第34話 王都と魔王城の現状。

 

「おい、そこの吟遊詩人。フードを外して顔を見せろ」

「かしこまりましたお役人さま」


 腰に剣を携えた衛兵に声をかけられ、背の高い細身の男が言われたとおりに顔を曝け出す。

 日の光に照らされた小麦色の肌と整った顔立ちに近くを通りかかった主婦が思わずうっとりし、衛兵も同性ながら男の顔の良さに一瞬だけ目を奪われた。


「も、もういい。さっさと顔を隠せ」

「はい。お見苦しいものをお見せいたしました」


 男に見惚れてしまって複雑な気分になった衛兵。

 フードを深く被って軽く頭を下げた男は衛兵が去っていくのを見送り、近くの路地裏に逃げ込むように移動した。

 周囲を警戒し、誰にも見られていないのを確認して溜め息を吐き出しながら男は魔法を解除する。


「やれやれ、まったくこうもチェックが多いと商売になりませんな」


 長く尖った耳を掻きながらエルフのヒルスールは呆れた声で呟いた。

 吟遊詩人としてハープを片手に各地を旅していたのだが、この頃は衛兵や騎士の巡回や取調べで行動が制限されており飽き飽きしていた。

 それもこれもイーストリアン王国中に出された王命のせいだった。


「魔族の強制収容とは随分な命令ですな」


 王国内に暮らしている魔族を国が管理している特別居住区へと移送するこの政策は魔族や混血にとって恐ろしいもので、世間では魔族狩りと呼ばれている。

 なんでも移送先は不自由しかない鉱山であり、連れて行かれたものは日の光を浴びることなくずっと強制労働をさせられるというものだ。

 老若男女関係なく、朝から晩まで働かされて満足な食事も与えられない待遇は犯罪者に課せられる刑罰よりも扱いが酷いという。


「おい! 魔族の冒険者が逃げたぞ!」

「馬鹿な奴らめ。大人しく従えば命だけは助かったのに」


 表通りから聞こえた衛兵達の怒号にヒルスールは天を仰ぐ。

 この強制収容の最も怖いところは王命に従わなかった場合の処罰だ。


「移送を拒んだ者の生死は問わないとは、生きづらい世の中になりましたな」


 従えば地獄。逆らえば死。

 かつて魔族と人間とで激しい戦争が起き、多くの命が失われた。

 当時を知るヒルスールとしてはあの勝者も敗者もない醜い光景を見たくはないのだが、時代の流れはよくない方へ向かっているように感じる。

 人間と魔族との溝が更に深まれば再び世界に悪夢のような日々が訪れるだろう。


「扇動してるのが神聖教会というのが尚更嫌ですな。さてさてあの宿の方々が無事ならば良いのですが」


 思い返すのは行き倒れた自分を助けてくれた不思議な面子が集まった宿のこと。

 約束通りに旅の合間に宣伝をしておいたがあれからどうなったのかをヒルスールは知らない。

 風の噂では魔族狩りから逃げる者達が魔族の国へと向かっているというが、あの宿はその道中にあった。


「まぁ、竜王様と魔王様がいれば大抵の困難はものともしないでしょう。わたしは風の赴くままに旅を続けるだけです」


 イーストリアン王国の空を大きな雲が覆っている。

 風の精達がそわそわしているのを肌で感じながら吟遊詩人のエルフはフードを深く被ってさっさと王都から離れることを選ぶのだった。




 ♦︎




「魔王様。人間領にいる間諜から報告書が届いております」


 魔王城。

 アズリカから手渡された書類に目を通すフェイト。

 執務室の椅子に深く腰掛けながら紙の束をめくっていくと、記されていたのは予想していた通りの内容だった。


「如何なさいますか?」

「間に合うかどうかは彼次第だね。策は既に打ってあるし、ボクらに出来るのは祈るくらいだよ」


 魔族には神はいないというのにこの方は何に祈っているのだろうと思ったがアズリカは口にしなかった。

 魔王の考えることはよく分からないが、それが今まで魔族の利益になってきたことは事実。

 きっと今回も考えがあるのだと割り切ることにした。


「では、次に各部族から届いた意見書を」

「どうせさっさと開戦をしろっていう催促状だよね」


 こちらは目を通さずとも内容を把握したようで、嫌々ながら紙の束を受け取ると重たいため息を吐いた。


「頭が痛いですね。彼らは四十年前の処罰を忘れたのでしょうか?」


 アズリカが言っているのは今回の魔族狩りのきっかけになった事件。

 あの時の魔王の怒りは凄まじいもので、主犯格だった魔族達とそれを止められなかった部族の長達は厳しい罰を与えられた。


「部族によっては若い子が出世している頃だし、人間を知らない魔族も増えて来た。ガス抜きをしないといけない時期なんだろうね」


 優れた身体能力が高い魔法適性を持っている魔族達は人間という種族を自分達より劣っていると思いがちだ。

 もしそれが事実なら過去の戦争は魔族の圧倒的な勝利で終わっているのに、そうはならなかった。

 現実というのはそんな簡単なものじゃない。


「各地の族長に返事をしないとね。文句があるならボクを倒してからにしろって」

「魔王様が直接相手をされるのですか?」

「うん。ボクは魔王だからね。魔族のことについて責任を負う義務ががある」


 貴方はまた自分の仕事を増やすつもりなのですか?

 アズリカは仕事中毒の魔王に小言を言いそうになり、言葉を飲み込んだ。

 人間との戦争が終わってから走り続けてきたこの魔王にとって長年の願いが今実現に向かっている。

 自分の主人が心の底から笑っている珍しい姿をここ最近見かけるようになってきた。

 夢のためにどれだけ本気なのかを知っているつもりで、その手伝いをするのがメイドである己の役割だと言い聞かせる。


「あまりご無理をなさらないようにしてください」

「大丈夫。事が全部終わったらちゃんと休養しにあそこに行くつもりだからさ」


 そう言ってフェイトは椅子から立ち上がり上着を羽織る。

 目的地は催促状を送ってきた人間に対して好戦的な魔族達のところだ。


「じゃあ、行ってくるよ」

「お気をつけていってらっしゃいませ」


 執務室の窓を開くとすぐそこは魔王城からの景色が一望できるバルコニーだ。

 魔王フェイトは魔法を使うと颯爽と宙に浮き、空へと飛び上がった。

 どんどん影が小さくなるのを見送り、アズリカは窓を閉めながら独り言を呟く。


「貴方が羽を休められる場所はここではないのですね」


 魔王の机の上には最近撮影された写真が飾られている。

 豪快に笑う人の姿をした竜王と美しい黒髪を乱暴に撫でられて竜王に抗議する少女、そしてそんな彼らの様子が面白おかしいと笑っている魔王。

 撮影したのはアズリカで、よく見れば背景に顔のないのに申し訳なさそうな雰囲気を出した人形もいる。


「あっ」


 そんな写真を慈しむようそっと撫でようと手を伸ばした瞬間、何の偶然か写真立てがパタリと倒れて地面に落ちてしまった。

 アズリカが慌てて回収するが、額縁に使われていたガラスの部分が砕け散っていた。


「……ドワーフの元に運べば修理してもらえるでしょうか?」


 お気に入りの写真を飾る器が壊れたとなれば主人が悲しむかと思い、アズリカは早速修理してくれそうな者の所へ足を運ぶのだった。









 そしてこの翌日、イーストリアン王国は厄災に見舞われることになる。






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