第39話 竜の心
視界が光に覆われて真っ白になる。
あまりの眩しさに目を閉じてしまう。
一瞬の浮遊感の後にやってくるのは頭と胃をぐちゃぐちゃに掻き回されたかのような不快感だった。
「うっ……」
「大丈夫かい? 無理せずに吐いてもいいからね」
優しく声をかけながら背中をさすってくれるフェイトさん。
慣れてないと気分が悪くなると注意を受けていたが予想以上だった。
「二度目だからちょっぴり楽になるかなって思ってました」
「転移酔いはそう簡単には慣れないよ。ボクだって転移を使うより空を飛んだ方が楽だからね」
私からの緊急要請を受けて魔族の国から来てくれたフェイトさんはイーストリアンの王都へ向かったリュウさんを追いかけるのに協力してくれた。
本気で空を飛ぶリュウさんに追い付くのはまず不可能らしく、魔王様が選んだのは転移魔法による移動だった。
あっという間に宿の近くに複雑怪奇な転移用の魔法陣を作ったフェイトさんと二人で私は瞬間移動したわけなんだけど……。
「ここはどの辺りなんですか?」
「王都の近くにある元関所だった廃墟だよ。新しい道が舗装されて誰も通らなくなったのを都合が良いからこっそり利用させてもらったんだ」
瓦礫が辺りに散らかっている中、不自然にぽっかり空いた空間に私達は立っていた。
どうやら結界に張られているようでそれによって足元の転移魔法陣が保護されている。
「本当は王都の中に用意したかったけど、ボクくらいになると王都を囲む結界に弾かれちゃうんだよね」
「あー、王都の守護結界ですね」
フェイトさんが言っているものは私に馴染みのあるものだった。
各地の教会にもある魔除けの結界の上位互換でとても大規模な結界で都市を丸ごと覆うのだ。
かつての魔族との戦争の際、当時の聖女と教会が作り上げたもので何百年経っても破られたことがない鉄壁の守り。
ただし、維持するのに高いコストを支払う必要があって結界に魔力を注ぐために私はかなり酷使された記憶がある。
具体的に言うと結界に関する作業の時は治癒の仕事を一週間くらい休んで代理な人に任せるくらいだ。
「あの結界ってミサキちゃんが関わってたんだ。ってことはやっぱり……」
廃墟の跡地を出ると王都が目で見える範囲にあった。
赤い瞳を光らせながら気まずそうにフェイトさんは言った。
「うわ〜、王都の結界が粉々に壊されてるね。あれは修復が大変そうだよ」
「それってつまり、リュウさんがもう王都に着いたってことですか!?」
前にフェイトさんから教えてもらった地理だと王都から宿のある場所までは馬に乗っても数週間はかかる距離があった。
そんな長距離を無視して移動する転移魔法は凄いのに、それでもリュウさんの先回りは出来なかった。
飛行機より早いのだろうかあの人は。
「急ぎましょうフェイトさん」
「そうだね。ちょっと無茶するけどボクにしっかり掴まっててね」
フェイトさんはそう言って私を抱き抱えた。
長身で細身そうなのに、しがみついた体にはがっちりとした弾力があった。
これが細マッチョ……という雑念が一瞬だけ湧いたけど頭から振り払って目指す目的地を見る。
風の魔法で浮き上がったフェイトさんはそのまま一直線に王都に向かって飛ぶ。
まるで漫画みたいな気分を味わっていると、突如、胸に痛みが走った。
「うっ……」
「大丈夫かいミサキちゃん?」
フェイトさんが心配そうに私の顔を覗き込む。
「大丈夫です……」
リュウさんのおかげで大きな怪我はしなかった。包帯で手当てもしてある。
健康的な生活をしていたから病気の線も薄い。
それなのに胸の痛みは増して苦しくなっていく。
物凄い違和感。まるで私の体に私じゃない誰かの痛みが流れ込むような感じだ。
「伝わってくるんです。悲しい、許せないって思いが痛みになって」
「……なるほど。前にキミは血だらけで怪我した彼を助けようとして噛まれたって言ってたよね」
「はい」
あれは衝撃的な出会いだった。
怪我の治療してくれた恩返しだと言ってリュウさんが転がり込んで来た。
それから私にとって大きな出来事が起こり始めたのだ。
「もしかするとキミと彼の間にパスが繋がっているのかもしれないね」
少し考えて、フェイトさんが仮説を話し出す。
何処かで聞いたような言葉だ。
「マリオさんと私が魔力のやり取りをするみたいなアレですか?」
「うん。けれど、キミらの場合は血液というお互いの魂の情報を含んだものを媒介に繋がってしまった」
あの場で血塗れになった私とリュウさんの血が混ざり合ってお互いに吸収された。
「儀式の準備でもしなきゃ普通は起こらない現象さ。でも、聖女と竜王だからね。変な反応を起こした結果、特別な回路が結ばれたのかもしれない」
フェイトさんの言葉に耳を傾ける。
王都の入り口を過ぎ、城へと近づくごとに痛みは増して苦しくなる。
「お互いの感情が共有されているのかもね。……そうか。だから彼はキミの危機に間に合ったんだ」
思い返せばこれまで何度もリュウさんに助けられて来た。
きっと今の私が感じるように私の怖いって気持ちが彼にも伝わっていたのかもしれない。
「もし、そうだとしたら」
もうすぐ城に着く。
風は勢いを増して嵐を呼び、空は黒い雲に覆われてゴロゴロと雷鳴が轟く。
ぐちゃぐちゃになった空模様はリュウさんの心を反映しているかのようだ。
「だとしたら、今度は私がリュウさんを助ける番です!」
「そうだね。うん、そのためにボクらここまで来た」
庭園の空に浮かぶリュウさんが大きく口を開いている。
その視線の先には恐怖で泣きながら悲鳴を上げる人々。
「フェイトさん!」
「任せてくれ。魔王の本気をお見せしようか」
♦︎
放たれた魔力の塊が周囲を光で埋め尽くす
余波で地面が捲れ、城壁が吹き飛ばされる。
誰しもが全滅を覚悟した。
しかし、誰一人として命を奪われることはなかった。
「!?」
銀色の竜が驚きから目を見張る。
この世界で最強の存在である己の攻撃を止めることが出来る相手なんて片手の指より少ない。
「いや〜、間一髪だったね」
巨大で分厚い氷の壁が竜と人間達の間に出来ていた。
盾のように展開された氷壁は中心がぐずぐずに溶けており、あと少し威力が削がれていなければ全てが消し飛んでいたことを示している。
「それにしてもボクの全力でこれなんだからやっぱりキミは凄いね」
「何をしに来た魔王。そこをどけ」
へらへらとした微笑を浮かべて平静を装っているが、相手がかなりギリギリな状態なのを竜は察した。
そもそも、いつもに比べると感じる魔力の量が少なく、ここに来るまでに激しく消耗しているようである。
「我が他人に邪魔をされることがどれだけ嫌っているか知らぬわけではあるまい?」
「勿論知っているよ。キミに楯突いて滅んだ都市なんて一つや二つじゃないからね。でも、今だけは譲れないかな」
竜はこの魔王が嫌いではない。
数少ない自分と本気で戯れ合える相手だ。
そして、引き際を弁えていたからこそ今日まで生きて来れた。
「ここで全て投げ捨てるつもりか?」
「どちらかというと捨てるつもりなのはキミの方だろう」
「意味がわからんな」
竜は唸りながら魔王を見詰め、一触即発の空気が生まれた。
すると、魔王の影から少女が顔を出した。
「リュウさんストップ!」
「ミサキぃ!?」
予想外の人物の登場に竜が再度驚きの声を上げた。
まさかこの少女がここに来ているとは思っていなかったのだから。
「ま、魔王! 貴様の差し金だな! こんなところにミサキを連れて来るなど卑怯だぞ!」
「違います。私がフェイトさんにお願いして連れて来てもらったんです」
竜が魔王を睨むが、その間に割り込むようにミサキは立った。
「何やってるんですかリュウさん!」
大きな声で、両手を腰にあてながらミサキが竜に問い詰める。
「結界を破って、城門を壊して、お城の庭園をこんなに滅茶苦茶にするなんて酷いじゃないですか!」
「黙れ! 今はそんなことに構っている暇はない。さっさと魔王と一緒にそこをどけ。我は人間共を焼き払うのだ」
しっしっと手を払う竜。
困ったような視線を魔王に向けたが、相手は明後日の方角を向いて口笛を吹いていた。
あ、あの野郎!
竜は後で魔王を一発殴ることを心に誓った。
「そいつらは我の縄張りを荒らした。ミサキ、貴様も命を危険に晒されたのだぞ」
「でも、私は無事ですし怪我も大したことありません」
「そういうことではない。こういう連中は潰しておかなければまた数を増やして厄介な事をする。だから国ごと滅ぼして見せしめにしなければならんのだ」
それは竜の経験則だった。
今ほど竜の威光が広まっていない頃に竜を狙って大勢の刺客が襲いかかって来た。
そんな事をする相手を徹底的に排除して今の竜の存在がある。
目には目を歯には歯を。
竜にとってはごく普通の当たり前のことだった。
「やられたらやり返す。それだけだ」
「でも、誰も死んでません。怪我した人だって私が治しました! それなのにリュウさんが王国の人を全員殺そうとするなんて間違ってます」
「それはあくまで結果だ。我が間に合わなければ、貴様が治癒魔法を使えなければあそこにいた全員が死んでいた」
竜の言うことはもっともだった。
一歩間違えばあの宿の前には死体の山が積み上がっていたに違いない。
「ならばその報復をせねばならん。自分達がいかに愚かだったのかわからせる必要がある」
「だったら尚更です。それで相手を皆殺しとか考えが単純過ぎます。ひとまず追い返すだけでこれからどうすればいいかみんなで相談すれば良かったじゃないですか!」
彼女の発言は竜にとって甘いだけの理想論だった。
そんなことをして相手に時間を与えれば次は何をするかわからない。
追い詰められた者こそ一番恐ろしことをしでかすのを知っている。
だからこそ早めに消して全て無かったことにするのが手っ取り早いというのに。
「ふん。貴様にはわかるまい」
「わかりませんよ。こんなこと初めてだし、リュウさんは勝手に一人で行っちゃうし」
俯いた状態で愚痴るように呟く声が竜の耳に届く。
震えている声色に込められているのは怯えだった。
「あのまま宿で待っていればよかったのだ。そうすれば丸く収まった」
この少女の悲しみを、苦しみや痛みの原因を竜は取り除きたかった。
力づくだと言われても彼はそれしか知らないのだから。
「丸くなんて収まりませんよ」
だからこそミサキは否定する。
パスが繋がって相手の痛みが流れ込んできているからこそ気づいたことがあったから。
「だって、リュウさん帰ってくるつもり無かったでしょう?」
力強く顔を上げ、真っ直ぐに黒い瞳が竜の目を見る。
「怒ってたのは本気だったけど、それと同時に寂しいとか悲しいって心の声が聞こえたんです。まるで居場所を無くしたみたいな」
竜は返事をしなかった。それが答えだ。
「フェイトさんから教えてもらいました。私だって今はリュウさんの気持ちが少しはわかるつもりです」
ゆっくりと歩み出し、伸ばされたミサキの手が竜の体に触れる。
「私が一番嫌なのはリュウさんが自分から嫌われ者になっていなくなることなんですよ」
ポタポタと地面に染みが広がる。
「私のためを思うなら勝手にいなくならないでください。私を置いていかないで……」
竜は驚いた。
どうせ彼女はまた甘い正義感を持ち出して人死にを放置できないからここまで来たのだと思った。
飛び抜けてミサキという少女はそういった感情が強く、いつもトラブルに首を突っ込んでいた。
なのに、まさか彼女が一番心配していたのは竜の方だったという。
こんな風に誰かから思われるのは初めての経験だった。
「おい、魔王!」
「あーあ、ミサキちゃん泣かせちゃった」
幼児が親の手を握るようにミサキは竜の体に抱きついていた。
動けば簡単に振り解けるのに何故かそれが出来なくて困惑する竜は魔王に助けを求めるが、返事は近所のクソガキと同じだった。
よし、絶対にしばく。本気でしばいてやる。
魔王へのお仕置きを決心する竜であった。
「むっ……」
ふと、そんな馬鹿なことを考えられるくらいには思考を埋め尽くしていた激情は冷めていることに気づいた。
「はぁ……仕方ない。わかったから泣き止め」
「もう、いなくならないですか?」
泣き顔のまま見上げる少女の縋りつくような声に最強生物は狼狽える。
「と、とりあえず今のところは我の家はあそこだ。用が済めば帰る」
顔を背け、たっぷり考えて竜は報復を一旦諦めることにした。
自分の怒りなんかよりも今は少女が悲しんで泣くことの方が心苦しかったからだ。
「本当ですか?」
まだ泣き止んでいないが、少女の中が安堵と喜びの気持ちで満たされていく。
(全く、心の底から我を心配して気遣うなど興味深くて相変わらず面白い娘だ)
繋がった回路から流れ込んでくる向けられたことのない感情。
恐れ敬われるだけの自分と関わりが無いと決めつけていたそれに不思議と悪い気はしないと竜は思うのだった。
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