第7話 お貴族様からのお誘い

 私が「赤獅子亭」で女中として働くようになって、一週間ほど経った頃のことだ。

 パーシヴァル・コンラッド伯はまたも「赤獅子亭」に姿を見せて、私の座る4番カウンターに腰を下ろした。


「やあ、リセ」

「いらっしゃいませ、パーシヴァル様」


 私も慣れたもので、いつものように笑みを浮かべて彼へと声をかける。

 私が把握している限り、毎日だ。毎日のように彼は酒場に顔を出し、私やキャメロンさんを相手にいろいろ話して、いろいろ飲んでいく。さすがはお貴族様、資金力は潤沢といったところか。表立っては様付けで呼んでいるけれど、内心では他の人と同様、さん付けだ。

 最初は面食らったものだけれど、一週間も経てば私も慣れてくる。うっすらと笑みを浮かべながら、伝票を手に取った。


「今日は私の方なのですね?」

「ああ、キャメロンが休みの日だからね。彼女に気兼ねなく食事ができる……今日は、何から飲む?」


 パーシヴァルさんもいつものように、柔和な笑みを浮かべて私に声をかける。今日は太陽の日、キャメロンさんはお休みだ。そうなれば彼が私を指名するのは自明の理というやつである。

 今日に厨房が新しく仕入れていたワインの銘柄を思い出しながら、私は話を広げていく。


「あ、そうそう。今日にまた新しいワインを仕入れたそうなんですよ、アビー郡の『アンジェリーナ』だったかな。飲んでみます?」

「ほう、いいワインを仕入れたね。一本いただこう。それと粉吹き芋と、焼いたソーセージでも貰おうか」


 私の言葉に、パーシヴァルさんもにこやかに笑う。

 ラム王国東部のアビー郡は、ワインの醸造で有名な土地らしい。その中でも「アンジェリーナ」は、グレードの高いワインとして有名なのだそうだ。

 この店で働くようになってから分かったことだが、この店、大衆居酒屋のように振る舞っていながら、結構いい酒を並べている。実態がキャバクラみたいなものだし、お客さんもやんごとない身分の人だから、必然的にそうなるんだろうけれど。

 パーシヴァルさんの告げた注文を伝票に硬筆で書き留めていると、彼が心から面白そうな表情で私に声をかけてくる。


「キャメロンから聞いたよ、また彼女を酔い潰したんだって?」

「なんか、やたらと突っかかってくるんですよね、彼女……どれだけやっても、私の方が強いんだって、何度も言ってるんですけれど」


 書き記した伝票を厨房に持って行って、戻ってきてから私はため息をついた。

 この一週間の間で、キャメロンさんから何度も飲み比べ勝負を持ち掛けられているのだ。ビールだったり、ラムだったり、ウイスキーだったり、品はその都度変わるが、いつも私が悠々と勝利を収めている。毎度毎度、猫のように鳴き喚く彼女を見ては、溜め息をつくのが常態化していた。

 彼女も彼女で、よくよく懲りないものである。


「彼女は負けず嫌いだからね、仕方がないさ。それにしてもリセ、本当に君は酒に強いのだね」

「ええ、まあ」


 ため息をつき、カウンター内のタニアさんから「アンジェリーナ」のボトルを受け取りながら、私は小さく笑った。

 ここ数日、あれやこれやと酒を飲んでいて、どれだけ私が酒に強いのかを自分でも自覚した。

 種類も問わず、量も問わず。ウイスキーやラムといった度数の高い蒸留酒ですら、平気な顔して一本開けてしまえる。おかげでパーシヴァルさん以外の人と同席した時、あまりにもかっぱかっぱと開けていくものだから男性側がそれに引っ張られ、私より先に酔いつぶれてしまい、帰りが覚束なくなるなんてことが、ちらほらあった。

 これはこれで便利な体質だが、厄介な体質でもある。別に男性側が飲むペースを誤って酔いつぶれようがどうだっていいが、私の飲み方に釣られて飲みすぎてしまうのはちょっとだけ、申し訳ない。

 と、厨房から4番カウンターを呼ぶ声が聞こえる。ちょうど料理が出来上がったようだ。


「あ、準備できたみたい。行ってきますね」

「ああ、よろしく頼むよ」


 パーシヴァルさんに見送られて、私は厨房の入り口に向かった。粉吹き芋の皿とソーセージの皿を手に取り、4番カウンターに戻る。

 料理をつつきながらくいくいと「アンジェリーナ」を飲み進める私を見て、パーシヴァルさんが感心した様子で目を細めた。


「それにしても、その堂に入った飲みっぷり、洗練された飲み方……『覚醒者』であることは知っているけれど、君の前世は随分、飲み方を心得ている酒飲みだったらしい」

「あ……あははは、そう言われると、ちょっと照れますね」


 ワイングラスを手に持ちつつ、私は視線を逸らして答えた。ちなみにこの手の中にあるワイン、二杯目である。

 パーシヴァルさんは結構、私に好き勝手飲ませてくれている。私のペースで飲んでも全く怒らない。非常に心地いいと思う。とはいえ、あんまり飲みすぎるとタニアさんから「男性を立てなさい」と怒られるんだけれど。

 ともあれ、グラスを置きながら私はパーシヴァルさんに目を向けた。


「まぁ、それなりには飲み方は身につけていたと思いますよ。こっちで言うところの酒場にも頻繁に出入りしていましたし、ワインもビールもウイスキーもカクテルも、いろいろ飲んできましたから」


 私の発言を聞いて、彼は大きく目を見張った。

 いろいろな話を彼に聞かせたとは思う。日本の居酒屋の話、バーの話、自宅での家飲みの話。その度その度に違う種類の酒が出てくるわけだから、彼にとっては何が何だか、訳が分からないことだろう。


「君の故郷の世界には、そんなに数多くの酒があったのかい?」

「そうですね……私も全部を知っているわけではないですけれど、結構な種類があったと思いますよ。醸造酒も蒸留酒も」


 パーシヴァルさんの質問に頷きながら、私は再びワイングラスに口をつける。

 実際地球にある酒の種類は、とんでもない数があると思う。メジャーなものだけでもビール、ワイン、日本酒、ウイスキー、ブランデー、ウォッカ、ジン、テキーラ、ラム。更には各種リキュールがあり、シロップがあり、それらを混ぜて作るカクテルがあり。

 そりゃあ、異世界人からしたらとんでもない種類があると思うだろう。あれでも全ての酒を網羅もうらしているわけではないのだ。タニアさんから話を聞くに、このアーマンドにも蒸留酒を作る技術はあり、ウイスキーやラム、ブランデーは市場に流通しているらしいけれど。

 私の酒談義を興味深そうに聞いていたパーシヴァルさんが、不意に満足したように声を上げる。


「なるほどね……そうか、なるほど」

「パーシヴァル様?」


 その反応に私が首を傾げていると、彼はふと、カウンターの内側で仕事をしているタニアさんに目を向けた。


「タニア」

「はい、何でしょう?」


 グラスを洗うタニアさんが、パーシヴァルさんに返事をすると。

 彼はふっと笑みを浮かべながら、それを口にした。


「今週の金の日、リセを一日借りてもいいかな」

「へ? 借りる?」


 その言葉に、キョトンとしながら首を傾げる私だ。

 借りるとは、どういうことだろう。私はどこかに連れていかれるのだろうか。

 意図を理解するより早く、タニアさんが笑みを浮かべながら頷く。


「構いませんよ。何か、酒に関わるご用事が?」


 勝手知ったる様子で、タニアさんがパーシヴァルさんに声をかけると。彼は笑みを浮かべつつこくりと頷いた。


「ベンフィールド伯が、酒席を催すことになっていてね。誘われているんだが、『参加者は覚醒者を伴って参じること』という条件があって……ちょうど、探しているところだったんだ」

「あら、なるほど。そういうことでしたら、リセは適任でございますよ」


 私の視線が二人の間を行ったり来たりしている間に、どんどん話が進んでいっている。ベンフィールド伯って誰だ。酒席の条件ってなんだ。

 私の頭が混乱する中、タニアさんがにこやかにこちらに笑いかけてきた。


「そういうことだからリセ、貴女今週の金の日はお店に入らなくていいわよ。お給料は出すから、安心して行ってらっしゃい」

「い、いいんですか!? というかあの、借りるってどういうことですか!?」


 彼女の言葉に、思わずカウンターの天板に手をついて立ち上がる私だ。

 有給か。有給なのか。それで一日パーシヴァルさんの用事について回っていいのか。きっといい思いが出来ることは間違いない、と思うけれど。多分、きっと。

 困惑しっぱなしの私に、タニアさんが笑いかける。


「酒場の女中にはね、店の中でお客様の相手をする以外に、お客様の要望に合わせて店の外に同行する仕事もあるの。『同伴』っていうんだけど、これを指名されるようになったら一人前の女中ってわけ」

「リセはまだ、『赤獅子亭』に来て日が浅いかもしれないけれど、その酒の知識と飲み方は一流だ。安心して、ついてきてくれればいいよ」

「は、はい……」


 彼女の言葉に同調して、パーシヴァルさんも笑いかけた。そこまで言われたら、私に拒否権はない。


「さて、そういうわけだ。金の日はよろしく頼むよ。朝の11時に迎えに来るから」

「分かりました……じゃあその、とりあえず、こちらお注ぎいたしますね」


 改めて座った私はパーシヴァルさんに向かって頷きながら、「アンジェリーナ」のボトルを取った。静かに、ゆっくりとワインを注ぐ私の手元を見ながら、パーシヴァルさんは面白そうに笑うのだった。

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