第12話 そして日常は変化する
翌朝、土の日。私が自室から出て店のバックヤードに降りると。
「おはようございまーす……くあ……」
「リセ、ちょっとリセ」
欠伸をする私に、タニアさんがぱたぱたと足音を立てながら駆け寄ってきた。手にはなにやら、手紙らしきものをいくつも持っている。
「なんですか……?」
「貴女、昨日いったいベンフィールド伯爵のお屋敷で何をやったの?」
「へ?」
目をこすりながら返事をすると、その黒い鼻先をぐっと私の顔に近づけながら、タニアさんが目を真ん丸に見開いて口を開いた。
いや、何をやったと言われても。確かに何かやったと言えばやったけれど、どう説明したらいいものか。きょとんとする私に、タニアさんは手に持った手紙の束を見せつけてくる。
「だってこれ、見てみなさいよ。貴女への同伴指名が、あちこちのお貴族様からこんなに」
「あ……あー、いやこれは、その」
その手紙を見て、途端にまごつく私だ。
間違いない、昨日のパーティーでの大立ち回りが原因だ。昨日の今日だと言うのに、もう噂が回っているのか。
困惑しながら、私は顔の前で手を振る。
「いやあの、違うんです」
「何が違うのよ、だってこんなこと、普通あり得ないじゃない」
しかしタニアさんは引いてくれない。手紙を一枚一枚取って見せつけるようにしながら、私に現実を突き付けてきた。封筒の封はどれも切られ、割れた封蝋が付いている。既にタニアさんに、中身は
「財務庁長官のロックハート伯爵でしょ、法務庁次官のアッシャー子爵でしょ……これなんか凄いわよ、王政補佐庁のファリントン侯爵からの指名よ」
並びたてられる、
ロックハート伯爵も、アッシャー子爵も、昨日のパーティーで顔を合わせたから知っている。けれどファリントン侯爵には誰から情報が渡ったんだろう。分からない。
手紙の束を握った手を私に向かって小さく振りながら、タニアさんが鋭い牙の生え揃った口を大きく開く。
「絶対、ぜーったい貴女、ベンフィールド伯爵のパーティーで目立つことをやったに違いないわ。そうじゃなきゃ、お店に来たことのないお貴族様からこんなに指名が入るはずないもの」
「え、えーと……」
虎の顔がぐっと近づいてくることに若干の恐ろしさを感じながら、私は一歩後ずさった。もう、ここまで来たら抵抗のしようがない。私は素直に白状する。
「実はそのー……そのパーティーで、酔って暴れるベンフィールド伯を、酔い潰して退散させたのが、私で……」
「……はぁー」
その言葉を聞いて、
やはりか。こういう反応が返ってくると思ったんだ。
しばらく頭を小さく振った後、タニアさんが私の肩にぽん、と手を置いてくる。
「なるほどね、つまり貴女は、パーティーの主催者を
「まぁ、そういうことに、なるんです、かね……?」
私のしどろもどろな答えに、タニアさんがもう一度ため息をついた。そのまま
一分ほど私の胸に顔をうずめたタニアさんが顔を上げると、その瞳の端には涙が浮かんでいた。泣いていたのか、私の胸で。
「いやいいのよ、いいのよリセ、よくないけどいいのよ。『パーティーのホストは、全参加者が会を楽しめるように配慮に配慮を重ねるのが、ホストとしての最低限のマナーだ』という貴女の主張は、全く間違っていないわ。ベンフィールド伯爵はその最低限のマナーすら守れない主催者だった、という事実は揺るがないのだし」
そう話しながら、タニアさんは指で目の端の涙をぬぐった。メレディスさん、メタメタに言われてるな。元々言ったの私だけど。
その口ぶりにちょっと笑ってしまいそうになったが、その表情はタニアさんの続けざまの真剣な表情に引っ込んだ。私の額に指を突き付けた彼女が、厳しい口調で言う。
「でもね貴女、いい? パーティー主催者を酔い潰してしまったら、そのパーティーの締めは誰がやるの? 主催者が挨拶に出てこないパーティーの締めっていうのも、ぐだぐだしちゃってよくないでしょう?」
「あー、えー、えーと……」
その言葉に、目を見開いてもう一度たじろぐ私だ。
そりゃそうだ、パーティーの開会閉会の挨拶は主催者の大事な仕事。それが、主催者を酔い潰して前後不覚にしてしまったら、やらせることが出来なくなる。
実際メレディスさんのパーティーでも、閉会の挨拶はベンフィールド家の執事さんが代理で行ったのだし。あの時の会場の何とも言えない空気に満ちている様は、ちょっと申し訳ない気持ちになった。
その時の気持ちを思いだしてしまい、私はつい頭を下げてしまう。
「……すみませんでした」
頭を下げてハッとする。私は悪いことをしたのだろうか。した気になったから頭を下げてはいるけれど。
タニアさんだってさっき「いいのよ」と言ったではないか。それに対して頭を下げてしまうのも、その気遣いを
すぐに頭を上げる私に、タニアさんが笑いながら言う。
「いいわよ、どうせその場は収まったのだし、挨拶も伯爵家の方がどなたか代理でやられて、それで何とかなったんでしょう? 殴り倒したりなんかして、伯爵の顔にたんこぶを作るよりはよっぽどいいわ」
そう話しながら、ぷっくりとした口元に笑みを浮かべる彼女だ。
確かに、伯爵の顔にたんこぶを作り、その状態で挨拶させるよりは、酔い潰れてぐでんぐでんになって裏に引っ込んでいる方がよっぽどマシだ。後のことも面倒ではないだろう。「酒場の女中に酔い潰された貴族」なんて、この世の中にはゴマンといる。多分、きっと。
苦笑を浮かべる私の前で、タニアさんが自分の手に持ったままの私を望む手紙に、ちらと視線を落とす。
「それにしても……はぁ、そんなに貴女が求められるということは、あちこちのお貴族様が自分のところでやるパーティーで横暴に振る舞っている、ということなのかしらね? 嘆かわしいったらないわ」
「ですよねー……ちょっとそのお手紙、見てもいいですか」
ため息交じりに嘆くタニアさんに手を差しだすと、彼女は私の手の上にぽんと、手紙の束を置いた。実際に自分で持ってみると、結構ずしんと来る。昨日の今日で、よくここまで届いたものである。
「いいわよ、はいこれ」
「……えーと、来週の水の日に、来週の土の日に……うわっ、今週の星の日って明日じゃん」
封筒の中身を一つ一つ見て、その日程を確認する私は目を見開いた。
早いものは明日、遅いものでは二週間後。その間、週の半分が同伴予定で埋まる勢いで要望が届いている。
内容も先日のようなパーティーの同伴希望から、自宅に招いての酒談義、果ては手に入れた酒の鑑定依頼まで、結構多岐に渡る。酒の鑑定をしてほしいと言われたって、私だって困るのだが。
目を白黒させながら一つ一つの手紙を見ていく私の肩を、タニアさんが優しく叩いた。
「それにしても、これで一気にうちの稼ぎ頭に躍り出るわね、リセってば。同伴の代金って結構すごいのよ」
「はー……」
彼女の言葉に生返事を返しながら、私は脳内でスケジュールを組み立てていた。
どうしよう、この世界にスケジュール帳とかあるのかな。パーシヴァルさんや店にやってくる他のお貴族様の相手はどうしよう。そんなことを考えて、気が遠くなりそうな私だった。
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