第二章 日常の忘れ物 2

台所から水の流れる音が部屋に響く。

ジャバジャバと音が立ち、ちゃかちゃかと高い音を立てて食器が置かれているのがわかる。

姫さんが食器を洗ってくれている音だ。

食事後すぐに食器洗いなんて、俺なら絶対やらないだろう。

俺はまとめて一気にやるタイプだ。

だから、こうやってこまめに食器洗いをしてくれるのは助かるなと思う。

今思えば、誰かと家で一緒に過ごすなんて、何年ぶりだろうか。

俺にとって、誰かと家でいるというのは嫌で仕方ないことのはずなのに、何故か心が温まる。

水の流れる音が止む。


「魔法使いさん」


「ん?」


台所からタオルで手を拭きながら、姫さんは部屋に戻って来た。


「どうかしたか?」


「えっと、これから買い物に行くんですよね?」


「そうだな」


今日はいつものスーパーじゃなくて、大型ショッピングモールにでも行くべきだろう。

少し遠いが、姫さんのこれからの為の生活用品を買うにはそこへ行くのが手っ取り早いはずだ。


「でしたら、私はここで留守番していたらいいですか?」


…?


「いやいや、姫さんのものを色々買おうと思っているからついて来てもらおうと思っているんだけど…」


俺は言っているうちに気づいていく。


「えっとその、着ていく服がないので…」


「だったな…」


姫さんが来ている制服は脱衣所に置きっ放しだ。

俺のこのアパートに洗濯機などはないので、コインランドリーで選択するしかない。

…となると。


「流石にジャージのままもな…」


ということは、まずは彼女の服を買いに行くのが先か。

この辺に服屋ってあったっけ?


「…あ、でも」


姫さんはちょちょいとコートの袖を摘んで言った。


「このコート貸してくれるなら、行けます」


そう言って、姫さんは洗面所に入って行く。

コートがあれば一体何が変わるのだろうか。

しばらくして、洗面所の扉が開かれる。


「どうですか。変じゃないですか?」


コートの下は昨日履いていた制服のスカートだった。

確かにこの格好なら、制服の上にコートを着ているように見える。

けれど…。


「…それ、寒くないか?」


「少し…」


姫さんは困ったような顔をしていた。

どうやら、彼女の防寒着も買わなければいけなさそうだ。

俺はスカートの履く必要のない男に生まれてよかったと、少し思った。


・・・


久しぶりに、押し入れの奥に入れてあった古いジャンバーを着て、姫さんと共にショッピングモールに来ていた。

店内は昨日までクリスマス仕様になっていたはずだったが、今はその装飾は外されていて年末に向けての装飾に変えられている最中だった。

そうか、もう年が変わるのか。

「全然年末感を感じない」とか「今年が短かった」と人々は口々に言う。

まさしく自分もそれだ。

年末に特別なことなんてなかったし、楽しくもない一年を長くは感じはしない。


「そういえば」


隣の姫さんが口を開く。

昨日の夜はよそよそしかったのに、今の俺たちの距離は近い。

互いの過去を知っているからだろうか。


「…お金って、大丈夫なんですか?」


姫さんは恐る恐る聞いてくる。


「いや、全くないな」


「…」


「おいおい、当たり前だろ?俺にそんな金があるわけないじゃないか」


買えてもしばらくの食事代程度だ。

だから姫さんの服を買う余裕なんてはっきり言ってない。


「じゃあ、どうするんですか?」


「どうって、姫さんが言ってくれたじゃないか」


「?」


「…魔法を使うんだよ」


「⁈」


そうだ。

俺は初めて自分の為に、自分の利益のためだけに魔法を使う。

それは、誰にも許される行為ではないだろう。

けれど俺は、自分の為だけに使う。

姫さんが許してくれた。

誰か一人が許してくれたなら。

俺は魔法を使おう。


「…」


俺は魔法を近くにいた男性に向けて掌をかざした。

一見、何も起きていないように見える。

自分も本当に魔法を使えているのか不安になる。

けれど確かに、魔法を使っている。

その確信が俺にはあった。

俺は掌をかざすのをやめた。


「…えっと、いけましたか?」


「…ああ」


その男性を見ていると、男性は俺たちが入ってきたショッピングモールの出入り口から出ていく。

そしてその時。


「あ…」


ポロリ、と彼のポケットから一万円札が落ちた。

周りには人が一人もいない。

どうやら彼が不幸になり、俺が幸運になったらしい。


「それ、拾ってくれるか」


俺がそう言うと姫さんは近くに寄り、周りをキョロキョロしながらその一万円札を拾った。

そして、こっちに戻ってくる。


「…なんだか、悪いことをしている気分だね」


一万円札を見つめながら、姫さんはそう言った。


「ははっ、悪いことをしているんだぜ」


俺はもう、後には引けなくなった。


・・・


何回かそれを繰り返し、お金を手に入れていった。

それは少額だったり、お金じゃないものを落としていく人もいたがいちいち止めていられない。

そしてそれで服や日用品を買った。


「ん、美味しい」


「そうか。こっちもなかなかだぞ」


一旦休憩で遅めの昼食。

ショッピングセンターの中にあるフードコートでそれぞれ食べたいものを食べていた。

俺は中華の店でラーメンとチャーハン。

姫さんはたこ焼きだ。


「それだけで足りるのか?」


「うん。そんなに食べたら太っちゃうし」


「馬鹿言うなよ。姫さんがいっぱい食べても太る心配なんて今のところ絶対にないだろ。それに高校生のうちはしっかり食べなきゃ」


「そんなこと言われても…」


姫さんは自分の身体を気にしながらたこ焼きを食べていった。


「歳をとっていくと、代謝が落ちてどんどん太っていくって聞くしな。美味しいものをたらふく食べるのは今しかないんだよ」


「ひょっとして魔法使いさん、もう代謝落ちてるの…?」


「おいおい、俺はようやく二十歳になったばかりだぞ。まだまだ若いに決まってるだろ」


二十歳で代謝落ちてて、どんどん太っていくなんて、絶対に嫌なんだが。


「でもやっぱり、今から身体を気遣っておかないといけないんじゃないんですかね」


「そう言われたらな…」


実際、どっちが正しいかなんて分からないだろう。

やがて互いに食事を終えて、返却口に持っていく。

金はまだ結構残っている。

これで、夕飯などの買い出しをしたらいいだろう。


「あ…」


姫さんが足を止めて、ある場所を見た。

フードコートの隅にある、クレープ屋さんだった。

昨日のクリスマスで売れたのか、今日の客入りはあまりないみたいだ。


「なあなあ姫さん」


「はい?」


俺は笑みを浮かべて言った。


「…甘いものは別腹って言葉を聞いたことはないか?」


姫さんはストロベリー、俺はバナナのクレープを食べた。

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