊害が出てしまった。
アイリスがエルフによって襲撃され負傷していたこと、そして自分自身もエルフの里に出向いていたことも大きい。
必要最小限であるからこそ、少し人が抜けるだけで致命的なのだ。負傷していたアイリスがようやく戻ってくるという矢先に、この失態。
「とにかく探すしかないッ! 痕跡は何処かにある筈だッ! 俺はノルシュタインさんに報告してくるッ!」
「り、了解しましたッ!」
とは言え、仕方なかったで済ます訳にはいかない。捕らえていた筈の魔狼は、間違いなくマサトを監視していた筈だ。野放しにしておけば、護衛対象である彼らにも危険が及ぶ可能性がある。
現状、魔国の方にはこちらに情報が漏れていないと思われている筈だが、囚われていた彼が逃げ出したとなれば話は別だ。
逃げた彼の報告を受けた魔国は、また違う手を取ってくることになるだろう。今後の動きについて頭の痛くなる展開となってしまったが、それでも考えずにはいられない。
厳しいものとなってしまった現実に舌を打ちながら、オーメンはノルシュタインの元へと足を運んだ。
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「……アラキ。おれは必ず、やり遂げてやるからな……」
そんなオーメンが舌を打っている場所から離れた暗がりの中、一人の魔狼、カラキがそう呟いていた。その目には、ある決意がみなぎっている。
「……ミスは必ず……サクセスで返すんだ……ッ!」
口にしたやる気をそのままに、彼は拳を握りしめる。
彼の内側に渦巻くのは任務失敗への憤慨と、友を失ってしまった悲しみ。
そしてそれらを取り返すには、何としてでも自分がやらなければならないという意気込みだった。
いなくなってしまった同僚に報いる為に。自分を信じて任務に連れてきてくれた上司に返す為に。
まだ若いが故に自分の失敗を受け入れられない彼の頭の中には、このままノコノコと戻って報告するという選択肢はない。何とかして取り戻してやる、と言う考えしか残っていなかった。
やがて彼の姿は、闇に消えていった。自分の失態を取り戻そうという思いから、強く、一歩を踏み出して。
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