第13話 新たな仕事
翌日、だいたい夜の6時頃、ラム王国でも有数の名家である、ファリントン侯爵のお屋敷の一室にて。
「こちらが、その酒になります」
「はー……」
私は屋敷の主、バーナード・ファリントン氏から、「ベイシュ」と説明されたその酒のボトルを差し出されていた。
それを目にした私は、きっとものすごく目と口を開いていたことだろう。まさかこんな異世界で、
ボトルこそこの国でよく飲まれるワイン同様、少し濁りを帯びたガラス製の瓶だが、中の酒の色は大きく異なる。うっすらと黄色みを帯びており、わずかに濁りも見える。
色味だけみれば白ワインと同様なのだが、濁りの色合いが明らかに違う。
「あの、私正直すっごくびっくりしているんですけれど」
「ええ、そうでしょうとも。ラム王国広しと言えども、この類の酒を取り扱っている店は無いでしょうから」
思わずバーナードさんの顔を見ながら言えば、彼もこくりと頷く。
ボトルを受け取り、光にかざす。やはり、色合いがどう見たってワインの色じゃない。ラベルに書かれている文字は漢字やひらがなではないが、エキゾチックな風合いを持った表記をしていた。
視線を、前方のバーナードさんに投げる。
「……開けて飲んでも、よいです?」
「勿論です。そのためにお招きしたのですから」
彼は頷いて、一度席を立った。部屋の後方の棚に歩み寄ると、そこから小さなガラス製のショットグラスを持ってくる。
「ささ、どうぞ。これを持ってきた商人曰く、こうした小型の酒器を用いるとのことなので」
「失礼します……」
ショットグラスを受け取り、ガラス瓶の栓を開けて中身を注いでもらう。ぷん、と穀物の香りが立ってくる。その香りは麦でも、豆でもない。
ショットグラスに鼻を近づけ、中身を半分ほど口に入れる。静かに、じわじわと舌を刺してくるアルコール感。同時に鼻腔に広がってくるふくよかな香りと、奥から上る柔らかい旨味。喉を通ればすーっと嫌味のあるひね香が抜けていく。
こうして見ると、ますます
「……やっぱり」
酒を嚥下して、私はゆっくり目を開いて零した。
どう見たって
そんな私の反応に、バーナードさんが小さく首を傾げた。
「何かお分かりになりましたかな」
彼の問いかけに一つ頷いて。ショットグラスの残りをぐっと干してから、私は断言した。
「これ、原材料、
「さすが、お目が高い」
私の答えにバーナードさんが笑って手を叩く。正解か。
聞けば、大陸の東方からさらに先、東側に大きく張り出した半島に位置するケラハーという国があって、そこで仕入れられた酒なのだそうだ。その国は高温多湿で、小麦よりも米がよく育つ土地なのだとか。
その答えを聞いて、私は息を吐いた。やはり異世界でも、小麦よりも別の作物が育ちやすい国というのはあるものだ。
「いや、やはりリセ嬢をお招きして正解でした。珍しい酒という触れ込みで、各地から貴族を招いて酒席を催し提供しても、誰一人としてこの酒の原材料を当てることは出来ませんでしたからなぁ」
「いや、まぁ……その」
私を褒め称えるバーナードさんの言葉に、恥ずかしくなって後頭部を掻く私だ。正直、私が元々
「私の、元いた世界の、元いた国で、よく飲まれていたお酒に、そっくりなもんで」
そういうふうに言葉を濁すと、バーナードさんはにこにこ笑いながら私に向かって何度も頷いた。
「それはそれは。こうした偶然があるからこそ、『覚醒者』の方のお力は貴重なのです。我々には知り得ない情報を、知り得ない角度からもたらしてくださる」
そう話しながら、彼は酒のボトルを手に取った。慎重に、空になった私のショットグラスに注ぎながら、ゆっくり口を開く。
「それでは、リセ嬢。もう一つお伺いしたいことがございます」
「はぁ……何か?」
その物言いに含みを感じながら私が言葉を返すと、ボトルを上に引き上げたバーナードさんの瞳がきらりと輝いた。
「この酒と、共に食するのに相応しい
その問いかけを受けて、もう一度私は目を見張る。そう来たか。
鑑定と聞いていたから、お酒そのものを見極めればそれで終わりかと思っていたが、そうでもないらしい。そう言えばこの国の人は日常的に、酒を飲む時に何か食事を一緒に取る。そういう食文化なのかもしれない。
「おつまみってことですか」
「左様。私も様々な酒場で酒を飲み、食事をしてきた故に、食べてきたものの引き出しは多いという自負がございます。しかし、この酒に合わせるのに相応しい料理が、どうしても思いつかない」
私の言葉に、バーナードさんは困った顔をして立ち上がった。もう一つショットグラスを手にして戻ってくると、酒瓶から酒を注いでそっと口づける。
口をつけたグラスをテーブルの上に置いてから、彼は深く頭を下げた。
「本日、リセ嬢をお招きした理由の最たるものがそこなのです。どうか、知恵をお貸しいただけませんか」
「……ふーん」
もう一度、注がれた酒に口をつける。
味わいとしてはアルコール感の辛味と、澱のかすかな苦味、その奥にあるコメの旨味を感じる次第だ。食事と合わせるとしたら、脂の強いまったりとした味わい、それと少し香りも欲しい。塩っ気を感じる香りが。
酒を飲み込んでから、私はバーナードさんへと問いかける。
「ファリントン侯爵様」
「はい」
「この国って、魚はどのくらい食べられます?」
その言葉に、彼ははっと顔を上げた。
クリフトンは内陸の、大きな湖に面して作られた町だそうだ。だから魚は肉と同じくらい食卓に並ぶ。しかしどちらかと言うと家庭料理の側面が強く、また魚自体も川魚が中心だ。
「魚、でございますか」
「多分この酒、食べ物で一番合うとしたら魚だと思います。それも川の魚じゃない、海の魚。身に塩気を含んだ、脂の乗った魚を、生でか、炙り。これを一番美味しく飲むんだったら、それだと思います」
畳み掛けるように私は言った。自分の感覚でこの酒を飲んで食べたいと思うものは、やはり海の幸だ。
貝類だとクセが強すぎる。甲殻類では味が強い気がする。なので、魚だ。
私の答えにバーナードさんが、腕を組んで頷いた。
「なるほど、なるほど……海の魚を、生か、炙り。ラム王国は西側が海に面しておりますため、海洋資源は豊富でございますが……」
「クリフトンは結構内陸の方にある町だって聞いてます。だから、結構難しいことを言っているとは、思うんですけれど……」
彼の発言に返答しながら、小さく首をすくめる私だ。正直、結構な無茶を言っている自覚はある。
しかしそれでも、バーナードさんは笑いながら首を左右に振る。
「いや、結構。それが分かれば十分でございます。私が自ら、西海岸沿いの町に赴けばいいだけの話ですからな。そこでしたら、採れたての海の幸を生で頂くことも出来ましょう」
「分かりました……ただ、あの、生で食べられない魚も結構あると思うんで、そこだけは気をつけてください、ほんとに」
彼の発言に小さく頭を下げつつ、私はショットグラスに残った酒を飲み干す。正直、私の発言がきっかけでこんな大貴族様に腹痛やら食中毒やらを起こさせたなんてなったら、たまったものではない。
とはいえ彼も職についての知識はあるだろうし、なんなら海沿いの街の人間は魚について詳しいだろう。彼らに聞けば早いとも思える。
ひとまず問題は片付いて、安心した様子でバーナードさんが再び酒瓶を取り上げた。
「いやあ、ありがとうございました。やはり貴女を指名してお招きしただけの価値はございました。ささ、もう一献」
「あ、どうも……いいんですか、珍しいお酒だって聞きましたけど」
差し出される瓶の口、そちらにグラスを持っていけば、また酒が注がれて。
珍しい酒だと言うのにこんなぐびぐび飲んで、申し訳なくなりながら頭を下げると、彼が手酌で自分のグラスに酒を注ぎながら口を開いた。
「なに、甥の信頼するお方とありましたら、歓待しなければこちらが怒られてしまいます」
「はあ……ん、甥?」
その言葉に、キョトンとする私だ。甥とは。
「おや、伺っておりませんでしたか? パーシヴァル・コンラッドは私の甥でありましてな」
「あ……あぁー、そういう」
首をかしげる私に、バーナードさんはにこやかに笑いながら真実を明かしてきた。
そうか、この人はパーシヴァルさんの伯父さんか叔父さんなのか。道理で私の情報が、結構詳細に伝わるわけだ。
思わずがっくりとうなだれる私だ。
「はぁー……パーシヴァル様ってば……」
「はっはっは、甥も人が悪い」
肩を落とす私に、バーナードさんが笑いかけてくる。
そのまま私と彼は、酒を一瓶まるまる開けてしまうまで、色んな話をしながら酒を飲み交わしたのだった。
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