第40話 彼女の背後には


「茶番ですねえ」


 マサトと別れたウルリーカが帰り道を歩いていると、不意に虚空から声をかけられた。既に陽はほとんど暮れていて、夜といって差し支えないくらいに辺りは真っ暗である。彼女はそれに大して驚きもせずに返事を返す。


「……それはどういう意味かな? イーリョウ?」


「青春って言った方が良かったですかねえ。いや、言い回しってやつは難しい難しい。何せあっしには、学がないもんで」


 返事が来たところで、彼女が振り向いた。そこにはいつの間にか、イーリョウと呼ばれた魔狼が一人、立っていた。黒い装束で全身を覆っており、目元以外の顔も巻布で隠してあるため、ウルリーカには彼の表情が読み取れない。


「あっしへの定期報告に来ないから何かあったのかと見に来てみれば、人間の男の子と青い春を楽しんでらしたのでね。一応終わるまで待ってたんすから、お礼の一つでももらえると嬉しいんですが」


「……覗き見してた奴に、お礼なんてないさ」


 先ほどまでの様子が見られていたと知ったウルリーカは、少し顔を赤らめながら不機嫌な様子を見せる。イーリョウはそれに対して特に気にした様子もなく、言葉を続けた。


「そっすかい。んで、結局テステラに現れた魔族の事件については何か解ったんですかい? この事件を調べて報告するのが、あんたの任務でしょうが。あっしだって、上司に報告しなきゃならないんですけどね」


「……解ってるよ」


 ため息を一つついたウルリーカは、イーリョウに対して今まで調べて解ったことを順番に報告していった。それをふむふむと聞いていたイーリョウは、報告が終わった後に再び声をかける。


「……その魔族とやらは、それ以降現れてないってことですかい?」


「今のところはそうだね。その事件の時に殺されたり人国に捕まったという事実はないみたいだから、未だに行方は不明さ」


「……そっすかい。じゃあ、調査は引き続きしてもらいますかな。次の報告はひと月後でいいっすよ。行方不明の魔族を見つけたり、手がかりを見つけたりしたら、その時に連絡くだせえ。じゃ」


「待ってよ!」


 そう言って踵を返したイーリョウに向かって、ウルリーカは声を荒げた。


「行方不明の魔族を見つけろ? まだ調べさせるって言うのかい!? 首都での魔族出現の事件を調べるのに協力したら、ボクを魔国へ連れてってくれるっていう話じゃないか! いつになったら……」


「あー。そーいやそんな話でしたっけね」


 首だけウルリーカの方を見たイーリョウは、やれやれといった様子でため息をつく。


「もちろん。事件を調べるのに協力してくれた暁には、契約通りあんたを魔国へ連れて行きやすよ。でもです。まだ調査自体は終わっていないじゃありやせんか。行方不明です、以上、じゃこっちも納得出来ませんのでね。あんたとあっしらの双方が納得してこそ結んだ契約じゃないですか。違いやすかい?」


「…………」


「いーじゃねーですか。こっちにいる間は、あのお気に入りの男の子と思う存分イチャイチャしてられやすし。こっちはこっちで忙しい身で……」


「……ボクには、」


 イーリョウの言葉を遮って、ウルリーカは口を開く。


「ボクには。同じ魔族の仲間だと言ってくれた君たちが、ボクのことを遠ざけようとしているようにしか、見えない……」


「そりゃあ被害妄想ってやつでさ」


 しかし、反抗的に言い放った彼女の言葉も、あっさりと彼は返してしまう。


「あっしが言いたいのは、魔族だハーフだ関係なしに、交わした約束を守ってくれる奴なのか否か、ってことが大事なんすよ。そこに種族だなんだは関係ねーっすよ。誰だろうが、約束を守らない奴は信用できない。約束を守れない奴の言うことを、こっちが聞いてやる必要もない。違いやすかい?」


「~~~~っ!」


 言い返されたウルリーカは黙り込んでしまった。うつむき気味で、歯をギューと噛み締め、拳を握りしめたまま。


「あっしは何も、あんたを魔国へ連れていかないとは言ってない。連れて行って欲しかったら、ちゃんとやることをやってくれって話でさ。わかりやしたかい? じゃ、あっしはこの辺で。あんまり姿出してるのも危ない身なんでね」


 そう言われた彼女が顔を上げると、そこにイーリョウの姿はなかった。


「……一体……」


 一人残されたウルリーカは、噛みしめるように言葉を漏らす。


「一体、いつになったら……会えるんだよ……ボクは……いつまで……頑張ったら……」


 いつの間にか、彼女の目には涙が浮かんでいた。握りしめている拳は震えており、我慢できなくなった彼女は右足でドンっと地面を踏みつける。


「……………………お父さん…………」


 震える声は、幼い頃に自分を可愛がってくれた、そしていつの間にかいなくなってしまった、父親を呼んだ。それに応えてくれる者は、ここにはいなかった。



「駄目ですね、ありゃ」


 ウルリーカから離れた一目のつきにくい場所で、イーリョウは遠隔で通話ができる拳くらいの大きさの丸い魔水晶、通称遠話石を用いて報告を上げていた。すっかり暗くなった夜空に浮かぶ丸い月が、柔らかく辺りを照らしている。


「あの嬢ちゃん、ロクな情報を持ってきませんぜ。手がかりも何もなく、行方不明だってさ」


『……そうか。少しは期待したんだが』


 報告を上げる相手は、人国内に侵入している魔狼部隊の長、ヴァーロックである。


「あっしが本腰入れて調べられればいいんですけどねえ。あっしはあっしで、人国内の政府関係者張ってるだけで精一杯ですよ。なんか最近も、妙な動きを見せてやすし……」


『問題ない。お前はお前の任務をこなしているから、それで良い。お前の報告には、いつも助けられている』


「そりゃありがたいこって」


 自分の仕事が助けになっていると言われ、少し笑みを浮かべるイーリョウ。軽く流しているようにも見えるが、魔将軍候補とまで言われた程の方に信頼されているという実感は、彼の自尊心を高める。


「それじゃ。旦那の期待に応えられるように頑張りやすかね」


『頼んだ。半魔に任せていた首都での魔族の出現についての件はどうする?』


 ヴァーロックが口にした"半魔"という単語。人国で人間と魔族のハーフが半人と蔑まれているように、魔国での彼らは半魔と呼ばれて蔑まれる。要は、魔国で使われているハーフの人への蔑称である。


「ひと月後の報告でロクな結果が無かったら、あっしの方で適当に"処理"しても構いませんかね? 半魔なんざに頼むくらいだから、どうせそこまで重要な案件でもないのでしょう? その件については、あっしの余裕ができたら調べておきやすので……」


『解った。よろしく頼む』


「りょーかいでさ」


 そうして、イーリョウは通話を切った。遠話石をしまうと、ふう、と一息つく。


「……わざわざ書類を偽装して、士官学校へ裏口入学までさせてやったってのに……しかも仕事そっちのけで人間の男の子に熱を上げて……所詮は半魔でしたか。ま。例え半魔がヘマしたとしても、あいつの持ってる情報程度でこっちの足がつくことはそうそうないんですが」


 立っていた彼はその辺に腰を下ろすと、再度息をついた。


「……後は向こう次第ですわ。ちゃんと役に立つならそれでよし。ちゃんとしてくれるなら、こちらも誠意を返そうじゃありませんの。何もできなかったり、こっちに不利なことをしようものなら……」


 彼はそこで、ニヤリ、と笑った。口元は巻布で見えないが、おそらくは歪んだ笑みを浮かべているだろう。


「……捨てるも良し、使い潰すもよし。身売りって手もありやすね。最近、あっしの懐も寂しかったですし……半魔の嬢ちゃんで、小遣い稼ぎさせてもらいやすか」


 くっくっくっく、と静かに笑う彼の元に、風が吹き込んだ。周りの木々が一斉にざわめき始め、まるで彼の笑いに呼応しているかのようにも見える。


 やがて一際強い風が吹き抜けた時、そこにイーリョウの姿はなかった。

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