第51話 知ったことか


「同じ魔族のよしみだなんだって言ってボクを乗せて、挙げ句にはマサトまで殺そうとしてるなんて……絶対に許さないよッ!」


 そう言いつつ駆け出したウルさんは、イーリョウさんに向けて握り込んだ右ストレートを放ちました。


 先ほどの私との戦いでも、あれ程の速さのハンチがあったでしょうか。怒りで色々と吹っ切れているのかもしれません。


 対してイーリョウさんは、"炎弾"の直撃を受けて少しふらついていましたが、彼女の特攻のハンチをあっさりと受け止めてしまいます。


「……油断してやしたねえ」


 やがて、顔に巻いてあった布が燃えカスになって廊下に落ち、イーリョウさんの顔が明らかになりました。狼のようなその顔立ち、ウルさんと似た獣の耳。あれは、やはり。


「魔狼、族……? 魔族だったん、ですか」


「……まさか顔まで見られるとは。ほんっと、あっしもまだまだですねぇ……」


「くっ……この……ッ!」


 軽口を叩いているイーリョウさんですが、ウルさんが放った右の拳を手で受け止めたままです。ウルさんはそれを引き剥がそうとしていますが、彼には全く動じる様子がありません。


 痺れを切らしたウルさんが左手で再度ストレートを見舞いますが、それを右手で弾いたイーリョウさんが、そのまま右のアッパーをウルさんのお腹に叩き込みます。


「ぐは……ッ!」


「そら」


 そのまま握った彼女の右手を利用してその身体を持ち上げ、まるで柔道の一本背負いのような要領で、廊下に叩きつけました。


 お腹と背中に甚大なダメージを受けたウルさんが、苦しそうにうめいています。


「ぐぅぅぅううううう……」


「大人しくしててくだせえ。あんたは商品なんだから、あんま傷つけると先方に値切られるのでさあ」


 彼女を離し、パンパンと自身の手を払ったイーリョウさんが、ふう、と一息ついています。


「だ、誰が商品だ……ぼ、ボクはお前みたいな、奴なんかに……好きになんて、させない……ッ!」


「言いますねえ。でも、関係ねーでさ」


 倒れながらもその目はまだ死んでいないウルさんが、イーリョウさんを睨みつけながらそう口にします。しかし、イーリョウさんはそれを、あっさりと返してみせます。


「世の中、そんな風にわめくことしかできない奴ぁ、ごまんいるんですぜ。口を開くだけなんざ、誰でもできる。肝心なのは、口を開く以外に何ができるかでさあ。あんたみたいに何もできないってんなら、できる奴の都合で動いてもらうだけ。それ以外は、資源を無駄にする穀潰しとなんら変わりありやせんからね。いっそ殺してやった方が、世界のためかもしれません。口だけの奴なんざ何ら怖くもねえ。さっさとあっしらの都合に合わせて頑張ってくだせえ。それ以外に、雑魚に生きてる意味なんざねーですよ。口を動かすヒマがあったら、一発でも殴ってきたらどうですかい? ほら」


「~~~~ッ!!!」


 その言葉に、ウルさんが歯を食いしばっています。痛みが強烈なのか、彼女は廊下に倒れ付したまま、立ち上がることができないみたいです。


「……それは違います」


 なら、私が立ちましょう。彼女ができないなら、私が代わりになってもいいじゃないですか。言いながら、何とか私は立ち上がることができました。


 あっ、やっぱ駄目かもしれません。頭がクラクラします。いや、もう少し。もう少しだけ、頑張ってみましょう。


「違う、とは。何が違うんですかい、男の子?」


「何もできない人なんて、いません……ッ!」


 この人に一つでも言い返さないと、私も気が済みませんしね。


「誰だって、できることと、できないことがあります。だから、みんなで助け合うんじゃないですか。できない人がいたら、手伝ってあげる。自分一人でできないことは、誰かに助けてもらう。そうやっていくのが、普通なんじゃないですか? 誰だって、得手不得手がある。得意なことが見つからないなら、見つかるまで待ってあげたっていい。なんなら、できるように一緒に練習したっていい。始めからできる人なんていないんだから、それくらい当たり前です。ただ少しみんなよりできることだけを前面に出して、それで誰かを見下して傷つけようだなんて……そんなことは間違っていますッ!」


「マサト……」


 思いつく言葉を並べただけで、まとまりも何もないかもしれませんが、それでもイーリョウさんの考えは間違っているとハッキリ言えました。


 それを聞いた彼は、なんと拍手を始めます。


「ブラボー。良い言葉でしたよ、男の子」


「な、何を……?」


 その反応に、思わず呆気に取られた私は、戸惑いを隠せません。てっきり言い返すなり、問答無用で襲いかかってくるなりされるのかと思っていたので。


「いやー、久しぶりに良いもん聞きましたわ。こんな時勢に、ここまでの綺麗事を本気で口にするなんて、将来有望ですな、男の子。最近はロクに人生経験もない癖に変に悟ったり、スレた意見言うのがカッコ良いとか思ってる奴らばっかで辟易してたんですわ。そんな奴らよりは何倍もマシだ。うんうん。あんたは良い大人になりやすよ」


 頷きながらしみじみとそう口にしているイーリョウさんでしたが、次の瞬間、彼の姿が視界から消えます。


 えっ、と思った時には既に遅く、私の目の前に立ったかと思うと、顔面に一発入れられました。


「グハッ!」


「マサトッ!?」


「まだまだ」


 右、左と交互に顔を殴られ、先ほどのウルさんと同じようにお腹にアッパーを入れられた後、前のめりに折れ曲がって無防備にさらされた私の背中に対して踵落としが見舞われました。


「ぐ……ぅぅぅうううう……」


「あんたの言うことは間違っちゃいないよ、男の子」


 再び廊下にうつ伏せに倒れた私に向かって、イーリョウさんが話します。


「できない奴の手伝いをする、当たり前ですよね。でもな、男の子。世の中、そんな悠長な時間がない場合だってあるんですよ。絶対にやらなきゃいけない時が。練習するヒマも教えてもらうこともなしに、今この時にできなきゃ駄目だって時がね。今だってそうでさあ。あっしを何とかしなきゃ、あんた死ぬぜ? 何の感慨もなく、何の意味もなく、あっしはあんたを殺す。不味いことを知られた口封じと、たまには殺しとかないと勘が鈍るっていう、あっしの都合だけでね。それだけで、あんたは死ぬんですよ」


 淡々とそう言いながらイーリョウさんは歩き出し、先ほど落としてしまったナイフを拾い上げます。


「このナイフをあんたに突き刺して、絶命させてやりますよ。さあ、どうします男の子? 何かしなきゃあんたは死ぬぜ? あんだけのことを言ったんだ。何かしてくれるんでしょう?」


 ナイフを手で弄びながら、イーリョウさんは歪んだ笑顔のまま、倒れている私の方に近づいてきます。


 不味い。不味い不味い不味い不味い。このままじゃ本当に殺されてしまいます。


 この場で魔王の力である黒炎を使えば、イーリョウさんを追い払うことができるのかもしれませんが、その場合は彼にこの力がバレてしまいます。


 そしてもしこの人が魔族の軍隊の関係者だった場合、現魔王である私の存在がそのままジルさん達に知られてしまうでしょう。


 そうなったら彼女らは死にものぐるいで私を確保しに来るでしょう。オトハさんだって、タダじゃ済まない気がします。場合によっては、そのまま私の存在を巡って戦争が再開され、多くの人が死んでしまうことにも……?


 かと言って、"黒炎解放"をしないままでこの状況を乗り切ることなんてできるのでしょうか。既に身体は疲労と負傷でボロボロ。力を入れることすら困難な状態です。


 魔王化はできない。ロクには動けない。でも死にたくない。なら、今の私に何ができる。徹底的に土下座したら、許してくれるでしょうか。何でもしますと許しを乞うたら、もしかしたら見逃してくれるでしょうか。


 せっかく家族のしがらみも何もない世界で、楽しく学園生活を送れていたのに、こんなところで終わりだなんて絶対に嫌です。


 その時、私の脳裏で悪魔が囁きました。


 最悪……最悪の場合……ウルさんを……諦めたら……自分だけは助かるんじゃないか……?


「やめてくれッ!」


 頭の中でまとまらない考えを巡らせていたら、ウルさんがそう叫びました。


 こちらへ歩いてきていたイーリョウさんがその歩みを止め、彼女へと目をやります。私もハッとしたかのように、彼女の方を見ました。


「やめてくれ……わかった、わかったから……ボクが大人しく、お前についていくから……娼婦でも、何でも……やる、から……だから、マサトだけは……」


「……へえ」


 その言葉を聞いたイーリョウさんが、感心したかのような声を漏らします。


「なーるほど。これがさっき男の子が言ってた助け合いってやつですか。なるほどなるほど。確かに男の子は今、何もできないですからね。そこの半魔もロクに抵抗はできないが、全部を諦めてあっしの元に素直に来ることならできる。できる奴ができない奴を助けるって、目の前で見させてもらいやしたぜ。やっぱり言ったことは間違ってなかったな、男の子ぉ。ハッハッハッハッハッ!」


 イーリョウさんが口を大きく明けて笑っています。そんな彼には目もくれず、ウルさんは私の方を見ると、諦めたような顔で、笑っていました。


「ごめん、マサト……痛い思いさせて、辛い思いをさせて、本当にごめん……ボクが素直にしてれば、こんな思いもさせなかったのに……ごめん、ごめんねマサト」


 その瞳からは、とめどなく涙が流れていました。


「こんなことならボク、マサトのものになってたら良かった……知らない誰かに汚されるくらいなら……初めての痛みは、君で感じたかったよ……後悔先に立たずなんて、誰が言ったんだろうね。こんなに、言葉が身に染みるなんて、さ……」


「泣かせやすね、全く。誰かのために、自分を犠牲にできるなんざね。いいでしょう、あんたの心意気に免じて、男の子は殺さないでおいてやりましょう」


「っ! ほ、ホントかい……?」


「ああ、本当でさ……ただし、男の子はあっしが管理させていただきやす」


「……ど、どういう、ことだい……?」


「どうするもこうするも、言った通りなんですがね。あっしがこの男の子の身柄を管理させていただきやす。なあに、死なせはしませんよ。ただ、生きていりゃあいいんでしょ? ここで逃して、人国の警察や軍にでも駆け込まれちゃあ面倒なんでね。そうじゃなくても、あんたがあっしの思惑通りに真面目にやる保証もどこにもない。なら、これは保険ってやつでさあ」


「じゃ、じゃあ、つまり……」


「そうさ。あんたが真面目にやらなきゃあ、あっしがこの男の子を痛めつける。死んだ方がマシだなんて思える方法も、いくらでも思いつくのでね。甘えなんざ許さねえ」


「そ、そんな……ッ」


「まあ、あんたがちゃんと男に媚び売って、求められた通りに腰振ってればいいんですよ。そうすりゃ、この男の子も痛い思いもせずに生きていられる。まあ、生きている"だけ"の状態かもしれませんがねぇ……ハッハッハッハッハッ!」


 お二人が何かやり取りをされていますが、私の耳には入ってきませんでした。そんなことよりも、私の内側で激しい自己嫌悪感が渦を巻いています。


 私はさっき、何を考えていた? 自分はどうなってもいいから、と私を助けようとしてくれていたウルさんを……諦めようと、していた……?


 なんてことを考えていたんだ私は。バレたら捕まるだの、オトハさんにも迷惑がかかるだの、挙げ句戦争になってしまうだの。


 そんなこと、ウルさんには関係ないじゃないですか。私が助かりたい理由を用意していただけじゃないですか。終いには学園生活が惜しいからとウルさんを諦めて、イーリョウさんに差し出そうとまで考えていた?


 なんですかそれ。どこまで自己中心的な考えなんですか。自分が助かりたいから他人を差し出そうなんて、イーリョウさんの考え方じゃないですか。


 間違っているなんて言っておいてこのザマです。これが自分の内側から出てきた考えかと思うと、怒りがこみ上げてきます。


 そういう提案を実際にはしなかったから、頭の中で考えただけだからとかそういう問題じゃありません。


 諦めないことが大切と言われていたにも関わらず、土壇場で諦めようとした自分が許せないのです。


 諦めなければ、思わぬ道が見つかるはず。そう教わったその日に、舌の根も乾かぬうちに、諦める自分の馬鹿さ加減が許せないのです。


 ともすれば、今私にできることは何なのか。ロクに動かない身体でできることなど、たった一つです。バレるとか、どう説明しようとか、この後どうなるのだろうとか、不安なこと、解らないことは山積みですが。


「……ことか」


「うん? 何か言いましたかい、男の子?」


 私は小さく呟いた後に再度息を吸い込み、自分を奮い立たせるために同じ言葉を叫びました。


「知ったことかぁぁぁあああああああああああああああああッ!!!」


 急に叫びだした私に、ウルさんとイーリョウさんがビクッと身体を震わせます。


 しかし、そんな些細なことは気にしません。私は奮い立たせた気持ちのまま、体内の黒炎のオドを解放する言葉を続けました。


「"黒炎解放(レリーズ)"ッ!!!」

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