第23話 元聖女様、手を伸ばす
「おい! 勝手に動くな!」
背後にいた誘拐犯が声をあげるが、そのことも逃亡手段も何もかもが頭から抜け落ちて、私は少女の元へ近づく。
「…………ぅ……っ……」
そこに寝ていたのは犬のような耳を生やした少女。尻尾生えている人間とは違うその容姿から、多分魔族だろう。
そして、その体には無数の痣と紫色の斑点模様が浮かび上がっており、顔色も青を通り越して真っ白だ。
迂闊に触ると移る可能性もあるので目視で診察する。
「大丈夫!? しっかりして!」
苦しそうに呻き声をあげる少女に声をかけるが、反応は鈍い。恐らく意識も朦朧としている。
「そいつに触るんじゃねぇ!!」
急いで治癒魔法を使おうと手を伸ばした瞬間、私をここまで連れてきた男が私を突き飛ばした。
「いたっ…」
かなり強く押されたせいで私は小屋の壁で背中を打った。
そういえばついさっきまで命が危なかったのは私の方だったと、痛む背中をさすりながら顔を上げる。
初めて誘拐犯と目が合うが、そこにいたのは私の想像とは全く違う人物だった。
「あなたは……」
「ちっ」
ボロボロの洋服を着た私とそう年が変わらなさそうな少年だった。
散髪をしていないのか、髪の毛はボサボサに伸び切っていて清潔感が無い。
靴も履いておらず、手に持っているナイフも錆びている。
そして彼は、横たわる少女と同じような耳をしていた。
「おい。妹を治せ、さもなきゃお前を殺す」
魔族の少年が私の眼前にナイフを突きつける。
淀んでいる目には光が無く、これが脅しなんかじゃないと理解した。
「言われなくても治療します」
怖い。
だけどそれよりも優先すべきはこの少女だ。
「魔法を使うから邪魔しないで」
さっきみたいに途中で遮られたら困るので、今から何をするかを告げる。
少年は無言のままだったが、次は邪魔をする気は無いらしい。
「【ヒール】」
見慣れた光が女の子を包む。
何の病気なのかはわからないけど、ここまで症状が重そうだと大変だ。
転んだ擦り傷程度は一瞬で治るが、命に関わるような重傷だと時間がかかる。
「おい、まだか?」
「集中しているから黙って。魔力のコントロールが必要なの」
中々治癒しない妹が心配になったのか少年が覗き込んでくる。
私は自分の中にある魔力のありったけを掌に集中させて魔法を発動させる。
聖女と呼ばれるくらいには治癒魔法に自信があった私でもかなり難しい治療になりそうだ。
まぁ、それでも手負いのドラゴンよりはマシだ。
「……くるしいよぉ……」
「お願いだから生きるのを諦めないで。私が必ずあなたを助けるから」
治癒魔法と病魔が体内で争う苦痛に声を漏らす少女に呼びかける。
死にかけの状態から自発的に痛みを訴えられるのは魔法か効いている証拠だ。
「にいちゃんが治癒師を連れて来たんだ。頑張れルーナ!」
兄の少年も妹が苦しむ姿を見て小さなその手を掴んで祈るように声をかける。
妹思いのいいお兄ちゃんじゃない。
「【ヒール】【ヒール】【ヒール】」
絶対にこの子を死なせないという強い意志で私は魔法を重ねがけする。
魔法を発動させる度に体の中から魔力が減っていく感覚があるけど、まだいける。
「死ぬなルーナ!」
「もういっちょ気合い入れて……【ヒール】!!」
今の私が使える全魔力を注ぎ込む勢いで治癒魔法を唱えた。
強くなった光がルーナちゃんの全身を眩く包み込む。
ここまでやってようやくこの子の体にあった紫色の斑点模様が消えて、じわじわと血色が良くなる。
そこから更に数分粘ると、ルーナちゃんは穏やかな表情になった。
「ふぅ……。とりあえず峠は越えたよ」
「ルーナは、妹は助かったのか!?」
「いいえ」
少年の問いに私は首を横に振る。
「今すぐな命の危機が去っただけで根本的な解決になっていないからこのまま放置していたらさっきと同じことの繰り返しになる」
「そんな……」
かなり危険な場所まで進行していた病は体を大きく蝕んでいる。
一旦は私の魔法で回復しても、そこからのリハビリや環境の改善が無ければ再発する可能性がある。
「これからの治療について大人と話たいんだけど、ご両親は?」
「二人共死んでる」
少年の返答に私は驚かなかった。
まともな親がいるならこんなボロ小屋を寝床にはしていないだろうから。
「なら村に頼れそうな人はいない?」
「そんなのいるわけねぇだろ」
かなり強い怒気が混ざった言葉だった。
「オレとルーナは魔族のハーフで誰も見向きもしねぇ。この村じゃ嫌われ者だから誰も助けちゃくれねぇんだよ」
少年の口から出たのは衝撃の事実だった。
「前にルーナを医者に見せようとしたら断られた。貴重な薬を魔族なんぞにやれるかって。金さえあればどうにかなったかもしれねぇけど、魔族でガキなんかのオレに仕事させてくれる場所もねぇ」
村の中で会話をした人達の顔が頭をよぎる。
買い物をして笑顔で接客をしてくれた人や、西の方に住んでいると言ったら私を心配してくれた人。元気に遊びまわっていた子供達。
その誰もがこの兄妹に手を差し伸べなかったの?
「村の中じゃ石を投げつけられる。弱ってるルーナに早く死ねだなんて言うやつもいたんだ。あんな奴らアテにならねぇ! たった一人の家族は何がなんでもオレが守る。そのためだったら何でもしてやる。だから早くルーナを治せ! あんなに死にそうで苦しそうなルーナがこんな穏やかな顔をしてるんだ。本当は治せるんだろ? なぁ!!」
少年の手が私の襟元を強く握る。
あまりの力の強さに首が絞まって息が苦しい。
「貧乏人だからって舐めるなよ。お前なんか簡単に殺せるんだ。それが嫌なら嘘つかずに助けろよ。魔法だったら治せるんだろ!」
私を睨みつける少年の目は黒く淀んでいた。
誰も信じられない、何もかもが敵だらけの生活が彼の心を狂わせた。
さっきまでの妹思いのお兄ちゃんとは思えない発言に私は胸が痛む。
知らなかった。人間と魔族の仲が良くないとは聞いても、その実態がどうなっているかなんて。
こんな子供達が差別されて命を落とそうとしているなんて。
「ごめんなさい……」
「謝るんじゃねぇ! 何が何でも治せよ! もうコレしかないんだ。他に何も残っちゃいないんだよ……ルーナしかオレにはないんだ……」
少年の瞳から悲しみの涙がこぼれ落ちる。
彼を助けてあげたいと私は思った。
全てを失った私とは違って、まだ彼には守りたいものがある。
救いを求める姿がいつの日かの自分に重なる。
あの雨の日、私は一人の聖職者に救われた。
今の私は聖女ですらないただの小娘だけど、それでも見てしまったものは見捨てられない。
「おい、ミサキに何をしている」
バン! と音がした。
ボロ小屋のドアを誰かが蹴破ったのだ。
「なんだお前! 邪魔するな!!」
突如現れた第三者に少年は敵意を向けて襲いかかるが、それは愚行だった。
錆びついたナイフを侵入者の大男に突き立てようとするが、ナイフの刃は刺さるどころか肌に弾かれて半ばから折れてしまった。
「我に歯向かう愚か者よ。その罪を命で償え」
そこで初めて少年は自分が何に喧嘩を売ったのか気づいたようだけど、遅過ぎた。
鋼すらもやすやすと貫く拳が高く掲げられ、少年は跡形もなく消え去る……なんてことはなく。
「リュウさんストップ!」
「━━っ!? 何をしているミサキ!」
少年を突き飛ばして急に目の前に現れた私に驚くリュウさん。
握られた拳は寸前で停止したけど、その衝撃によって発生した風が髪を撫でる。
「貴様、死にたいのか!? 我の拳は人間なんぞ跡形も無く消し飛ばすのだぞ!」
「自分でも生きてるのにビックリです」
冷静になって考えると肝が冷える。
いつから私はこんなに度胸溢れる性格になったんだろう。
「でも、この子を許してあげてください」
「ならぬ。そこの小僧は我に刃を向けた。それに貴様に無理矢理魔法を使わせたのだろう。だから我は許さぬ」
リュウさんは本気だ。
例え相手が子供でも許す気はないらしい。
私を心配して怒ってくれているのは悪い気はしない。
しかしその代償のためにこの少年が殺されるのは私が嫌だ。
「リュウさん。この子がナイフ刺しても無傷じゃないですか。本気になれば避けられるのに効かないからワザと受けたんですよね。ドラゴンだったら凄く硬いから」
「当然だ。我の肉体はそんな容易く傷付けられるものではない。伝説級の武器でなければ話にならんわ」
「ですよね。……それなのにこんな子供相手に怒って本気出すんですか? 竜の王っていうくらいだからもっと寛大な心を持っていると思ったのに大したこと無いんですね」
「なにぃ? いやしかし、貴様は無理矢理に……」
「そこもですよ。私は彼にこの家に連れてこられましたけど、治癒魔法を使ったのは他の誰でもない自分自身の意志です。私がこの子の妹を助けたいから魔法を使ったんです」
我ながら滅茶苦茶なことを言ってると思う。
こんなのただの屁理屈だ。
リュウさんもそれをわかっているのか難しい顔をして兄妹と私を交互に見る。
「……勝手にするがいい。貴様は本当に読めない女だ」
深いため息を吐いて諦めたようにリュウさんが言った。
「ありがとうございますリュウさん」
私はお礼を言うとずっと腰を抜かして地面に座り込んでいた少年に近づく。
「大丈夫? 怖がらせてごめんね」
「いや、あいつは……そもそもお前は……」
「説明するとちょっと長くなるんだけどね。悪い人じゃないから安心して」
リュウさんがどれだけ強いのかに気づいた少年からはさっきまでの殺気だった雰囲気が消えた。
代わりにこれからどうなってしまうのか不安にしている。
「えっと、それじゃあ妹さんの治療について提案したいことがあるんだけどいい?」
「あぁ。って言ってもオレには何もないぞ」
住まいは今にも崩れ落ちそうなボロ小屋。
着る服も無く不衛生な状態で、ロクな食事もしていないせいで兄妹揃って痩せこけている。
オマケに保護者もいなくて村には居場所がない。
「君、うちの店で働く気はない?」
「店?」
「そう。最近宿屋を開業したんだけど、従業員も少ないから人手が欲しいと思ってたの」
私はこの子達を救いたい。
でも、ただ連れ帰って治療して健康になってもこの子達のためにはならないので働くついでに社会で生きていくのに必要なことを教える。
お給料も支払って、いつかの未来に役立てくれればいい。
「……オレは魔族でも人間でもない半端者だぞ」
「種族なんて関係ない。うちは既に色々と集まってるから気にしないよ」
追放された元聖女にドラゴンに自動人形、スポンサーは魔王ときた。
今更どんな見た目の人が来ても驚かない。
少年は私の顔を見てポカンと口を開け、数秒経ってこう言った。
「お前、真面目っぽそうな顔してかなりの馬鹿だな」
「お前じゃなくてミサキ。それがあなたの雇い主で私の名前」
「オレはシリウス。寝てるのは妹のルーナだ。しばらく世話になる」
こうして、オープン以降最初のお客さんが来る前に私達に新しい仲間が増えたのだった。
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