宿屋開業編

第21話 元聖女様、空を飛ぶ!

 

「お客さんが全然来なーい!!」

「急になんだミサキ」


 宿屋の従業員用居住スペースで私は頭を抱えていた。


「リュウさん! この一大事に気付いていますか!?」

「客が来ないのだろう? いつものことだ」


 そう。お客さんが来ないのだ。

 マジで誰も一人も来ない。


「オープンしてから半月も経つのに……」


 開店記念として用意した花がしおしおになってそろそろ取り替えないといけない。

 毎日掃除をしてお客さんがいつ来てもいいように準備しているのに誰も来ない。


「そもそもミサキ以外の人間を見ておらんぞ」

「それですよ!」


 宿屋があるのは人間が住む場所と魔族が住む場所の中間くらいの位置。

 人間と魔族の戦いのせいで発生した緩衝地帯だ。

 よって、お互いを刺激しないように誰も宿屋の近くには住んでいない。

 養父様から受け継いだこの屋敷も人目を避けるには絶好の場所にあるのだ。


「って、お店が人のいない場所にあってどうするじゃーい!」

「おいマリオ。ミサキが壊れたぞ」


 エルフの旅人であるヒルスールさんや工事をしてくれたドワーフの職人達、そして魔王でもあるフェイトさんが宣伝をしてくれるとは言っていたけど、未だにその効果は現れていない。

 魔族の方はそれでいいけど、結局はもう片方の客でもある人間達は誰もこの場所を知らないのだ。


『どうなさいましたミサキ様』

「マリオさん。このままお客さんがゼロだったらフェイトさんに合わせる顔がないです……」


 宿屋の主な清掃と厨房を一手に引き受ける働き者であるマリオさんに私は泣きついた。

 彼も毎日お客さんがいつ来てもいいように料理の下準備をしている身で、この一大事に頭を悩ませている。


『人間と魔族は長年交流が途絶していましたからね。もう少し気を長くして待った方がいいかもしれません』

「百年程待てば誰か来るだろう。そんなに心配するでない」

「百年も待ったら私が死んじゃってますよ!」


 ただの人間である私と長生きしているドラゴンのリュウさんとでは時間のスケールが違うみたいだ。

 私としては半月もお客さんがいないのは大問題なのに。

 頭を抱えて悩んでいると、暇そうにしていたリュウさんが言った。


「ならば行くか」

「行くって何処にですか?」

「客を待つのが嫌なら客を連れて来ればいいのだ。近くに人間の住む村があるのだろう?」


 そういえば以前にフェイトさんが見せてくれた地図に書いてあった。

 私の足だと丸二日は歩き続けないといけない場所にあるから関係ないとすっかり忘れていた。


「我がそこに行って人間を捕まえてくればよい」

「却下! それ誘拐ですからね!!」


 とんでもないことになる所だった。

 空から銀色のドラゴンが人を拐いに来るなんて村の人からすれば大災害に違いない。

 そもそもリュウさんに行かせるとトラブルになって村が地図から消える可能性だってあるのだ。


「むぅ……いい案だと思ったのだがな」


 やる気を失くしたドラゴンはソファーで横になってしまった。


『誘拐はいけませんが、人里に行くというのはいい考えかもしれませんね』

「というと?」

『ここに宿がオープンした事を紙に書いて村に配るというのはどうでしょうか? 誰かが村を訪ねた時にこちらに宿があると村人が教えてくれればお客さんが来るかもしれません』


 なるほど。チラシを配ってお客さんを呼び込もうってことか。

 村とは距離が離れているけど、場所的にはお隣さんだし、挨拶しておくのも悪くないかも。


『ただ、ワタシでは人を驚かせてしまいますので、ミサキ様にお願いするしかありません』

「それは任せてください。マリオさんには留守を任せちゃいますから」


 今いるメンバーの中で村に入っても騒がれないのは私だけだ。

 ツノと尻尾があるリュウさんだと間違いなく怪しまれるし、機嫌を損なえば村が消える。

 マリオさんは物腰が柔らかくて優しいけれど、見た目が木のデッサン人形で口が無いのに声が聞こえる仕様だ。

 最初に私もビックリしてしまったし、慣れない村の人は混乱するだろう。

 そうなれば客引きにピッタリなのは私になる。見た目も地味だし、背が低いので警戒されることは無いでしょう。

 ひとつだけ気になるのは私は処刑される前に逃げ出した身なんだけど、辺境の村にまで手配書が出回っていてお尋ね者になったりしていないよね?

 念のために軽めの変装はしておこう。


「よし、そうと決まれば早速準備に取り掛かりましょう!」

「我も村まで……」

「めっ!」

「……(ションボリ)」


 マリオさんに白い紙を用意してもらってそこに簡単な宿の紹介文を書く。

 村からの距離や時間、宿の施設や美味しいご飯についても忘れちゃいけない。

 魔族のお客さんも来ますよという部分は悩みはしたけど、あえて今回は書かないことにした。

 いずれは人間と魔族が仲良く過ごせる場所にはしたいけれど、まずは足を運んでもらいたいからだ。

 じゃあ、宿で人間と魔族の人が同時に泊まりに来たらどうするかというと、その辺りはアズリカさんとも相談していて、人間と魔族の人は部屋の位置を少し離すようにして案内するつもりだ。


「よし出来た」


 コピー機なんて便利なものがあればあっという間に印刷出来るのだろうが、そんな物はこの宿屋には無いので手書きで書き写す。

 一枚目さえ書けばマリオさんがそれを精巧に素早く書き写してくれた。


『一から考えるのは苦手ですが、このような反復作業であればお任せ下さい』


 なんて頼りになるんだろうか。

 それに比べてリュウさんは試しにペンを握らせたら字を間違うわ、絵がミミズみたいになるわは諦めて貰った。


「人間の文字は少し見ないうちにコロコロ変わるから好かぬ」


 リュウさん曰く、文字を勉強したのは数百年前だとか。

 日本でも一世紀前の文字とか読み辛いしね。

 そんな話をしている内に今回配る分のチラシが出来上がったので、私は髪型を少し変えたりドワーフ達に用意してもらった伊達メガネをかけて変装する。


「それじゃあ行きましょう!」

「わかった。少し離れていろ」


 出発準備を整えて宿屋裏手の広いスペースに出る。

 リュウさんの体が眩い光に包まれたかと思うと、そこには全長15メートル級の白銀のドラゴンが現れた。

 いつ見てもその大きさと美しさに圧倒されてしまうけれど、口に出すと本人が調子に乗ってしまうので言わない。


「ミサキ。我の背に乗れ」


 リュウさんがしゃがんでくれるので、マリオさんの補助もありつつ私はドラゴンの背中に乗った。


「あの、鞍もなにも無いんですけど大丈夫なんですかね?」

「この我を馬と同じように扱うな。そもそもこの竜王の背に乗れるのは光栄なことなのだぞ」


 落ちないように首にしがみついてみるけど空を飛ぶとなると振り落とされそうで怖い。

 パラシュートは無いから落ちたら即死しそうだ。


「リュウさん、安全運転でお願いします」

「やれやれ仕方ない。貴様には《騎乗》と《風除け》の魔法をかけてやる」


 リュウさんがそう言って魔法を唱える。

 私を淡い魔力の光が包む。


「では飛ぶぞ」

『いってらっしゃいませ』


 白銀のドラゴンが広げられた大きな翼をはためかせる。

 一瞬の浮遊感と共に、どんどん高度が上がって地面が遠くなる。


「うわぁ……」


 宿屋の屋根より遥かに高い位置までいくとマリオさんが小さな米粒サイズになってしまった。


「しっかり掴まっていろ」

「はい」


 改めてぎゅっとリュウさんにしがみつく。

 車なんかよりもずっと速いスピードで空を突き進んでいく。

 空を飛べばひとっ飛びというのは本当で、あっという間に屋敷が山に隠れて見えなくなった。

 風除けの魔法のおかげで吹き飛ばされそうな感覚は無く、ただ空を切る心地よい程度の風が頬を撫でる。

 眼下にある広い景色は今まで自分が立っていた大地なんてちっぽけなものだったと思い知らされる。

 どこまで続くような地平線を見ていると、このまま世界の果てまで飛んでいきたいと考えてしまう。


「おいミサキ。先程から黙っているが、空を飛ぶのにビビっているのか?」

「……その逆ですよ。空を飛ぶのってこんなに気持ちいいんですね!」


 ドラゴンの背中に乗って飛行するなんて元の世界じゃ味わえない。

 鳥と同じように自由に空を飛び回る。

 この感覚も、この気持ちも、きっとこの世界だからこそ味わえた経験だ。

 わけもわからずに異世界へとやって来てしまった私だけど、ハッキリと言える。


「今、私とっても幸せです!」

「がはははっ。ならばもう少しスピードを出すぞ」

「はい!」


 もっと、もっと高く、速く。

 空を飛ぶ快感に目覚めてしまった私は、リュウさんにおねだりしてしばしの遊覧飛行を楽しんだ。

 そのせいで村に着くのが予定より遅くなってしまったのはマリオさんには秘密にしようと約束した。


「この辺にしましょうか」

「わかった。では我は昼寝でもしているから用が済めば戻ってこい」


 目的地の村が見えたので、近くの森に降下する。

 この場所からだったら村まで二十分くらい歩けばいいし、人化したリュウさんならバッタリ村人に見つかる心配も無いだろう。


「我は鼻が効くからな。何かあればすぐに駆けつけるぞ」

「村に行ってチラシを配るだけですよ。何にも起きませんって」


 リュウさんは心配症ですね、と言って私は村へと向かう。

 途中で人が歩いて出来た獣道にを見つけたので、それに沿って進むと村が見えた。


 さぁ、女将としての最初の仕事を始めましょう!



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