第10話 溢れたもの


「……ここよ。中に入って」


「さっさと行け」


「ま~……足元には気をつけるっちゃよ……」


 竜車の中で過ごすこと少しして、私達は森の中の山肌の前で降ろされました。あの三人に促されて、私達はその山肌にある洞窟に足を踏み入れます。


 入り口は草木で隠されており、パッと見では解りません。水の流れている音も聞こえているので、あのルイナ川も近くにあるのでしょう。


 たどり着いた時にはすっかり日が暮れていました。暗い森の中にあるこれまた暗い洞窟の中に入った私達は、中で焚き火をしつつ、ちょっとした岩に腰掛けた中年太りをした男性に迎えられます。


「いやー、どうもどうも。皆さんおつかれさまでした。上手くいって何よりです。おお。小さなお客さんが二人も。こんな魔族の国で怖かったでしょう。よくここまでたどり着きましたね、歓迎しますよ。こんな洞窟の中で申し訳ありませんが」


 焚き火の上にはお鍋が吊るされており、何かスープのようなものがグツグツと煮られています。調理中、でしょうか。


「私はジュール=ヤカーと申します。君たちを連れてきてくれた彼らの、まあ上司ですな。よろしくね」


「ど、どうも。マサトと言います。こちらはオトハさんです……」


 とりあえず、自己紹介を交わしました。私の言葉に続いて、横にいるオトハさんが頭をペコリと下げます。


 赤色の頭はオールバックになっていて、常に笑顔を絶やさず物腰の柔らかいのがこのジュールさん。パッと見て悪い人には見えません。


 しかし、先ほど竜車の中でここまでの経緯を話してから、あの三人の態度は腫れ物を扱うかのようになりました。特に、にこやかに話しかけてくれていたルーシュさんは、はっきりと解るくらいによそよそしくなっています。


 その為、同じ話をしたらこの人も態度を変えるのではないか、という懸念があって、どうしても身構えてしまいます。


「はい、よろしく。緊張しなくても大丈夫ですよ。隊長なんて呼ばれてますが、なにぶん歳でして、昔みたいにガツガツ行けなくなってしまってね……」


「隊長。無駄話はその辺で」


 割って入ったのはマッドさんでした。ジュールさんの耳元でなにかを囁いたかと思うと、スタスタと外の方に行ってしまいます。持ってきた荷物でも下ろすのでしょうか。


「……ふうむ」


「……あの、何か……?」


 その囁きが終わったかと思うと、ジュールさんはあごに手を当てて考えるような仕草をしました。張り付いているような笑顔も崩し、難しそうな顔をしたまま私の方を見てくるので、思わず声をかけてしまいます。


「……簡単には、今マッド君から聞きましたが。よければ貴方のお話、私にも聞かせてもらえませんか? マサト君」


「……はい」


「……っ」


 私のお話を聞きたいと、そう言われました。オトハさんが不安そうに、私の方にすり寄ってきます。


 こうなってしまったら、嘘をつくこともできません。ここでさっき言ったことは全部冗談です、なんて言っても、済むことはないでしょう。場合によっては、信用されないだけでは済まないかもしれません。


 観念した私は、最初から順番に、ジュールさんに今までの経緯を話していきました。


「…………」


 話を終えた後。ジュールさんは難しそうな顔をしていました。


「隊長。これは由々しき事態だ」


「……そうよね」


「そうっちゃそうっちゃ」


 いつの間にか、マッドさん、ルーシュさん、カイルさんの三人が集まってきています。荷物の積み下ろしが終わったのでしょうか。私とオトハさんの後ろにいる三人は、少し息が上がっているように感じます。


 これはよく解りませんが、不味いかもしれません。何となく、ですが。


「現魔王が我々の手元にあるのだ。こんな事態、ここだけで判断はできん。即刻、本国に連絡して、この子どもを引き渡すべきだ」


「そうっちゃね~……おれらじゃど~にもできんちゃよ、こんなの」


「……また、戦争が起きるの、ね……あんな……戦争が……また……」


「仕方ね~っちゃよ、ルーシュ。今の王様は好戦的っちゃし、前魔王を瀕死にまで追い込んだ英雄でもあるっちゃ。前魔王の死と、現魔王がこちらの手にあることを知ったら、嬉々として動き出すっちゃね~」


「それなら……っ!」


 突如として、ルーシュさんが腰の剣を抜きました。切っ先が、私の方に真っ直ぐと向いています。


「ここで、この子を殺せば……あたし達が口を閉ざしていれば……戦争なんてっ!」


「お、おい! な、な~に言ってるっちゃルーシュ……」


「……そうだな」


 続いて、マッドさんも自身の腰にある剣を抜きました。


「ここでこの子どもを始末できれば、何も無かった、で終わらせられる」


「ま、マッドまで何言ってるんちゃ。そ、そんな勝手なことして万が一バレたりしたら……」


「っ!」


 危険を察したオトハさんが振り向き、敵意むき出しの目で剣を向ける彼らを睨みます。いざとなれば、あの魔法を使う気なのでしょう。


 また、私のせいだ。


 バカ正直に話したりなんかしなければ、ただの被害者として、助けてもらえたかもしれないのに。そもそも逃げたりなんかしなければ、私一人が酷い目に遭うだけで済んだかもしれないのに。


 内側から自責の念が湧き上がってきますが、ここで後悔して何もしない訳にもいきません。それでは何のために逃げてきたのかすら、解らなくなってしまうじゃないですか。


 私も振り向き、利き手のひらを前に出しました。魔法を撃てる、手のひらを。


「……やる気なの、あなた達?」


「……抵抗するなら、容赦せん」


「や、やるんちゃか~?」


 構えた私達を見て、カイルさんが腰につけた剣を抜きます。その瞬間、三人の雰囲気が一気に変わりました。これが殺気、という奴なのでしょうか。猛烈な敵意を向けられていることを、肌に感じます。


 果たして、プロであるこの三人を相手に、何とかなるのでしょうか。何とかならなければ、このままここで殺される。そう思った瞬間、身体から冷や汗がぶわっと吹き出し、手足が震え始めました。


 怖い、怖い、怖い、怖い。死にたくない、死にたくない、死にたくない、死にたくない。心がそう叫んでいます。


 死にたくないなら、戦うしかない。自分にできること、あの魔法を使って。しかし、オーク族ですら一撃で燃やし尽くしたあの黒い炎の魔法。人間に撃ち込んだら、一体どうなってしますのでしょうか。


 正直、考えたくもないですが、ここで殺されるくらいならいっそ……。


「おやめなさい」


 一触即発という雰囲気の中。少しして、ジュールさんは表情を崩しました。このピリピリした空気の中、その声色は最初に聞いた時と同様に柔らかなままです。


「三人とも、武器を下ろしなさい。この子たちが怖がってますよ」


「隊長!」


「隊長っ! なんでなのよ!?」


 武器を構えたまま、マッドさんとルーシュさんの二人が声を上げます。


「ここでこの子を殺せば、あたし達が何も知らなかったで済ませば、戦争なんて起きないのよ!? こんな立場の子を魔族が放っておくはずもない! こちらにいるなんて知られたら死ぬ気で取り戻しに来るに決まってる! それが戦争再開の大義名分にもなってしまうかもしれない! それならいっそ、何もなかったことにすれば……」


 吠えるような勢いのルーシュさんに対しても、ジュールさんは調子を崩しません。これだけの剣幕で声を上げられているのに平然としています。


 この人、凄いです。私なんて、先ほどから内心ビクビクしっぱなしだというのに。


「ルーシュさんのおっしゃることも解ります。私も政治についてはよく解りません。軍人一筋で生きてきましたから。この子のことを本国のお偉方が知ったら、一体どんな反応を示すのか。せっかく停戦になった戦争が再び始まるのかもしれない。それも解ります」


「だったらなんでだ隊長! アンタだって常々、戦争なんか嫌だと言っていたじゃないか!」


 ルーシュさんに続いて、マッドさんが声を上げました。低く、お腹に響くような怒号に、私は思わず身震いします。


「……そうですね。私は、戦争が嫌いです。だって人が死ぬんですもの。やらないに越したことはない。軍人のくせにこんな考え方をしているから、停戦中の敵地に潜入しての情報収集なんて嫌な任務を与えられたのでしょうな。最悪、死んでしまってもいいような、こんな危険な任務を。昔から、上の方々との折り合いはどうも上手くいかなくてね。こんな危ない所にまで付いてきてくれた皆さんには、感謝しきれません」


「だったら……」


「ですが」


 ジュールさんはマッドさんの言葉を遮りました。 


「戦争は嫌ですが、かと言って何も知らない子どもを殺すのはいけません。だって私は、こういう子ども達を守りたくて、軍人になったのですから」


「「「っ!」」」


 その言葉に、構えていた三人は目を見開いていました。


「戦争が嫌いな私が、何故軍人を志したのか。それは、守りたかったからです。彼らのような未来ある子どもたちを、大人の都合で起きる戦いの炎からね。口ばかり達者でも、力がなければどうしようもないのが世の中の常。ならば、少しでも力をつけたいと、誰かを守る力をつけたいと思って、私は軍人になりました。そうして最終的には、戦争を終わらせたいと。あなた達はどうですか?」


「…………」


「…………」


「…………」


 三人の方々は黙ってしまいました。いつの間にか、武器も下ろしてくれています。


「うんうん。皆さんは、こんな奇特な私についてきてくれましたからね。解ってくれると信じていましたよ。ほら、まずは怖がらせてしまったことを謝らないと」


「……すまなかった」


「……ごめんなさい、二人とも」


「……申し訳ないっちゃ」


 抜いていた剣をしまい、三人はこちらに向かって頭を下げました。それを見て、私も伸ばしていた手を下げます。


「ごめんね、二人とも。みんな、悪い人じゃないんです。許してやってくれませんか? このとおりです」


「い、いえ、その……」


 再びジュールさんの方に振り返ると、ジュールさんも頭を下げていました。


「えっと……はい、大丈夫、です」


「そうですか。ありがとうございます。オトハさん、でしたっけ? オトハさんも怖がらせてしまってすみません。許していただけますかな?」


「…………」


 そのままオトハさんにも話が振られます。オトハさんは少し迷うような表情をした後に、コクンっと頷きました。許してくれる、みたいです。まだ少し、怖がっているようにも見えますが。


「お二人とも、ありがとうございます。正直、許されなくても仕方ないかな、とは思っていましたので、本当に嬉しいです……そして、二人とも。今まで本当に大変でしたね。お身体は大丈夫ですか?」


 ……えっ?


「な、にを……?」


「お身体ですよ。聞いただけですが、こちらに来てから魔族に捕らわれて、随分と痛い思いをしたご様子。ならば、その身体は大丈夫かと聞くのは、不思議なことですかな?」


「い、いえ……」


 まさか、身体の心配をされるとは思っていませんでした。そんな言葉を聞けるとは考えてもいなかったので、動揺してしまいます。


「そうですか。どこか調子が悪かったら、すぐに言ってくださいね……正直に言いますと、前魔王が死んでいて、君が今の魔王という事実は、かなり驚くべきことです」


「…………」


 どうやら、彼らが考えていることを、話してくれるみたいです。


「当たり前ですよね。今まで戦っていた国のトップが、偶然こちら側に来てくれた。敵国をやっつける、ということを前提に置けば、人質にするなり殺すなり……私の貧弱な頭ではこれ以上思いつきませんが、きっと色んな手段が考えられるでしょう」


 国の方針はよく解りませんが、私の魔王という立ち位置がとてつもなく面倒なものであることは何となく解りました。


「人間と魔族は停戦中とは言っても、水面下ではいつ戦いが再開されるかは解らない状況。薄氷の停戦条約、なんて巷では言われているくらいです。ちょっとのきっかけで、すぐに戦争は再開されるでしょう。ウチの国も、現国王様はそのつもりでいらっしゃいますからね。いつでも再戦できるように備えろ、戦いはまだ終わっていない、と」


「……それじゃあ、私は、この後……」


 どうやら、私という存在はこの世界で、戦争の引き金を引きかねないほどのかなり危ないものということです。となれば今後、私の身柄はそれ相応に扱われるはずです。


 少なくとも、自分の自由にできるようなことはなく、また誰かの都合で動いていくのでしょう。


 こんなことになるなら、話さなければよかったのでしょうか。私の所為でしょうか。バカ正直に全部話さず、ただ逃げてきただけだとしていれば、こんなことには……また、私が悪いということに……。


「いえいえ。まだ早とちりしてはいけませんよ」


 悲観していた私に向かって、ジュールさんは否定の言葉を投げてきました。


「あなたは現魔王だと言いますが、それ以上に、あなたはあなただ。望んで魔族についた訳でもなく、悪意があって人間を裏切った訳でもなく、ただ他の人の都合でこの世界に連れてこられ、そうしろと強制されたに過ぎない。なら、君は被害者だ。被害者の子どもがいるなら、私達のような大人が助けてあげないといけない。そういうものだと、私は考えていますからね」


「……そんな、こと……」


「そんなことがあるんです。それにあなたはオトハさんを助けたのでしょう。辛い時なのに、良い事までしているじゃないですか。そんなあなたが悪い訳なんてない。そう考えていいんですよ」


「っ!?」


 そう言われた私は、殴られたような衝撃を受けました。今まで、私は自分が酷い目に遭うのは、自分のせいだと考えていました。自分が悪いから、こういう目に遭う。今までずっと、そう考えていました。


 しかし、ジュールさんは、私は悪くない、と言ってくれます。


「そんな、こと……」


「もちろん、全てとは言いませんよ。あなたが悪いことも、もちろんあるでしょう。人間ですからね。しかし今回の事については、私は悪くないと思いますよ。あなたは、勝手に連れてこられただけだ。何にも悪くなんかない。ただ、今後はこの話を、みだりに他の人にしない方がいいでしょうなあ」


 そう言うと、ジュールさんは後ろからお玉とお椀を取り出し、煮えているものをよそい始めました。


「どうですか、あったかいスープでも。身体は大丈夫でも、心は疲れたでしょう。色んなことがありましたものね。あったかい飲み物を飲むと、身体も心も落ち着きます。これは、私の故郷の伝統料理です。味も保証しますよ。具材が入ってないのが残念なんですけどね」


 スープがよそわれたお椀を、私に差し出してくれました。湯気に混じった香ばしい香りを感じます。その良い香りの中で、私は混乱していました。


 ……私は、悪くない?


 ただ言われるがままに厳しい事をして、酷い目に遭って、それが仕方ないことだと思っていました。自分ができないのが悪いんだ、運が悪いだけなんだ、もっと苦しい人はいっぱいいるんだ、これぐらい我慢しなくちゃいけない、と。


 ずっと、そう思っていました。そう、思っていました。そうじゃないと、そうじゃないと……。


「…………っ」


 ……痛い目に遭うのが、酷いことをされるのが……辛かった……から……苦しかった、から……ずっと……ずっと……。


「……あ、あれ……?」


 いつの間にか、ボロボロと涙を流していました。


「私、なん、で……?」


 私が悪い訳じゃない、と言われた瞬間。今まで堪えていたものが溢れ出るかのように、涙がこぼれてきました。辛かったことが、我慢していたことが、次々と涙になって流れ落ちていきます。


 涙でぐしゃぐしゃになった視界の向こうでは、ジュールさんが笑っていました。


「……辛かったのでしょう。その様子では、今までずっと耐えてきたのでしょう。辛い時は、思いっきり泣いていいんですよ? 恥ずかしいことなんてありません。隣のオトハさんも、辛い思いをしてきているハズです。強がらなくても、もう大丈夫ですよ。あなた達は何も悪くない。ね」


 ボロボロと涙を流していたら、ぎゅうっと腕を抱きしめられました。見ると、オトハさんも、ボロボロと涙を流しています。それを見た瞬間、私の中で、何かが弾けました。


「あ、あああ、あああああああああああああああああっ!!!」


「っ! っ! っ! っ!」


 周りに人がいるなんて関係なしに、私達は泣きました。思いっきり、泣きました。心から泣き叫ぶなんて、本当に始めてのことでした。


「……どうですか、皆さん。私は、彼らを放っておけないと思うのですが」


「……好きにしてくれ」


「……そう、ね。あたし、酷いこと、しちゃったな……」


「……また謝ろうっちゃ、ルーシュ。泣く子には敵わね~っちゃよ……」


 周りで皆さんが何かお話されていますが、私はそれを聞く余裕もありませんでした。ただただ、涙が枯れるまで、私はオトハさんと泣きじゃくっていました。

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