第52話 甘いねえ


 私がそう叫んだその瞬間。身体中にオドが行き渡り、耳の上から角が生え、髪の毛の色は抜け落ち、肌の色も薄くなり、更には顔も含めた身体中に黒い入れ墨のような痣が走っており、黒い強膜に赤い瞳を携え、黒炎を身に纏います。


 疲労感や受けた傷は治せないはずなのが、一時の激情で脳内麻薬でも出ているのか、疲れも痛みも感じません。これなら、いけます。


「な……んだ、よ、それ……ま、マサト……魔族、だったの、かい……?」


 ウルさんが驚きの声を上げています。それもそうでしょう。後でオトハさんも含めて、ちゃんとお話しなければなりません。


 目の前の、イーリョウさんを倒した後で。


「…………」


 イーリョウさんも、流石に私のこの姿には驚いたのか。言葉を失っている様子で……。


「……はっ、ハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハッ!!!」


 と思ったら、いきなり盛大に笑い出しました。ど、どうしたのでしょうか。虚を突いたと思ったら、逆に虚を突かれた感じです。


「なんだなんだ! あっしの運も捨てたもんじゃありませんなぁ! まさか、まさか最重要確保対象が目の前に現れてくれるとはねぇ!」


 最重要確保対象。確かに、イーリョウさんはそう言いました。つまり、この人は、私の存在を知っている人ということになります。


 この人から私のことを伝えられる訳にも、そして捕まる訳にもいかないということです。


「こりゃあ思わぬ僥幸だ! 半魔なんかどうでもいい! こいつを捕らえりゃ、あっしは大手柄さ! だから!」


「は、速……ッ」


 先ほどまでの私では全く見えなかった速度で、イーリョウさんが動きます。反応的に、ウルさんにも見えていないのでしょう。


 しかし、黒炎を解放した私には、彼の動きが見えています。


「さっさと倒れてくれや男の子よぉ!」


「ハッ!」


 振るわれたナイフを身をかがんで回避します。お返しと言わんばかりに私も拳を振るいましたが、それは避けられてしまいました。


「オラァ!」


「くっ……!」


 逆にハイキックを入れられましたが、何とか腕で防ぐことができました。


 そのままナイフを、蹴りを、ナイフのない手でのジャブ等、イーリョウさんは多彩な攻撃を仕掛けてきます。


(防げないことはないのですが……ッ)


 黒炎の解放で身体能力が向上している私なら対応できるのですが、防御の合間にチラリと、ウルさんの方を見ました。


 呆然とした顔で廊下に倒れ伏したままこちらを見ている彼女が目に入り、私は万が一を考えます。このままここで戦っていて、彼女を巻き込んだりしないかどうか。


(この状況に業を煮やしたイーリョウさんが、人質を使ってくるかもしれない……)


 魔国で、そして人国でも味方を人質に取られた経験を思い出し、私はそうはさせまいと行動を始めました。


 おそらく、イーリョウさんは私自身に興味津々といった様子なので、乗ってくるはず。


「ハァァァッ!!!」


「チィ! なんだなんだ!?」


 私は両腕をクロスさせたまま、イーリョウさんに正面から体当たりを仕掛けました。彼もそれに反応し、腕のナイフを私の腕めがけて刺し抜きます。


「ぐッ! ……ォォォオオオオオオオオオオオオッ!!!」


「なぁぁぁ!?」


 しかし、体当たりでイーリョウさんの身体をぶつかった私は、そのまま彼の腕を掴み、彼もろとも横へと飛びました。


 廊下の窓ガラスを突き破って、校舎内から外へと身体を投げます。


「ぐああああ!」


「テメェェェエエエエエ!」


 外へ投げ出された私たちは、ガラスの破片が所々身体に刺さり、痛みに声を上げます。


 しかしイーリョウさんは咆哮を上げながら、私に向かって突撃してきました。


「ぐへぁ……」


「まだまだぁ!!!」


 顎の下から殴りあげられた後、続け様にボディに二発、顔面に一発ジャブをもらい、目の前がチカチカします。


「オラァアアアッ!」


 トドメと言わんばかりの蹴りが胸に突き刺さり、私は身体ごと吹き飛ばされました。


 吹き飛んだ私の身体は中庭にあったベンチに激突し、けたたましい音と共にそれを破壊しながら、背後にあった石垣の花壇にぶつかります。


「がっは……ッ!」


 蹴りと吹き飛んで背中を石垣に強かにぶつけた衝撃で、私は血を吐きました。体内のどこかで、出血を起こしたのでしょうか。口の中に鉄の味が広がります。


「トドメだッ!」


 そう言ってこちらへと一直線に走ってくるイーリョウさんを見て、一度血の混じったツバを吐いた私は、右手を真っ直ぐに伸ばし、体内のオドを魔力へと変換します。


 この状況で使えそうな魔法なら、これしかありません。これなら、もしかしたら……。


「"黒炎環(B.F.サークル)"ッ!」


「チィ!」


 頭の中に思い描いた魔法陣を手のひらの先で展開し、私の目の前の地点に天にも届かんとする円状の黒い炎を地面から出現させました。


 勢いのままにこちらへ向かってきていたイーリョウさんは、下から立ち上る黒炎をモロに喰らいます。


(やった……ッ!)


 確かな手応えに、私は心の中で歓声を上げました。殺さないようにオドの量を調整して威力は抑えてあるので、まかり間違っても死んだりはしないでしょう。


 以前、ガントさん達も一撃で倒せましたし、これならもう……。


「……甘いねえ、男の子」


「な…………ッァ!?」


 すると、立ち上る黒炎を破ってイーリョウさんが突進してきました。焦げ付いた身体から容赦のない抜き手の一撃を私の喉に叩き込みます。


 咳き込むことすら許されない激しい一撃に、私は血を吐くだけでしか反応できませんでした。


「……よーやく、大人しくなりやしたか」


「ッ! ッァ!?」


 喉から尋常じゃない痛みが出てきて、声も出すこともできないまま、私は喉を押さえてのたうち回ります。


 やがて痛みから脳内麻薬も切れてきたのか、激しい疲労感とそれまでに負った身体中の痛みが蘇り、遂にはのたうち回ることすらできなくなりました。


「あんたの黒炎、確かに危なかったよ。でもなぁ。あんた、殺さないように手加減したでしょ? 駄目だよー、プロ相手にそんな手心加えちゃあ」


「…………ぁ……ッァ…………ァァァ……ッ!」


 やがて纏っていた黒炎も角も何もかもが消え、人間の身体へと戻ったその時、蓄積された疲労感と痛みに加えて、黒炎を使用した際に動き出す呪いがこの身を這いずり始めました。


 声にならない叫び声を上げ、意識が飛びそうになります。


 しかし、不意に身体中の痛みがなくなりました。痛すぎるとショック死しないようにと脳みそが痛みをシャットアウトすると聞いたことがありますが、もしかしてそれが私の身体で起きているのでしょうか。


 目を開けて見ると、呪いが身体を這いずっている様子がはっきりと解るのに、ちっとも苦しくありません。


「う~わ。なんかの呪いまでかかってんの、あんた? 気の毒だねぇ。かじり聞いただけだけど、あんた、知らないどっかから勝手に連れてこられたんでしょう? こんな若い時から可哀想に……」


 そんな同情的な言葉をかけつつも、さっさとイーリョウさんは私の身体を担ぎ上げます。


 言葉とは裏腹に、逃がすつもりはさらさらないのでしょう。


「でもま、運が悪かったと思って諦めてくだせえ。あっしはあんたを連れ帰れば大手柄だ。今じゃあんたからもらった傷や怪我の痛みさえ、苦労の証と誇れるよ。さあて、さっさとずらかるとしやすか。善は急げ、ですな」


「……まだ……終わりじゃ、ないですよ……」


 勝ち誇り、さっさと逃げようとするイーリョウさんに向かって、私はかすれる声をかけます。


 そうです。まだ、終わりじゃありません。


「あん? なんですか男の子、負け惜しみですか? 止めときなさい。男は諦めが肝心ですよ。前魔王様の黒炎を使っても、あっしを倒せなかったんだ。もう何をしても無駄無駄」


 痛む喉を気にしつつゆっくりと、私は口を開きます。


 何故突っ込んでくるイーリョウさんに対して防御用の魔法である"黒炎壁"ではなく、"黒炎環"を使ったのか。その理由がここにあります。


「さっき……放った、"黒炎環(B.F.サークル)"は……結構、空高く、上るんですよ……それこそ……グラウンドにいた人たちにも……見えるくらい、に……」


「は? ……あんた、まさか……ッ!?」


 何かに気づいたイーリョウさんが声を上げますが、もう遅いです。


「私、という……手柄に、目がくらんで……周りが見えなく、なった……貴方の、負けです……」


「その学生殿を離すでありますッ!!!」


 自分の耳にあの力強い声が聞こえてきて、私は笑みを浮かべました。

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