第35話 元聖女様と避難民
「はい。これが今日の配給分だぜ」
「ありがとうね坊や」
「礼ならミサキ姉ちゃんに言ってくれよ。この野菜を作ったのも、みんなの世話をするって決めたのもミサキ姉ちゃんなんだからさ」
シリウスがそう言うと収穫したばかりの野菜を受け取った魔族のお婆さんが私の方にぺこりと頭を下げた。
やっぱり人間っていうのと、最初に私を襲おうとした人がリュウさんにお説教……という名の折檻を受けたのを見て怖がらせてしまったせいで魔族の人達と完全には打ち解けられていない。
けれど、少しずつ生活を共にする中であのお婆さんのように会釈をしたり、畑の収穫を手伝ってくれる人も増えてきた。
私達はまだお互いを知らないだけなのだ。
焦らなくていいからゆっくりと歩み寄ればいつかララァさん達やシリウス達兄弟のように仲良く笑い合えるようになると思いたい。
「あの、女将さん……」
「はい。どうされましたか?」
お婆さんに会釈をし、宿のみんなでやっていた野菜を配る作業に戻るとネズミみたいな顔をした男性に声をかけられた。
「うちの妻が腰が痛くて起き上がることもできないんですよ」
「それは大変ですね。すぐに奥さんのいるテントまで案内してください」
男性の後を追いかけて仮住まいのテントに入ると寝床らしい場所で横になっている同じネズミのような魔族の女性がいた。
「おい。女将さんを連れてきたぞ」
「腰が……」
痛みを訴えながら腰をさする女性に近づき、私は膝をついて床に座る。
「どの辺が痛みますか?」
「ここからこの辺までが痛いんです……」
「少し触りますね」
呻き声をあげながら辛そうな表情をする女性の体に手を当てて症状の重さを確認する。
このところ彼女のように体の痛みを訴える人が増えている。多分、原因は寝床の硬さと疲労感だ。
「すぐ良くなりますからね。【ヒール】」
手をかざすと淡い光が女性の体を包み込む。
このくらいだったら大した魔力の消費にはならない。
光が消えた頃には女性の顔色はかなり良くなっていた。
「痛くない……嘘みたいに体が軽いわ!」
「治しはしましたけど、もう少し横になって休んでいてくださいね。無茶をするとまた痛めちゃうので」
「ありがとうございます女将さん! ほら、アンタもお礼いいな!」
「ありがとうございました。妻が元気になってなりよりです」
魔族の夫婦から感謝されて悪い気はしなかった。
私はただ自分にできることをしただけだがそれでも辛くて苦しそうな顔に笑顔が戻るのは喜ばしい。
「あの、お礼についてなんですけど……」
「お金は必要無いですよ。今は非常事態ですし、助け合わないといけませんから」
旦那さんは治癒魔法に大金がかかるのを知っていたようで、私の顔色を伺っていたので安心してもらうために説明をする。
ここに逃げてきた人達は移動の邪魔にならないよう最低限の荷物しか持っていないし、お金も逃げてくる間に使ってしまった人が多かった。
「でも、もしよろしければ全部丸く収まったら宿に泊まりに来てください。精一杯おもてなししますから」
だがしかし、教会で聖女としていた頃ならまだしも今の私は宿の経営を任された女将なのでお店の宣伝だけは忘れないようにしなくちゃいけない。
ちょっぴりお願いするように言うとネズミ顔の夫婦はお互いの顔を見合って、笑いながら「必ず行きます」と言ってくれたのだった。
「私は配給の続きがあるのでまた何かあったらいつでも声をかけてくださいね」
夫婦のテントから出てまたあちこちを回りながら野菜を配り歩く。
本当に畑と私の魔法があって良かったなぁ。
生きていく上で食糧は一番大事なのでそれが尽きないのは大助かりだ。
勿論、畑の野菜だけだと食事が偏るので近くの森へ冒険者さん達や男の人が狩りに行くこともある。
ただ、こちらは森の深いところまで行くと凶悪なモンスターが出たりダンジョンもあるので上手くいっていないらしい。
「リュウさんがいたら楽チンなのにねー」
「ねー」
野菜を配り終えるとルーナちゃんを見つけたので、仲良く手を繋いで宿に帰ることにした。
「リュウおじちゃんはいつ帰ってくるの?」
小さい子というのは残酷でルーナちゃんはリュウさんのことを「リュウおじちゃん」と呼ぶ。
呼ばれた本人は気にしていないけど、この子はフェイトさんのことをキチンと「まおうさまと」呼ぶので私としてはちょっとおかしくて笑ってしまう。
「私にも分からないなぁ。いつもなら日暮れ前までに帰ってくるけど数日戻らないって言ってたし」
このところリュウさんの様子がおかしかった。
私が直接理由を聞いてもはぐらかされて、言いたくなさそうだったのでそれ以上の追及を止めた。
「でも、そろそろ帰ってくると思うんだよね。根拠はないんだけど」
上手く説明はできないけど、本当になんとなくそんな気がした。
虫の知らせというか、第六感というか、リュウさんが今も元気で飛び回っているという確信がある。
「じゃあ、おじちゃんが帰ってきた時のためにごはんをいっぱい作らなきゃ!」
「確かに。リュウさんなら腹が減ったぞ〜、我の飯を持ってこーいって言いそうだもんね」
私のモノマネが面白かったのかルーナちゃんがお腹を抱えて笑い出した。
本当によく笑う子になったなと思う。
消え去りそうな命だったなんて想像がつかないくらい元気になってくれて嬉しい。
ふと、小さいルーナちゃんの手を握りながら教会で一緒に暮らしていた子供達やロッテンバーヤさんのことを思い出した。
今頃、元気に過ごしているのかな?
「おい、なんか向こうが騒がしくないか?」
もうすぐ宿に着くというところで、何やら人が集まっているのが見えた。
宿に誰かお客さんが来たのかな? それとも新しく避難してきた人がいる?
「ちょっと、道を開けてください」
ルーナちゃんの手を握ったまま人混みを掻き分けて進んで行くと鉄の鎧を身につけた集団が見えてきた。
冒険者の人も鎧を着ていることが多いが、彼らのとは違う統一されたしっかりとした鎧。
それに鎧には所属を明らかにするイーストリアン王国の紋章が装飾されていた。
「ミサキおねぇちゃん……」
不安そうな声で私の名前を呼ぶルーナちゃん。
「大丈夫。大丈夫だよ」
その言葉は誰を安心させるためのものだったのか。
彼女を引っ張って来た自分の手に少し力が入るのを感じた。
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