第一章 サンタの忘れ物 1

どうやら、今日は運がいいらしい。

手が悴む中、厳しい力仕事をこなして、面倒な上司と同僚や後輩達の嫌がらせなどを受けて、今日もまた、夜道を歩いて家に向かっていた。

今日がクリスマスだからという理由で休んだ仕事仲間の尻拭いの所為で、今日は一段と遅くなってしまった。

だから、今日は運が悪い日だと思っていたがそうではないらしい。

イルミネーションに照らされていた大通りの俺の足元に千円札が落ちていたのだ。

しかも、二枚。

生活するのがやっとな俺にとって、それはまるで宝箱のようなものだ。

ひょっとすると、これはサンタが俺にくれたクリスマスプレゼントかもしれない。

今日はそんなサンタに感謝して、コンビニでケーキでも買おうか。

俺はその千円札を素早い手つきで拾った。

なんと、千円札は二枚あった。

とことん今日は運がいいみたいだ。

内心喜んでいると、ふと、我に返って、ポケットに二枚の千円札をしまった。

周りの誰かに見られていないかを確認しなければならない。

そして、見つけた。


「…」


いや、正確には見つけられたのだろうか。

大通りの側の暗い路地裏に座り込む、俺の事を見つめていた女の子を見つけてしまった。

その子は制服を身につけているので、学生である事がわかる。

少し幼い顔立ちから察するに、中学生ではないだろうか。

彼女はその場で華奢な身体を震わせて、こちらに視線を向けていたのだった。

俺は、二千円札が仕舞われているポケットに手を突っ込み、彼女に近づいた。

そして、優しい口調を心がけて口を開いた。


「…えっと、こんな時間に一人で何をしているんだい?折角のクリスマスイブだし、家族だったり恋人と一緒に過ごしたらどうだい?」


初対面にしては話しすぎただろうかと、一瞬脳裏をよぎったが、深くは考えず、彼女の表情を伺った。

彼女の表情は変わっていなかった。

どうやら、お気に召さなかったのだろうか。


「…わかった。半分、分けてやる。だから、こんな所でいてないではやく帰りな」


俺はポケットの中の綺麗に重なっている二枚の千円札を器用に一枚だけ取り出して、彼女に渡そうとした。

けれども彼女は首を横に振った。

…一枚では足りないと言うのだろうか。

このまま二枚とも渡してしまうなら、交番に届ける方がマシだ。

『やっぱりこれはしっかり交番に届ける』と言おうとした時だった。


「…お金なんかいらない。不審だった貴方の行動をただ見ていただけ。それに私には家族も恋人も、帰る家もないし」


俺は彼女のこの言葉に耳を疑った。

恋人がいないのはともかく、家族もいない?

それに、聞き捨てならない事を、彼女は言った。


「今、お前、いくつだ?」


俺がそう聞くと、彼女は首を傾げて不思議そうな顔をした後、答えた。


「なんで、今それを聞くの?…まあ、一応十七だけど。というかそんな簡単に女性に年齢を聞くのはやめておいた方がいいよ」


「大丈夫だ。年齢を聞かれて不機嫌になるのはいい歳した女性だからな。それにお前は全然若いじゃないか」


「そう」


十七歳であるということは、高校生なのか。

ひょっとすると、何かに少し怯えているような彼女の態度が彼女を幼く見せているのかもしれない。

とりあえず、やる事は決まった。


「ほら立て。警察か交番に連れて行ってやるよ。こんな寒い日にここに座り込んでいる家族のいない女子高生なんて、嫌な予感しかしない」


俺がそう言うと、彼女はボソリと言った。

彼女は呆れたように、言い捨てるように言った。


「意味ないと思うけれどね」


「はっ、言ってろ」


彼女の言葉に疑問を少し抱いたが深くは考えず、携帯で地図を見る。

一番近くにあるのは交番らしく、ここに連れて行くのがよさそうだ。


「ほら、行くぞ」


俺はそう言って、彼女を見た。

立ち上がった彼女の姿は、この冬の寒さにはあまりにも弱々しすぎる姿だった。

彼女は防寒着は何も着ておらず、冬服であろう制服のみで、冷たい空気に直に触れている白い肌の足が震えているのがわかった。


「はあ…」


俺は溜息をついて、自分の着ていたコートを彼女に渡した。

スカートから出ている無防備な脚もどうにかしてやりたいが、今の俺にできるのはこれぐらいだ。

彼女は少し戸惑う表情を見せた。


「それを着て、ついてこい。寒いんだから、早くしろ」


俺はそう言って、交番に向けて彼女の前を歩き始めた。


「あ、ありがとう」


彼女の声が聞こえて、周りが話し声やクリスマスソングで騒がしかったのにも関わらず、彼女の足音がしっかり聞こえていて、ついてきているのがわかった。

寒空の中、俺は震えながら歩いた。

風が吹くたびに顔や手が冷たくなっていく。

こんな事、するんじゃなかったと、何度も心の中で思った。

今からでも『やっぱりやめとく。だから、コートを返して』と言って、家へ直帰したい気分だったが、本当に言う行動力は俺にはない。


「どうして、こんな事をしてくれるの?」


不意に彼女が後ろで口を開いた。

何故かその答えは、すぐには自分の中には出てこなかった。


「そんな事、どうでもいいだろ」


俺はそう言い捨てて、冷えた足を前に進め続けた。

結局のところ、折角手にした二千円を我が物にする為だろう。

本のわずかな恩を売って、この事は黙ってもらおう。


・・・


等間隔に設置されている電灯で照らされた道を歩く。

真っ暗な夜空にはたくさんの雲があって、今にも雪が降るのではないのかと考える。

騒がしかった街道を抜けた辺りから、周りは少し静かになっていた。

周りに人はいない。

ただ、自分が地面を踏む靴の音と後ろから聞こえてくる、ほんのかすかな呼吸の音が聞こえていた。


「ここか…」


電気がついている交番に辿り着き、俺は中を覗く。

小さなその空間には、警察官らしき人はいないのがはっきりわかった。

俺は後ろを振り返って、彼女に向けて、声をかけた。


「入るぞ」


「…」


彼女はただコクリ、と頷いただけだった。

周りの気温で冷たくなったドアノブから少し静電気が走ったが、気にすることもなく、そのドアノブを回す。

中は残念ながら、暖房で暖めてられているとか、そんないい環境ではなく、ただただ寒かった。

グレー色の大きな机の横を通って、奥の部屋へ繋がるであろう鉄の扉を軽く叩く。


「すいませーん」


声をかけて中からの返答を待ったが、返事はなかった。

俺は少し考えて、鉄の扉のドアノブをそっと回してみる。

…鍵がかかっていた。

今は誰もいないのだろうか。


「これ」


後ろで彼女が声を発した。

俺は振り返って、彼女を見ると、彼女は机の上を指差していた。

俺はその指が差す場所を見ると、固定電話と、メモらしきものが置かれていた。


『パトロール中です。緊急事態の場合は110番へ。落とし物などの急ぎでないものはこちらまで』


と、電話番号が書かれていたメモだった。

今回の場合はきっと、後者なのだろう。

パトロール中だから、外に一切警察のバイク、いわゆる白バイと言われるものがないのかという事に理解した。

むしろ、クリスマスにしっかりとパトロールをしているという事に少しの感心すら覚える。


「はぁ…」


だるいな、と口に出したいのをなんとか堪えて、そこの固定電話の受話器をとり、メモに書かれている電話番号に電話をかける。

応答はすぐにされた。


『はい。こちら、___警察の…』


その後に名前を言ったのだろうか。

けれど、よく聞き取れなかった。

まあ、知る必要もないだろう。

気にもならない。


『どうされましたか?』


その言葉を聞いて、ありのままを答えた。


「すいません、身寄りのなさそうな女の子を保護したのですが…」


電話と特有の少し高めの声で俺がそう伝えると、電話の向こうの彼はこう言った。


『そうですか』


ただ一言、それだけを告げて電話は一方的に切られた。


「は?」


間抜けな声が、俺の口から溢れる。

そうですか、その言葉で済まして切ってしまっていいような案件だっただろうか?

俺はもう一度、受話器に番号を打ち込み、電話を鳴らす。

けれども、さっきはすぐに出たはずの応答は、今度は訪れなかった。


「一体どうなっているんだ…?」


日本の警察がこんな事をするはずがないという、確信があるわけではないが、それでもおかしいということがハッキリわかる。

俺は何故なのか、頭を悩ませるだけだった。


「ね、言ったでしょ。意味ないって」


俺は、言葉を発した彼女に目を向けた。

彼女は諦めたような顔をしていて、…とても寂しそうだった。

彼女は少し紫色になっていた唇を動かした。


「…私はこの世界で一番不幸な女の子だから」


雪が降り始めた。

一粒一粒が本当に小さな雪だった。

クリスマスにこんな素敵な雪が降るなんて、この世の浮かれた人々はきっと喜ぶだろう。

けれども、目の前の彼女は。


「この世界に生きる人間じゃないの」


悲しみに、頬に涙を流した。

頬から落ちた涙の雫は、雪の結晶になることもなく、ただほんの一滴、床を濡らした。

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