第9話 元聖女様の願い
「何? 願いが無いだと」
「はい。あなたに叶えてもらいたい願いを私は持っていません」
私がそう言うと、竜王から訝しむような視線が向けられた。
「そんなはずあるまい。この竜王の絶大な力を好きに使えるのだぞ?」
彼はそう言った。
「我の力ならば国の一つや二つを滅ぼすのも容易い。巨万の富だって用意しよう。我の名を使えば世の中の大抵の事は思い通りいく。これでも願いは無いというのか?」
竜王の体から膨大な魔力が放出される。
私なんかと比べものにならない圧倒的な力。
この人と正面から戦えば誰もが死を覚悟する。
でも、私は言う。
「はい。ありません」
『ミサキ様…』
私が追放された後の神聖教会がどうなっているのか気になる。
養父様に着せられた汚名だってどうにかしたい。
食糧が無い状態で、これから生活するならどうしてもお金が必要だろう。
そもそも私がどこの誰なのか失くした記憶を取り戻したい。
「馬鹿を言うな。欲が無い人間などおらん!」
「確かに私にも欲はあります。でもらそれはどれも私の力でどうにかしないといけないんです」
養父様から私に残された遺言。
『……君は自由に生きなさい。……誰かに強制される事無く自分の意思で選択しなさい。………他人では無く自分の人生の幸せを優先しなさい……』
私は自分で自分の幸せが何なのか探したい。
人任せにして流れに身を委ねるのは違うから。
「私の我儘は私が叶えます」
「むぅ……」
竜王が気圧されるように唸る。
「怪我したあなたを助けたのは私の我儘でやりたい事でした。その上でこの傷を負ったならそれは私の責任です」
「礼も謝罪もいらないというのだな」
「はい。だって、怪我している人を助けるのって当たり前の事じゃないですか?」
二本の足で歩くように。
空気を吸って呼吸するように。
人が恋をして子を作るように。
困っている誰かを助ける。
私はそう思っている。
「ガハハハハハッ! これは面白い」
「えっ?」
急に大きな声で笑い出した竜王。
満足気に頷く彼に私とマリオさんはポカーンとしている。
「この我に対してこれだけの大口を叩いた人間は何百年ぶりだろうな。気に入ったぞ小娘。名前は何という?」
「ミサキです。……ただのミサキ」
苗字を私は覚えていない。
ミサキという名前もこの異世界に来た時に持っていたお守りに刺繍がしてあっただけだ。
そのお守りはすでに失くしている。
「ミサキか。覚えたぞ」
私の頭をぐしゃぐしゃに撫でると竜王は屋敷の中へと……、
「いや、どこ行くんですか!?」
凄くナチュラルに屋敷に入ろうとする竜王。
流れ的に名前を聞いてそのまま帰ってくれるんじゃないの!?
「実はな、まだ完全に体力が回復していないせいで本来の姿に戻れない。少しここで世話になるぞ」
さらっと居候宣言をする竜の王様。
もしかして最初からそれが目的だったりするの?
『ミサキ様、どうなさいますか?』
彼の対応についてマリオさんが私に尋ねる。
この屋敷の主人は私に登録してあるので、私の判断に任せるという意味だ。
とはいえ、ドラゴン相手に力尽くで帰ってくださいなんて出来るわけでもないし、一応は私の心配もして謝罪しに来たのだから悪い人じゃないんでしょう。
「助けちゃったのは私です。特に追い出す理由も今はありませんし、泊めてあげましょうか」
『かしこまりました』
こうして、竜王が私と同じ屋根の下で暮らす事になりましたとさ。
「ふっ。どうだこの成果」
「凄い! ご馳走だ!!」
泊めてみた結果だけど、この人超優秀でした。
『ジューシーボアや珍しいセブンヘッドバードも手に入りました』
「竜王さんは狩りが得意なんですね!」
「我は竜王ぞ? これくらい他愛もない」
食卓に並ぶのは様々な肉料理達。
あの後泊まるのは構わないけど、夕食用の食材がない事を伝えると彼は森の中へと入っていった。
そして、帰って来た時には私より大きそうなイノシシや頭が沢山ある巨大な鳥を持って帰って来た。
「しばらく世話になるのだ。狩りは任せておけ」
『それは助かります。ワタシは家事が得意ですが戦闘力は無いのでどうすべきか悩んでいたところでした』
「明日は狩りのついでに木の実も採ってくる。貴様の料理はそこそこ美味いからな。期待しておるぞ」
大きく切り分けられた肉を一口で食べてしまう姿はまさにドラゴン。
私の分まで食べられちゃう前に急いで食べなきゃ。
「人形が家事をして「マリオさんです」……マリオが家事をし、我が食糧を調達してくる。小娘は「ミサキです」……ミサキはゆっくり休んでおれ」
あれだけ沢山あった肉料理達はあっという間に空になってしまった。
私とマリオさんの二人だと食事時間は私だけしか食べなかったけど、竜王さんまで増えると賑やかになった。
教会でも神官見習いやロッテンバーヤさんとの食事は一人の時より美味しく感じられたのを思い出す。
「私だって何かお手伝いしますよ!だってそれだとただのニート……無職じゃないですか」
やっぱり治癒院でも開業するしか無いんじゃないかな?
でも近くにお客さんいないし……そもそも屋敷にのっぺらぼうの人形と人の姿をしているドラゴンがいるって赤の他人はどう思うのだろうか?
『ワタシはそれで構わないと思いますが?』
「別に死ぬ訳でも無いのだから怠惰に過ごしても良いのではないか?我は何百年か眠りこけていたぞ?」
私の事を案じて甘やかしてくれるマリオさんと、そもそも生き物としてスケールが違う竜王さん。
「いいえ!絶対に働いてみせますからね!!」
この言葉通り、私は不思議なこの屋敷を使ってある事業を始めるのだった。
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