第6話 女中たちの飲んだくれ

 結局その日は、特にトラブルもなく、特筆するべきイベントもなく、夜の12時を迎えた。あの騒動を見ていた何人かの男性客が、私の隣にやってきて興味ありげに声をかけてきたくらい。

 ま、勤務初日なんてそんなもんだ。

 とにかく店内から客がはけ、表の看板の灯りを消した後、私はフロアに立つタニアさんの横で、「赤獅子亭」の女中全員の注目を浴びていた。

 リーゼ・マルボローがデズモンド・サイクスに酔い潰され、その際に覚醒者となったこと。デズモンドが女中を酔い潰して手籠めにしていたこと。それらを説明して、タニアさんが私の肩に左手を置く。


「……とまあ、そんなくらいかしら。明日から彼女は『リセ・オーギヤ』としてうちで引き続き働いてもらうから、皆も間違えないようにね」

「「はーい」」


 返事をする女性達、総勢十一人。彼女達と私が、今日この店の中で男性達の相手をしていた女中、というわけだ。

 それにしても、名前だけでなく姓まで元のまま、というのには驚いた。聞けば国民が覚醒者となった場合、それまでの個人情報はほとんど破棄され、新しいものが覚醒者のプロフィールに合わせて作られるらしい。

 改めて、私は彼女達に向けて頭を下げる。


「ええと……よろしくお願いします。分からないことばかりで、ご迷惑をかけるかもしれませんが、仲良くしてください」


 なるべく丁寧に、心象よく。ほんの少し緊張しながら挨拶すると、女中達はみんなにこやかに、私に声をかけてきた。


「こちらこそよろしくね、リセ」

「デズモンド様にあんな啖呵たんかを切れるあなたですもの、きっと大丈夫ですよ」

「あの時のデズモンドさんの顔! 見ものだったよねぇ」


 細耳族ナロウイヤーズのモリーさん、子どもくらいの体格をした小耳族スモールイヤーズのルーシーさん、二足歩行の猫の姿をした毛耳族ファーイヤーズのデビーさんが、次々に私に声をかけてくる。デビーの隣ではベッキーさんがにこやかに笑っていた。

 それから、種族も体格も様々な女中達と自己紹介をしあっていると。

 その輪から一人外れるように立っていた女性が、これ見よがしに悪態をついた。


「……ふんっだ!」


 その声に、全員の目が声のした方に向く。誰かと思えば、今日にパーシヴァルさんの相手をしていたキャメロンさんだ。

 彼女はずかずかとこちらに近づいては、私に指を突き付けてくる。


「ちょっと威勢がいいからって、調子に乗るんじゃないわよ! パーシヴァル様のお相手を生半可な腕で勤めようだなんて、そうは行かないんだから!」


 その物言いに、私は目を白黒させるしかなかった。

 なんだろう、すごく噛みついて来ているけれど、私は果たして調子に乗るようなことをしただろうか。

 鹿の耳を生やした毛耳族ファーイヤーズのジェシカさんと、鮮やかな羽毛の耳を持つ羽耳族ダウンイヤーズのエステルさんが、キャメロンさんをたしなめる。


「ちょっと、キャメロン」

「やめなさいよ、いくらリセがパーシヴァル様に誘われたからって」


 二人に抑えられながらも、キャメロンさんのガルガルモードは収まらない。いよいよ困ってしまい、首を傾げる私だ。


「えーと……ごめん、なんで貴女が私にそんな突っかかってくるのか、よく分かんないんだけど」

「はっ?」


 私の言葉に、口を大きく開くキャメロンさんだ。気勢を削がれたらしい彼女を見て、くすくす笑いながらデビーさんが声をかけてくる。


「リセ、キャメロンはね、ずーっとパーシヴァル様からご指名いただいていたから、そこに貴女が割り込んできて悔しいのよ」

「パーシヴァル様はとてもお酒にお強い方でいらっしゃるから、並の女中じゃすぐに酔っちゃって、お楽しみいただけなくなっちゃうものね」


 彼女に同調するようにルーシーさんも笑った。なるほど、確かにある程度酒に強い女中でないと、王都一の酒豪の相手は務まらないか。


「へー、じゃあ結構強いんだ、彼女?」


 片眉を持ち上げながら私が言うと、その場の女中全員が頷いた。


「そうなの。うちの店では一番強いわ」

「ワインをボトルで一本開けても、平気な顔して歩けるものね。リセ、そのくらい飲める?」


 ベッキーさんの言葉を継ぐようにして言いつつ、ジェシカさんが私に視線を向けてくる。その瞳には興味の色が濃い。

 ワインボトル一本か。そのくらいなら地球にいた頃から普通に飲んで、ピンシャンしていた。一本半を開けるとさすがに眠くなってしまうが、大丈夫だろう。リーゼの身体がどこまで強いのか、その強さに引っ張られていないか、不安ではあるが。


「ワインをボトル一本? あー、多分平気」

「えぇっ?」

「本当に?」


 私の答えに、二人が、ひいては他の女中達が目を見開く。もちろん、キャメロンさんもだ。小さく震えながら、いきなり私の手を掴む。


「そ……そこまで言うなら、見せてもらおうじゃない! こっち来なさいよ!」

「はいはい」


 彼女に力強く手を引かれ、私は3番テーブルへと着席させられる。なるほど、この機に雌雄を決しようというわけだ。つまりは、飲み比べである。

 唐突に始まる女中同士の飲み比べを、タニアさんがすごく面白いものを見る目で見てきた。


「あらあら、なんだか楽しそうなことになって来たわね」

「タニアさん、止めないでいいんですか?」


 ベッキーさんが心配そうな声色で問いかけるが、タニアさんは口元に笑みを浮かべて、そのもふもふな腕を組みながら返す。


「いいのよ。リセがどれだけお酒を飲めるのか、確認するいい機会だわ」


 そう言いながら、彼女がカウンターの中から数本のワインボトルを取り出した。蔦が描かれたボトル、同じ銘柄の赤ワインが二本。瓶のコルク栓を開け、一本ずつ私とキャメロンさんの前に置きながら、タニアさんがもう一度笑う。


「それじゃ、いいかしら? これがうちの店で一番出るワイン『アイヴィー』。これをより多く飲んだ方の勝ちということで」

「分かりました」

「負けないんだからね!」


 二人同時に頷いて、声を出して。そしてワイングラスも二脚持って来られ、ボトルから赤紫色のワインが注がれる。そして、タニアさんが手を上げた。


「よーい……はじめ!」


 開始の合図がかかると、キャメロンさんの手がすぐさまワイングラスに伸びた。そのままぐっと、呷るように飲んでいく。

 対して私はそこまで焦らず、丁寧にグラスを取って口をつけ、香りを嗅いだ。口の中一杯にブドウのフレッシュな甘さと酸っぱさ、程よく棘のあるタンニンが心地よく広がる。


「んっ……美味しいー」

「美味しいでしょう? この甘酸っぱさと程よい渋さが、皆好きなのよ」


 素直に美味しさを表現する私に、タニアさんが自慢げに笑う。一番出るということだし、その品質には自信があるのだろう。

 じっくりしっかり味わう私に対して、キャメロンさんはかっぱかっぱとグラスを空け、ボトルからワインを注いでいる。


「うかうかしてたら置いていくわよ!」


 そのハイスピードぶりに、女中達がみんな驚きの声を上げていた。既に半分以上の差が開いている。しかし私は、至極冷静だった。


「(……はーん)」


 だいたいボトル半分くらい飲んで分かった。今の私、地球にいた頃よりも酒に強くなっている。そういえば目覚める前に暗闇の中で、神を自称する老婆が「どんな酒にも負けない身体を」なんちゃらと話していたっけ。ありがとう神様。

 で、それは置いておくとしてキャメロンさんの飲み方。ハイペースもハイペース、そんな速度で飲んでいたらすぐ限界が来るだろうに。


「んっく、ひぃっ、ぅ。ま、負けてなるもんですかぁ~」


 ボトル一本を飲み切ったキャメロンさんが、しゃっくりをしながら次を要求する。大丈夫だろうか、既に酔っているように見えるけれど。


「あ、キャメロン、スイッチ入った」

「大丈夫かしら……すごく早く飲んでいるけれど」


 後ろからモリーさんとエステルさんが話しているのが聞こえる。

 さて、そろそろいいだろう。神様の恩恵とやらがどこまで効くのか分からないが、ペースを上げる。ぐいっと飲んでは注いで、飲んでは注いでを繰り返した。


「リセは……あ、リセも早い」

「でも、全然平気そうだわ……」


 私の飲む速度に、デビーさんとベッキーさんが声を上げた。これだけペースを上げても全然酔いが来ない。せいぜい頭がぽわんとしてくるくらいだ。ボトルの最後の一滴までグラスに注いで、テーブルに置く。


「うん、こんなもんかな。まだまだいけるわ、次持って来て」

「わ、分かったわ!」


 私の声に、タニアさんが次のボトルに手をかけた。コルクを抜いてボトルを私の目の前に置いた彼女の動きが、ふと止まる。


「これは……」

「ふぇ……」


 グラスにワインを注いでいると、目の前からなんだか甘ったるい声がした。その位置にいる人と言えば、当然キャメロンさんなわけで。

 そちらに目を向けると、既に彼女はへべれけだった。テーブルに突っ伏しながら子猫のような声を発している。

 そして、彼女はか細い声で泣き始めた。


「ふぇぇぇ、うみぇぇぇ」

「キャメロン!?」

「泣かないで、ほら、顔上げて」


 ワインを飲みながら驚きに目を見張る私。その目の前でモリーさんとデビーさんが慌てた様子で彼女の面倒を見始める。

 驚いた。お客さんの相手をしていた時の大人っぽい様子と、先程までの刺々しい感じからは、想像できないほど子供じみた泣き方だ。


「なに、どうしたの?」

「キャメロン、酔うとすごく泣くんですよ、猫みたいに」


 ぐびぐびワインを飲みながら視線をベッキーさんに向けると、彼女も苦笑しながら肩をすくめてくる。なるほど、泣き上戸か。それにしたって変わった泣き方だ。

 この時点で、キャメロンさんはギブアップ。タニアさんがワインの残りを調べにかかる。


「キャメロンが……一本と半分ちょっと。リセは今、一本と……4分の1ってところかしら。まだ行ける?」

「あ、全然平気です。まだまだ余裕です」


 そう言いながら私は、自分の側のボトルを手に取った。一杯、二杯、三杯と杯を重ね、ついには二本目のボトルがからっぽになる。

 それでも私はまだまだ余裕だ。我ながら、恐ろしい酒豪っぷりである。


「はぁー……」

「これは、凄いわね」


 感嘆の息があちこちから漏れる。無事に飲み比べに勝利して、私は誇らしいやら恥ずかしいやら、複雑な心境だった。

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