第37話 元聖女と暴竜


「グガァアアアアアアアアアア!!」


 耳を塞ぎたくなるほど大音量でリュウさんが吼える。

 本能的に足が止まり、騎士の中にはその姿を目撃して剣を落として戦意を失ってしまう者もいた。


「ド、ドラゴンだとぉ!?」


 騎士達が動揺する一方で安堵の表情を浮かべる魔族達。

 避難していた人達は彼が味方だと知っている。

 私も絶体絶命のピンチにリュウさんが助けに来てくれたことが嬉しかった。


 でも、それが間違いだって気づいたのはすぐ後だった。


「グルァ!!」

「ぎゃっ」


 ドラゴンの姿をしたリュウさんが尻尾を大きく振る。

 たったそれだけで、それだけのことで重くて硬い鎧を身につけた騎士達がボーリングのピンみたいに吹き飛んだ。

 数十メートル近く飛んだ騎士達が地面転がる。


「ひ、ひぃいいいいいい」


 地に横たわり、ピクピクと痙攣している仲間を見て残っていた僅かな騎士達が腰を抜かして悲鳴をあげた。

 圧倒的な戦力差。

 生き物としてどう足掻いても勝てない捕食者を目の前にして心が折れずに立ち向かおうとする人はいなかった。


「グォオオオオオオ!」


 銀色のドラゴンが爪で引っ掻く。

 紙を千切るように鎧が裂け、血を流す騎士が増える。

 怒り狂う凶暴なドラゴンの前では王国の派遣した優秀な騎士も虫ケラ同然だ。

 彼らは一つだけ注意しなくてはいけなかった。

 ただの虫であれば目障りだとしても見逃して貰える可能性が充分にあった。

 しかし、その虫が危害を加えてきたとなればそれは害虫に他ならない。

 害虫を前にした時に取る行動は決まっている。駆除だ。


「た、助けろ! 私は教皇様の使者だぞ! 私に何かあれば神聖教会とイーストリアン王国が黙っていない!!」


 運が良かったのか、それともわざとなのか最後に残ったのはあの神官だった。

 泣き叫びながら静観……いや、あまりの迫力に眺めることしか出来なかった民衆へ偉そうに助けを求めていた。


「そうか。ならばそんな愚かな国を滅ぼしてやろう」

「え?」


 ドラゴンから返事があるなんて思っていなかったのか驚いた表情をする神官。

 戦意を喪失し、粗相した神官を放置したまま翼を広げて空に飛び立つ。

 銀色のドラゴンが一瞬だけこちらを見た気がした。


「リュウさん待っ」


 目の前で行われていた暴力による蹂躙に呆然としていた私はハッとして彼を呼び止めようとしたが、その声は翼を羽ばたかせた際に発生した風と砂埃によって掻き消された。

 視界が晴れた時には銀色のドラゴンの姿は小さくなって、イーストリアンの王都がある方へと去っていった。


「ミサキ姉ちゃん!」


 シリウスに呼ばれて我に返る。

 避難民と宿のみんなには怪我は無かった。

 そのことに安堵しながら私は近くにいた人達にお願いをした。


「とりあえず怪我した騎士達を治療するので集めてください」

「連中を助けるなんて正気かよ女将さん」


 魔族の人が驚いた顔をした。

 ララァさん達も困惑した表情を浮かべている。

 けれと、私のやる事は変わらない。


「彼らは命令で仕方なく武力行使をしようとしただけです。それに対しての罰はもう受けました。仮にここで死人が出れば上がどういう風に動くのか予想できないのでひとまず治療をします」

「あー、仲間の弔い合戦とか言われちゃ敵わないね」


 報復目当てで更に血が流れるような最悪のパターンは避けたい。

 片方を力で潰すんじゃなくて、話し合いで手を取り合うのが理想だからだ。


「その代わりミサキさん。変なことしないように連中の手足を縛るのはさせてもらうよ」

「軽傷者についてはそれで構いません。重傷者の方はそもそも動くことすら出来ないでしょうし」


 渋々とではあるが、その辺に苦悶の声を出しながら鎧の騎士が転がったままというのも嫌なようで周りの魔族達も手伝ってくれた。

 あちこちに転がった怪我人を集めれるだけ集めた後で治癒魔法を少しかけておく。

 幸いにも死者はいなかったけど、骨が折れていたり全身打撲で身体中が真っ青な痣の人もいた。


「これでひとまずは大丈夫です。ララァさん、この人達のことは任せてもいいですか?」


「見張りだろ? こっちもあっちも任せときな」


 苦悶の表情で横たわる騎士達とそれを睨んだままの避難民に目をやって引き受けてくれたララァさんとその仲間達。

 この騎士達から逃げてここに来た人もいるだろうし、身動きがとれないとよからぬことを考える人もいるかもしれない。


「よろしくお願いします」


 こういった荒事には慣れてるからと野次馬を追い払い、ひとまず騎士達を宿の中へ運んで貰っている間に私は準備をする。

 準備といってもやる事はシンプルに魔力を注ぐだけ。

 それだけで身につけていた腕輪が光って空の彼方に光が飛んで行った。

 反応があったのは一瞬の事だった。


「ミサキちゃん大丈夫かい!?」


 私が立っていた場所のすぐ近くに魔法陣が出現し、てそこから魔王であるフェイトさんが姿を現した。


「まさか本当に使われるとは思っていなかったけど、何があったんだい!?」


 ただならない空気を感じたのか鋭い眼差しで辺りを警戒するフェイトさん。

 服装も普段のカジュアルなものとは違っていかにもな軍服とマントだったので人間との戦争に向けて備えていたんだろう。


「実は……」


 まだ私も気が動転していて説明がおぼつかない部分もあったけれど頑張ってさっき起きた事件を話した。

 全てを聞いた後にフェイトさんは「くそっ」と悪態をついた。


「どうしてこうも悪い方に進むんだ……」


 額に手を当てて苦悩の表情を浮かべるフェイトさんに私はあるお願いをする。


「フェイトさん。私を王都まで連れて行ってください」


「本気かい? キミの話を聞いた限りだと彼は怒り狂っている。ボクは一度暴れ回る彼を見たことがあるけど、災害そのものだよ」


「はい。私はどうしてもリュウさんを止めたいんです」


 騎士達を簡単に薙ぎ払う姿を見た。

 私の怪我した肩を見て、目の色が変わるのがわかった。

 最後に一瞬だけ合った視線の意味を知らないままじゃいられないから。


「わかったよ。三十秒で支度するから少し離れていてね。魔王の本気をご覧にいれよう」






 ♦︎






 銀色の翼を広げて竜の王が空を飛ぶ。

 雲を切り裂き、あっという間に山々を越えていく。

 竜の青い瞳は怒りの炎に染まっていた。

 自分のお気に入りを害されたことと、肝心な時に側にいなかった自らへの怒りだ。


 竜は人の姿を真似るが、その本質はどこまでいっても竜である。

 ならば竜の掟を敵に教えてやらねばならない。

 自分達がいかに愚かだったのかをその身で味わえ。


 もうすぐ人間が多く住む都が見えてくる。

 きっとそこには何も知らず笑って暮らしている連中がいる。

 竜はそれが気に入らない。


 これまでなら何の興味も湧かない存在だった。

 けれど、あの宿で過ごす内に竜は知った。

 半魔族の兄妹が時折り悪夢で泣くことを。

 数少ない友人が種族の諍いに頭を悩ませていることを。


「最初からこうすれば良かったのだ。全てが消えてしまえば苦しむ必要はないのだ」


 とある少女が偶に都のある方を眺めていた。

 顔にも出さず、言葉にもしなかったが竜にはわかる。


「アイツを泣かせるものは我の敵だ」

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