第2話 起きてその後


「起きなさい」


 どれくらい経った後でしょうか。私は唐突に意識が戻り、身体を起こしました。


 周りを見渡すと豪華な調度品が置かれた部屋。自分が身体を起こしているふかふかのベッド。そしてその傍らには、あの黒髪短髪で巨乳の女性がいました。


「……ようやく起きたようね」


 女の人はため息混じりにこちらを見ています。一体なんなんでしょうか。


「ちょっと見させてもらうわ」


 そう言うと、女の人は私の方に向かって右手をかざしました。すると、女の人の右手の少し前に、漫画で見たような魔法陣みたいなものが現れ、くるくると回ります。


 ゴオォ、という音がしたかと思うと、魔法陣らしきものに黒い炎が走り、女の人はまるで熱いものをうっかり触った時みたいに、反射的に手を引っ込めました。


「……どうやら残っているようね」


 一体何が。私は現在の状況も何もかも、一切合切解りません。


 と言うか、メガネをしていないのに景色がはっきりと見えています。あれ、いつの間に目が良くなったのでしょうか。しかも美容院で切ってもらったはずの髪の毛が、女性かと思うくらいに伸びています。また解らないことが増えました。


「貴方、名前は?」


「……マサト、です」


「そう。聞きなさいマサト」


「は、はい……えっと、貴女は?」


「それもこれから話すわ」


 解らないことだらけでしたが、どうやら説明してくれるみたいです。よろしくお願いします。


「わたしはジル。前魔王様の秘書よ。今から三年前。私達の都合で異なる世界から貴方を召喚したわ」


 すみません。話が早速、私の脳の理解の範疇を超えそうなのですが。


「……信じられないっていう顔ね。なら、これを見なさい」


 私の表情を読み取ったのか、ジルさんはまた右手をまっすぐこちらへ伸ばすと、


「"炎弾(ファイアーカノン)"」


 その手から炎を出してみせました。


「っ!?」


「理解したかしら?」


 炎は私の顔のすぐ横を通り過ぎ、後ろからは何かが崩れる音と焦げ臭い匂いが漂ってきます。


 目を丸くした私が恐る恐る後ろを振り返ると、炎の衝撃で崩れたのか、壁に穴が空いており、穴の周囲は黒く焦げ付いていました。


「な、ななな……」


「貴方がどんな世界にいたかは知らないけど、ここはこういう世界よ。わたしのこの角も本物。わたしたちは魔族という種族で、人間とは対立している」


 顔を戻すと、ジルさんは自身の耳の上くらいに生えている一対の角を指さしていました。


 彼女は無表情のまま矢継ぎ早に情報を送ってきますが、今のところ何とか耳には入っています。


「そして、三年前に貴方を召喚したのはわたしと前魔王様……理由は、貴方の身体」


 ただし、耳に入ってはいますが、理解できているとは確証を持って言えません。


 でも聞いていないとさっきのファイアーなんとかを撃ち込まれるのではないかと不安になってくるので、必死に聞いています。


「当時、前魔王様は人間側で英雄と呼ばれている輩の攻撃を受けて瀕死だった。何とか英雄の方は退けられたけど、それこそ、前魔王様は身体を維持できなくなるくらいまでの状態に」


 そう言われて思い起こされるのは、私の身体に覆いかぶさってきたあの泥のような何か。


 あれが当時の、身体を維持できなくなった前魔王とやらなんでしょうか。


「そこで前魔王様は自身と一番魂の親和性が高い存在を召喚して、その身体を乗っ取ることを考えた。魂の親和性が高い程、乗っ取った時の身体とのズレが小さくなり、自身の力も振るうことができる。

 しかも身体乗っ取りは、前魔王様ほどの魔族でも一度しかできない危険な禁呪。その辺の適当な魔物を乗っ取ることもできなかった」


 要は死にそうだから、他の生き物に乗り移ろうと、そういう話ですか。しかも1回限り。


「そうして前魔王様は禁呪に手を出し、こことは違う世界も引っくるめて自分と一番魂の親和性が高い生き物を召喚することにした。そうして召喚されたのが貴方。

 ここまではいいかしら?」


「はい……」


 正直なところ、言っていることは何となく解ります。死にそうになったから危険な術を使って自分に近い生き物を呼び出して、肉体を乗っ取ろう。そうして呼び出されたのが私だと。


 はい、何となく解りました。ただ、そういうことが現実にできるということを、まだ飲み込めていませんが。


 未だにこれは夢なんじゃないかという気さえしますが、話の途中でこっそり頬をつねってみたのに、ただ痛いだけで起きられませんでした。


 そうですか、これは現実なんですか。


「よろしい。そうして貴方の身体を乗っ取って三年間、前魔王様は生きながらえてきたけど、限界が来た。

 元々瀕死だった魂は健康な肉体を手に入れて一時的には元気になったけど、それも長くは続かなかった。禁呪による代償に加えて、いくら魂の親和性が高いとはいえ、所詮は別の身体に別の魂。身体が本来の魂に戻そうとする反応が少しずつ起こり、前魔王様の魂を軋ませた。

 そうしてつい先日、限界を迎えられた前魔王様は亡くなった」


 違うかもしれませんが、要は可能な限り自分に近い人の臓器移植をしてしばらく元気だったけど、結局は拒絶反応が起きて死んでしまったと、そんな話に近いのでしょうか。


「そして前魔王様がいなくなったことで、貴方は三年ぶりに目覚めた。わかったかしら?」


「はい、まあ……」


 えーっと、今までの話をまとめると。


 私は三年前にこの世界に召喚された。


 召喚された直後に前魔王とやらに身体を乗っ取られ、意識を失った。


 それから三年間は私の身体で前魔王が活動していた。


 三年経って限界が来たので前魔王が死に、私が目覚めた、と。


 なるほどなるほど。あれから三年も経っているのなら、髪の毛も伸びるはずですね。


 しかし、内容は解るのに脳が理解を拒んでいます。普通、そんなことあります?


「よろしい。それでは、貴方にはこれから、前魔王として振る舞ってもらいます」


「…………はい?」


 状況すらまともに理解できていないのに、更に良くわからないことを言われました。私が魔王として振る舞う?


「今、人間や亜人らの共同体、通称人国と私達の魔族の国、魔国は停戦中ですが、トップが死んだとなっては向こうが勢いづくばかり。最悪、停戦を破ってこの期に攻め込んでくる可能性すらある。

 ですから、貴方には前魔王が健在であることを示すために魔王としての立ち振舞い、責務を学び、これから魔王として生きていってもらいます。少なくとも、この状況が落ち着くまでは」


 この人――魔族って人って言っていいんでしょうか。まあ、いいでしょう――は何を言っているんでしょうか。


「では、状況の説明も終わりましたので早速、この世界の情勢、常識、そして各種学問について基礎から勉強していただきます。その為に、まずはしてもらうことがありますので、早速移動しますよ」


「えっ? えっ? えええ……?」


 私は、よく分からないまま、別室へと連れて行かれました。


 そこで何やら変な儀式みたいなことをされた後、その日はそれで終わりでした。


 ジルさんがかなり苦しそうな表情でしたが、大丈夫なのでしょうか。


 しかし、次の日から始まったのは、実家でのプレッシャーが天国に思えるような厳しいスパルタ教育でした。


 向こうでは望んだ結果が出せなかった場合にご飯抜きや夜に家に入れてもらえない程度でしたが、このジルさんは更に容赦ありません。


 そこに体罰が加わるだけではなく、魔法とやらを遠慮なく身体に打ち込んできますし、拷問に近いような手段も取られました。


 こうして私は、実家から解放されたかと思ったら、この異世界とやらで更に厳しい人生が待っていました。


 罰が怖くて、痛いのが嫌で、それ以上にジルさんが怖くて、ただただ必死に学んでいきます。


 幸い、数学的なことについては元の世界での知識が役に立ちましたし、こちらの世界の文字も、前魔王とやらが乗っ取っていた時の後遺症なのか読むことができました。と言うか言葉も理解できていますし。


 それにしても……どうして、こんな目に遭うんでしょうか。


 やはり、両親の元から離れたことを喜んだのが間違いだったのでしょうか。しっかり勉強して体調を整え、進学校に合格さえしていれば、こんなことにはなっていなかったかもしれない。


 それに両親がいないからと羽目を外して、ゲームや漫画を買いあさり、身体に悪いものを大量に食べ、お昼過ぎまで寝ていたのは、やはり駄目だったに違いありません。いや、そうに決まっています。


 全部、私が、悪いんだと。


 何日も何日も怖がりながら必死に勉強していくうちに、私は酷い目に遭うのは自分が悪いんだと思うようになりました。


 できた時には何もされない。できない時には痛みを受ける。ならば、痛みを受けるのは自分ができないことが悪いのだ、と。


 いつの間にか、どうして私がこんな目に遭うんだという怒りの気持ちは、どこかに行ってしまいました。


 自分の所為だ、自分の所為だ、もっと頑張らなかった自分が悪いんだ、という意識が頭の中を埋め尽くしています。


 それに、世の中にはこれ以上に辛い人だって、いっぱいいるに決まっています。これくらいのことで、弱音を吐いてはいけないハズです。


 そう思わなければ、とても耐えることなんて出来なかったから。


 それからの私は、痛かったり怖かったりしない為だけに、必死に日々を消化していきました。


 ただ、私が悪いんだ、もっとしっかりしなきゃ、と自分に言い聞かせながら。

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