第38話 王都に訪れた災害

 

 その日のイーストリアン王国はいつも通り平和だった。

 騎士団や神官達が何やら騒がしく駆け回ってはいたが普通に暮らす人々にとっては関係が無かったからである。

 まだ魔族との戦争について国の上層部は公には発表をしておらず、魔族と繋がりのない王国民は日常を送っていた。


「ママ、空が曇ってきたよ」


 母親に手を引かれた子供が空を指差す。


「あら嫌だわ。洗濯物を干してるのに……」


 今日は雲一つなく晴天だったというのに急に空が曇り出したのを見て母親は不満たっぷりに文句を言いながら買い物を切り上げて帰宅することにした。

 露天商も天を仰いで残念そうに早めの店仕舞いを決意する。

 王都の正門に立っていた兵士達は雨合羽の用意をしなければならないと憂鬱な気分になっていた。

 王城の庭でアフタヌーンティーをしていた国王と聖女も早替わりする空模様に愚痴を溢す。

 王都にいた住人達が一様に空を見上げていたそんな時だった。


「ガァアアアアアアアア!!」


 雲を従えるように姿を現した巨大な影。

 影は咆哮を上げながら王都へと降ってくる。

 しかし、ここはイーストリアン王国の中枢であり、神聖教会の総本山でもある。

 遥か昔に魔族に対抗するべく編み出された結界が外敵の侵入を防ぐために展開されていた。


 だが、それは管理するものと魔力を供給するものがいてこそ本領を発揮する。


「結界が突破されたぞ!!」


 パリーン! というガラスが割れるような音がし、もしものために用意されていた警鐘が打ち鳴らされる。

 カーン、カーンと緊急事態を知らせる鐘の音が各地に響き渡り、僅か数分の間に王都の平穏は崩れ落ちた。


「に、逃げろ!」

「何だって急にドラゴンが!!」


 銀色の竜を見た人々が悲鳴を上げる。

 外の喧騒に気づき扉や窓を開けた住人達も王都の空を旋回する怪物に恐れをなした。

 一方で、地上にいた兵士達は何とか竜を追い払うべく魔法や弓矢での攻撃を試みる。

 魔族との戦争を計画していただけはあり、速やかに準備が行われた。


「撃て!!」


 指揮官の指示で竜に目掛けて飛来する魔法や矢の雨。

 ただの魔物であればたまらず逃げ出すほどの物量であり、更には神聖教会の神官によって加護の魔法まで付与された特別製の攻撃だ。

 いくら恐ろしい竜とはいえ、たった一匹で大国の都を陥落させることはまず不可能だ。

 そう、ただの竜であれば。


「フンッ!」


 銀色の竜が全力で翼をはためかせた。

 すると、民家の屋根を吹き飛ばす程の強風が発生し、飛んで来る攻撃の全てをはたき落とした。

 魔法も矢も、この竜の王の前では効果が無かった。

 まるで大人と赤ん坊くらいの力量の差があり、竜は兵士達の命懸けの猛攻を無視しながら王都を眺める。


「あそこだな」


 真下で人間がパニックになって騒いでいることなど歯牙にもかけずに竜が見つけたのは二つの巨大な建造物。

 片方は大聖堂、もう片方は城だ。

 竜がまず最初に選んだのは大きな城だった。

 あそこに竜の逆鱗に触れる命令を出した愚かな人間が住んでいる。

 当然、城というのは敵の侵入を防ぎ、戦さにおいても王を守る砦としての役目を担うため守りに適した造りをしている。


「邪魔だ」


 ところが、その城の大きな門は竜が放った咆哮によって簡単に破壊されて瓦礫の山になってしまった。


「な、なんだあの化け物は……」

「城門が一撃で壊されたぞ!?」


 想定外のあまりに圧倒的な強さに城にいた騎士達はたじろぐ。

 武器を手にして勇敢に立ち向かおうとした彼等の闘志は簡単に折れた。

 王都で最も安全だったはずの場所がたちまち天国に一番近い場所になってしまったのだから仕方ない。

 ゴロゴロと雷鳴が轟く悪天候の中、翼を広げて頭上に浮かんでいる竜は自分達の死神なのだと騎士達は悟った。

 最初から災害に立ち向かうなんて馬鹿な勘違いをせずにさっさと逃げれば良かったんだと。




 ♦︎




 偶然にも庭園に出ていて城門が吹き飛ばされる姿を見ていた若い国王と聖女は腰を抜かして地面に転がっていた。


「な、なんだあの化け物は! 早く追い払え!」

「誰か私をさっさと運びなさいよ!!」


 二人は周りにいた護衛や使用人に命令をするが、誰も動けない。

 いや、動いた瞬間に自分があの瓦礫と同じ目に遭うと本能で感じて体が硬直しているのだ。


「陛下、ソアマ。さぁ、早く城の中へ」


 そんな中でもいち早く動いたのは新しく教皇となったゴグワールだった。

 腰の抜けた二人を引き摺るように動き出した姿に周囲の人間は流石は教皇様だと感心したがその心中は彼らの想像とは違っていた。


「(この城はもう駄目だ。あんな化け物が暴れれば大勢が死ぬが、国王と聖女さえ生きて手元にあればいくらでもやり直せる。城の連中は生贄になって時間稼ぎをしてもらう)」


 自分の保身のことだけを考えながらゴグワールは小太りな老体に鞭を打って竜から距離を取ろうとする。

 しかし、それが不味かった。


「グゥウウウッ」


 唸り声を鳴らしながら銀色の竜の目がゴグワール達の方を見た。

 竜はただ空中に浮かんでいただけではなく、標的を探していたのだ。

 この混沌とした現場の中で真っ先に逃げ出そうとする愚かな統率者を。


「ひぃ! こっちを見たぞ。な、なんとかしろソアマ! お前は聖女だろう」

「無茶言わないでよ! あんなの相手に何が出来るのよ」

「聖女は勇者と共に魔王を倒したんだろ? だったらなんとか出来るはずだ!」

「ふざけんな! 私にそんな事出来るわけないでしょ!?」

「俺は国王だぞ! 命令に従えよ!」


 パニックになりお互いを罵り合う新しい国王と娘の聖女。

 命の危険が迫るこの場で空気を読まずに口喧嘩を始めたことにゴグワールは苛立った。


「黙らんか馬鹿供! さっさと逃げねば死ぬぞ!! 儂の野望のためにもこんな所で終わるわけにはいかんのだ」


 目の上のたんこぶが死んで奪い取るように教皇になった。

 馬鹿な娘を聖女に祭り上げ、王妃になれるようにした。

 残るは魔族を滅ぼすだけ。

 自らの宿願が叶う一歩手前まで来たのにこんなところで死んでいられない。


「死ぬなら儂の役に立ってから死ね! 何のために貴様ら馬鹿をトップに据えたと思っている。儂が御し易くするためだぞ! 言うことが聞けぬならここで死ね!」

「ゴグワール!?」

「パパぁ!?」


 聞かされた本音に驚く国王と聖女。

 これまで自分達の味方だと思っていたゴグワールの言葉は二人の罵り合いを止めるだけの効果があった。

 未だに動けない城の人間を置き去りにして自分可愛さに走り逃げ出そうとする三人。

 だがしかし、それを阻む様に竜が立ち塞がった。


「「「ひぃいいいいい!!」」」


 情け無い悲鳴を上げて身を寄せ合う三人の眼前に大きく開かれた竜の顎。

 魔力が集まって光り輝く口から放たれる咆哮がどれだけ強力なものかは城門で体験済みだ。

 雷が大きな音で城の近くに落ちたのを合図にゴグワール達の視界は真っ白に染まった。


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