第39話 帰り道、二人


「あ、マサト……」


 その日の放課後。グッドマン先生にとっ捕まったまま兄貴とマギーさんは生徒指導室で補修中、他の先生に頼まれごとがあったオトハさんと別れて、一人で男子寮に帰ろうとしていた時。


 下駄箱のところで不意に声をかけられました。私が顔を上げると、そこにはウルさんの姿があります。肩掛けカバンを斜めにかけて、いかにも今から帰ります、といった様子です。


「あ、ウルさん……」


 お昼の事もあり、何となく気まずい空気が流れています。私からまたご一緒しましょうと言ったのは事実ですが、こうも早くに一緒になるとは思ってなかったので、まだ心の準備が。


 そうこう悩んでいると、ウルさんの方から声をかけてきました。


「ボク、一人暮らしなんだけど、家は男子寮の近くなんだ……良かったら、途中まで一緒でも、いいかな?」


「……はい」


 その誘いを断ることは、もちろんしませんでした。それくらいお安いご用ですよ。二人で靴を履き替えて学校の正門を抜け、隣に並んで道を歩いていましたが……その間、特に会話らしい会話はありませんでした。


「…………」


「…………」


(き、気まずい……ッ!)


 しばらく歩いていましたが、互いに何の言葉もかわさないまま、ただ景色が流れていくだけです。しまった。こういう時にどうしたらいいのかが解りません。ご一緒しましょうと言ったのはこちらなので、私から何か言わなければならないのは解っているのですが。


(それこそ合宿の時は、何も気にせずに適当なことを喋っていましたが……)


 思い返してみると、あの時は鬼面の顔が変だったとか、本当にくだらないことで声をかけていましたね。よし、今回もこれで行きましょう。さすがは鬼面。こんな時でも役に立ちます。


(……って、今日の午後は兄貴達の補修で鬼面の顔見てなかったーッ!)


 と思ったら、今日の午後は兄貴とマギーさんの補修で鬼面はずっと生徒指導室に篭もりっぱなしでした、ガッデム。くそう、兄貴め。しかし昨日のサボりは私のためということもあり、強くは言えません。そうなると、私はこのやり場のない怒りを一体どこに向けたら……。


「……マサトは、さ」


「はいいぃぃッ!?」


「……なにびっくりしてるのさ?」


 一人で考え込んでいたら、不意にウルさんから声をかけられました。思わず飛び上がってしまいそうな驚愕を覚えて、声が上ずってしまいます。


「い、いえ、何でもありません。ほら、私って変ですから……」


 言ってから、また頭を抱えます。何を言っているんだ私は。墓穴を自分で掘って何が楽しいのでしょうか。あっ。もしかしてこれは、穴があったら入りたいの穴を自分で掘っているのですね。なるほど、理解しました。レッツセルフ埋葬。いや、バカ言ってる場合ではありません。


「……フフフ。そうだね、マサトは変だもんね」


「……はい」


 また笑われました。いえ、気まずい沈黙よりもウルさんが笑ってくれたのは良いのですが、こう、何というか、また私自身の大事な部分を犠牲にしたかのような感覚が。


「じゃあ変なマサト。一つ聞きたいんだけど……どうしてボクのこと、信じてくれたのさ?」


 ウルさんの目は、真剣でした。


「ボクはハーフだし、マギーちゃんやエド君の言う通り怪しさ満天だよ? 普通は彼らみたいに、お前は一体なんなんだって問い詰めてきてもおかしくないくらいだ……でも君は、ボクを庇ってくれた……どうしてだい?」


「……どうして、と言われましても……」


「何か理由があるんでしょ? こんなボクを庇ってくれるなんてさ……お金かい? 正直、あんまり持ってないんだけど……それとも、ボクの、身体目当てかい?」


「断じて違います」


 どうして私がお金や女の人の身体目当てで親切をする輩だと思われいたのでしょうか。自分で変とは言いましたが、変態という意味ではありませんとも、はい。兄貴とは男子として当たり前の事を語り合っているだけですし、断じて変態ではありません。多分。


「そっか……そうだとしたら、ボクも納得しやすかったんだけどな……」


 それを聞いたウルさんは、少し悲しそうな顔をしました。


「お金が欲しいって言うなら、頑張って用意するよ。ボクの身体が目当てだって言うなら……ちょっと恥ずかしいけど……マサトなら、いいかなって……思ったりも、したよ……でも、違うんだよね?」


 何でしょうか。今、私は、物凄く惜しいことをしたような気がします。大人の階段を登る、絶好のチャンスを。何気なしに振り払ってしまったような。


「…………。はい、違います」


「……あっ。今悩んだでしょ?」


「そんなことはありません」


「またまた~」


 そっぽを向いた私に向かって、ウルさんがすり寄ってきます。


「どう、ボクのは? マギーちゃん程は大きくないけど、柔らかいよ~」


 そのまま彼女は私の腕を絡めて、自身の胸を押し当ててきました。彼女のいい匂いが鼻をくすぐった直後、私は全身の神経を当てられている右腕に集中させます。この温かく柔らかい感触を、脳髄に刻みつけるために。


「……ま。戯れはこの辺にしておこうか」


「あっ……」


 少しして、あっさりとウルさんは離れていきました。あまりの名残惜しさに、思わず声を漏らしてしまいます。


「……健全な男の子としては正しい反応かもしれないけど、話を戻すよ。今はボクの質問に答えてよね」


「アッハイ」


 フフフ、っと笑ったウルさんが、再び私に向かって問いかけました。


「マサトは、お金でも身体目当てでもないのに……どうしてボクを庇ってくれたんだい?」


「……そんなこと、単純なことですよ」


 聞かれた内容は先ほどと同じ。最初に聞かれた時から、私の答えは決まっていました。特に深く考えることもない、ありふれた答え。




「ウルさんは私の友達だからです。友達のことを信じるのは、当たり前じゃないですか」


「    」




 私のその言葉に、ウルさんは口を開けて固まってしまいました。あれ、私、何か変なこと言ったでしょうか。


「……それ、だけ?」


「はい、それだけです」


「……お金とか身体とかもなし?」


「なしなし」


「誰かに、頼まれたとか……」


「いえ全然。と言うか誰かって誰です?」


「……………………」


 矢継ぎ早に質問してくるウルさんに、私も思ったことをそのまま返します。やがて質問を終えた彼女は、呆気に取られたように黙っていましたが、少しして、微笑み始めました。


「……フフ、フフフフフ……あは、あっはっはっはっはっはっはっはっはっはっは! そうか、そうだったんだ、君ってホントにそういう人だったんだね! うん、納得したよ。下手に勘ぐってたボクがバカみたいだッ!」


「もしかして私の事バカにしてます?」


 嬉しそうに、愉快そうに、そしてどこか安心したかのように、ウルさんは笑っています。それはいいんですが、私の事バカにしてませんか、うん。


「バカになんかしてないさ。ボクは君みたいな人、好きだよ」


「え……ええええっ!?」


 と思っていたら急に告白紛いのセリフが飛んできました。急な衝撃に、対ショック体勢も整っていなかった私の心がビクンッと反応します。


「ま……また私の事からかっていますね!」


 しかーし、今度の私はそう簡単にはいきませんよ。以前、ウルさんの冗談紛いの言葉で痛い目に遭っていますからね。復習は万全です。同じ手が通用すると思っているなら、甘いですよ。


「……うん。今は、それでいいや……」


「はい?」


「なんでもないさ。こっちの話」


 よく聞こえませんでしたが、何故かウルさんは笑っていました。しまった。気づかない内にまたからかわれていたのでしょうか。油断大敵火がボーボー。変なところに燃え移る前に対処しなければ。


「……そっかそっか。うん、決めた。マサト、ボクと勝負しないかい?」


「……勝負、ですか?」


 すると、ウルさんが何やら提案をしてきました。勝負、とは。一体何で勝負しようと言うのでしょうか。


「そう、勝負さ。今月末にクラス対抗白兵戦があるだろ?」


 そう言えば、今朝グッドマン先生も同じような事を言っていたような気がします。まだ配られたプリントをきちんと読んではいないのですが。


「あれでさ、勝負をしようよ。ボクと君で大事なものを賭けてさ」


「それは構いませんが……賭け勝負? 何を賭けるんですか?」


「ボクの秘密さ」


 ウルさんの、秘密? それは一体……。


「ぶっちゃけて言っちゃうと、マギーちゃんやエド君の心配通り、ボクにはある秘密がある。結構大きいのがね。もしマサトが勝負に勝ったら、君だけにボクの秘密、教えてあげるよ」


「え……えええっ!?」


 ぶっちゃけたウルさんの言葉に、私は仰天します。ウルさんはやはり何かを隠していたと。そしてそれを、勝負に勝てば教えてくれる……どうしましょう、状況に理解が追いついていきません。


「どうだいマサト。ボクの秘密、知りたくない?」


「そ、それは、その……知りたい、ですが……」


 秘密があると言われてしまえが、気になってしまうのが人の性。素直に知りたいと思ってしまいました。しかし、マギーさんや兄貴が懸念していたような秘密とは、一体……?


「うんうん。じゃあボクはボクの秘密を賭けるね。大丈夫大丈夫。君に迷惑をかけるような秘密じゃないからさ。それはそれとして、勝負してくれるなら、マサトは何を賭けてくれるんだい?」


「え、えーっと……」


 お返しに私も自分の秘密をと思いましたが、喉元まで来たその言葉を飲み込みました。私の秘密。私が現魔王であり、黒炎の力を宿していて現在魔国に追われていること……駄目です。とてもじゃないけど、簡単に賭け事の担保にできるような内容ではありません。


「その、えーっと、うーん……」


「……思いつかないなら、ボクから提案があるんだけど、どうかな?」


 何を賭けたらいいかと色々考えていたら、ウルさんから提案があると言われました。何でしょうか。私の貞操とか賭けられるんでしょうか。と言うか、女性ってそんなものもらって嬉しいのでしょうか。全く解りません。


「じゃあ、とりあえず聞くだけ……」


「そうかい。ボクの提案は、マサトは自分を賭けるっていうのはどうかな?」


 聞いた私の頭の上にハテナマークが大量に浮かび上がります。自分を賭ける? 一体、どういう意味なのでしょうか。予想もしていなかった提案に、私は混乱します。


「……あっ、解んないって顔してるね。何、そんなに難しい話じゃないさ。マサトはボクに負けたら、ボクのものになるってことさ。ボクの言いなりになる、って言った方が解りやすいかな?」


「ああ、なるほど。そういうことでしたか」


 そう言われると解りやすいですね。なるほどなるほど。私は負けたらウルさんのものになると。つまりは従者というか奴隷というか、そういうサムシングなやつって訳ですね。うんうん。


「……って、ええええええええええええっ!?」


「あっはっはっは! それそれ! その反応が欲しかったんだ!」


 素っ頓狂な声を上げた私を、ウルさんが高らかに笑います。


「そ、そ、そんなこといい訳ないでしょうッ!?」


「でも実際、マサトは何を賭けてくれるっていうのさ。ボクはボクの秘密っていう、結構大きなものを賭けるんだよ? マサトはそれに匹敵する何かを持っているのかい?」


「え、えっとですね……」


 同じくらいかは解りませんが、大きい秘密なら私も持っています。しかし、それは絶対にテーブルには乗せられない類のものです。オトハさんとの約束もありますし。そうなると、私としても賭けられるものなんてそうそう見つからないのも事実なのですが……。


「だったら、自分自身を賭けてもいいじゃないか。大丈夫大丈夫。勝てば問題ないさ。それとも、マサトは自信ないのかい? 女の子のボクにも勝てないって」


「そ、そんなこと……ありませんが」


「じゃあ問題ないよね」


 何だか勢いに任せて承諾してしまったかのような気がしますが、本当に良かったのか私。自分自身を賭けるとか、負けたら何をされるか解りませんよ。ウルさんの実力も解りませんし、もし彼女が兄貴やマギーさんレベルの猛者だったら……うん、よし。ここは手遅れになる前に一度時間をくださいと申し出るべきですよね。


「や、やっぱり私は……」


「あ、そうだ」


 私が口を開こうとした時、ウルさんがそれを遮るかのように話し始めました。


「マサトだけが自分を賭けるのが不服って言うなら、秘密込みで、ボクも自分を賭けよう。どうだいマサト。これなら文句ないだろ?」


「へ?」


 ウルさんも、自分を賭ける? そ、それってつまり。


「つまり、だ。もしマサトが勝ったらさ、ボクのこと……好きにして、いいんだよ……?」


 そう言ってウルさんは艶かしい表情で胸元を開け、もう片方の手でスカートの裾を少しずつ上げていってみせます。うっすらと谷間が見える綺麗な胸元に、夕日を浴びて扇情な雰囲気を醸す太もも。それを見た私は思わず生唾を飲み込み、かけようとしていた言葉をも飲み込み、欲望が勝手に口を動かしました。


「……それ、なら……私は別に……」


「決まりだね」


 聞くや否や、ウルさんはササッと胸元とスカートを元に戻し、ニカっと笑ってみせました……しまった、嵌められた!?


「これで賭け勝負は成立だね。いやぁ、月末が楽しみだなぁ~」


「い、い、いや、その、あの!」


「どうしたんだいマサト。まさか今更止めるなんてカッコ悪いこと言わないよね~?」


 ニヤ~っとウルさんが笑ってみせます。ただでさえ彼女の色気に負けてオッケーしただけでもカッコ悪いというのに、更に情けなく申し出よう、なんて……確かに……私のなけなしのプライドが、こう、なんと言うか……。


「……いえ。なんでもありません、はい」


「りょ~かい」


 完全に手球に取られていた感は拭えませんが、要は勝てばいいのです、勝てば。勝てば官軍。勝ったほうが正義。昔からよくそんな言葉があります。負けなければ、間違いにはならないはず。これでいいの、ですよね……?


「フフフ。マサトってばホント面白い。あっ、ボクはこっちだから。今日はここで失礼するね」


 いつの間にか分かれ道に来ており、ウルさんは男子寮とは違う方への道へと進んでいきます。


「あっ、そうそう。賭け勝負のことだけどさ」


 さようならを言おうと思ったら、不意にウルさんが振り返りました。


「みんなには内緒だよ」


 夕日を背景に振り返って、自身の唇に右の人差し指を当てたまま、ウインクしながら彼女はそう私に微笑みかけました。

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