第一章 サンタの忘れ物  2

カツカツ、と足音を鳴らしてアパートの階段を登って、自分の部屋がある一番奥に向かって歩く。

灰色のコンクリートで形成されているこの年季の入ったアパートはとても心もとないものだ。

台風や地震が起きたら、潰れてしまうのではないだろうか。

錆が目立つ手すりに手を触れると、冷たすぎて反射的に触れるのをやめた。

雪は止むことなく、降り続けていた。

そんな暗い雪景色を見ながら前へ進むと『二〇五』と書かれている自分の部屋に辿り着く。

荷物のポケットから鍵ケースを取り出して、玄関の扉を開く。


「ほら、入れ」


俺は後ろについてこさせていた彼女にそう催促した。

結局、俺は彼女を自分の部屋に連れて来ることを決意したのだ。

本当はこんなに面倒な事は避けたかったのだが、致し方ない。

彼女は少し渋ったような顔をして、俺の部屋に入るのを躊躇っているようだった。

まあ、当たり前だろうと思う。

いきなりあったばかりの男性の家に上がり込むなんて、俺だって同じ状況になったら嫌だろうし、女の子であるのなら尚更避けたいものだろう。


「こんな寒い中、帰る家もなくてどうしようもないんだろ?何もしないから早く入れ。寒いんだ」


俺がこの言葉を言った後、この言葉は彼女にとって、全くの無意味、あるいは逆効果ですらあるのではないのかと思った。

当たり前だろう、他人の発する殆どの言葉が信用に足る訳がないのだから。

けれども、それは杞憂に終わった。


「…お邪魔します」


そう言って、素直に彼女は玄関に入った。

彼女は靴を脱いで、振り返るとキチンと靴を揃えた。

俺の借りている部屋の玄関は寂しいもので、今自分が履いていた靴と汚れたサンダル。

そして、いつ買ったのかさえ忘れてしまった年季の入った傘が立て掛けられているだけだった。

彼女の靴が置かれているだけで、玄関が何かいつものとは違う空間なのではないのかとすら思う。

俺は彼女に言った。


「奥の部屋に座って待ってろ。ちょっと、風呂を沸かしてくるから」


「…」


彼女は無言のまま、コクリと頷き、奥の部屋に入って行った。

俺は三点式ユニットバスに入り、風呂の蛇口を捻る。

やがて温かいお湯が出てきて、俺は冷えた手を温めた。


「風呂を湧かすなんて、久しぶりだな…」


ここ最近は水道代だったり、時間が勿体ないと思っていたので、シャワーを浴びるだけで済ませていたのだった。

じんわりと、俺の手は熱を取り戻していく。


「さてと」


俺はタオルで濡れた手を拭いて、六畳間の奥の部屋へ向かった。

彼女は部屋の真ん中に座っていた。

俺が貸したコートは彼女の白い肌が露出していた足にかけていた。


「風呂沸かしてるから入ってこい、湯が肩まで浸かるようになったら蛇口を捻って湯を止めろ。シャンプーとかは安物しか置いてないが使いたければ使え。タオルも側に置いてあるのな」


俺が彼女にそう言うと彼女は何かを言いにくそうに口籠もった。


「え、でも…」


「話は後だ。とりあえず、温まってこい」


気を使わせないようにハッキリと告げると、彼女は。


「わかりました。ありがとうございます」


そう言って立ち上がり、さっきまで着ていたコートを手渡してきた。


「これ、ありがとうございました」


返ってきたコートには、まだほのかに彼女の熱が残っていた。

彼女は小さく礼をすると、ユニットバスに消えていった。


「…とりあえず、やる事をやっておこうか」


俺は自分の部屋を見渡した。

家具も物も少ないから、片付いていると言ってはいいのだろうが、女子からみたらこれはどうなのだろうか。

一応、色々片付けておこう。

俺の部屋には布団と机、大きな物はそれくらいで、テレビとかそういうものはない。

残念ながら、そんな高いものを買う余裕がないのだ。

家賃や、もう何年も使っていて充電がすぐになくなる携帯にさえ、金がかかるのだから。

とりあえず、今は携帯とかの話をしている場合じゃないのは確かだ。

コートを部屋の収納からハンガーを取り出してコートをかけて、壁にかけた。


・・・


慣れない事はやはり、するものではないなと実感していた。

寒空に震える女子高生を家に連れ込んだ時の対処法みたいな見出しの記事があるなら、今すぐに見たい気分だった。

俺はとりあえず、部屋の暖房をつけて、キッチンでヤカンに水を入れて湯を沸かし始めた。

下の戸棚から備蓄しているカップ麺を取り出す。

残っているカップ麺は丁度二つだったので、今度買いに行かなければならない。

そして、部屋を片付けた。

まあ、物がないので気持ち程度ではあるのだが。

そうこうしているうちに、ここで問題が起きた。


「あの、すいません!」


「ん、なんだ?」


風呂場から、彼女が俺を呼ぶ声が聞こえて、俺は返事をして近づいた。

風呂はもう上がったのだろうかと思っていると、扉が隙間程度に開けられていて、そこから彼女の声が聞こえている。


「あの…。着替えはどうしたらいいですか」


「ん、あ、ああ、着替えね」


正直、考えていなかった。

馬鹿だと思う。

風呂に入れるだけでいいはずがない。

そういえば、彼女は荷物を何も持っていなかったのだから、着替えなんてある訳がないよなと改めて思い返した。

そして当然ながら、俺の部屋に女性の服なんて物がある訳がない。


「…すまん。俺の服でいいか?」


本当に申し訳ないが、今のところ、それしか解決方法が思いつかなさそうだ。


「ええ、大丈夫です。ありがとうございます」


彼女は律儀にそう言った。

無理だと言われる確率が自分の中では割と高かったので助かった。

そうなると、何処かへ買いに行く事になるし、何より寒い中また外に出なければならなかったし、金がかなり減ったはずだ。

…服って高いんだよな。


「ちょっと待ってろ」


俺は部屋に戻り、服の収納から彼女が着られそうないい服を探した。

自分の服はそれほど多い訳ではないので、結果はすぐに出ざるを得ない。

俺は、昔によく着ていた紺色のジャージの上下を選んだ。

それと、新品のまま置きっぱなしにしていた肌着が出てきたので、それらを風呂場に持って行った。


「悪いけれど、これで我慢してくれ」


風呂場の扉を目も閉じながら開いて、そっと中に着替えを置いた。


「ありがとうございます」


声の聞こえ方からして、風呂の方から聞こえてくるのでもう一度温まりなおしているのだろうか。

脱衣所のないユニットバスは本当に使いづらい。

俺はその場を離れて、湯が沸いているヤカンの火を止めた。

彼女はもうすぐ出てくるだろうし、湯を注いでいても大丈夫だろう。

俺はヤカンを持って、部屋にある蓋を開けてあるカップ麺に注ぐ。

容器にある、凹んだ線の部分までしっかり注ぐ。

一つ目を入れ終え、もう一つに注ぎ始めた時だ。


「お風呂、上がりました」


その彼女の言葉が聞こえて、俺はそちらの方に視線を向けた。

風呂上がりの彼女の髪は当然濡れていて、彼女の美しさを引き立てていた。

しかし、そこで俺には一つの疑問が生まれた。


「風呂で何かあった?」


俺は胸元を覆うようにして、そして顔を赤くして、立っていたからだ。

俺が今から彼女を襲おうとしていると思われているのだろうか。


「…えっと、その」


彼女は恥ずかしそうにした後、小さな声だが、しっかりと教えてくれた。


「下着を…、つけていないので」


俺はカップ麺に湯をかなり多めに入れてしまった。

彼女にはもう一度、俺のコートを着せた。

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