その5


 レシピの魔女いわく、調合作業に必要なものは薬餌素材の知識でも魔道士としての魔法センスでもない。根拠のない思い切りの良さ、だそうで。


 実際に調合作業を始めるとそれがよくわかる。レシピは余分な素材が入り込む余地などないくらいにぴったり決まっている。ハカリの目盛りを読み間違えしない限りミスのしようがない。ぶっちゃけて言えば素材を正しい量で順番通りに混ぜれば誰だってそれなりの物が作れる。


 その素材だってそうだ。鮮度が関係する生鮮品だって腐ってさえいなければそれなりの薬は出来上がる。料理の下ごしらえみたいなもので、手を抜かず丁寧に仕事すればそれなりのいい結果が出るものだ。


 ただ、それなり、が許されないのが薬餌調合の世界だ。より効果のある薬を。より長持ちする薬を。より気持ちがよくなる薬を。みんな薬の高みを目指している。


 じゃあ薬餌調合師に必要なスキル『思い切りの良さ』って何だ? それはまず度胸だ。


 素材を調合する時、二つ以上の素材を均一に、あるいは偏らせて混ぜるわけだが、その瞬間から化学反応は始まってしまうんだ。混ざり切る前に化学反応が終わってしまえばムラのある薬が出来上がり、その効果も怪しいものだ。素材の質、量、温度、順番。それらが正しいかどうか迷ったりびびったりする暇なんてない。大胆さと繊細さを同時に発揮して一気に混ぜる。その度胸だ。


 そしてもう一つはぶっ飛んだ発想。誰もが思い付く調合パターンを試してみても新しいレシピなんて生み出せない。誰もが思い浮かばなかったことを躊躇せずやってのける発想力が重要だ。新しい素材、危険な調合方法、イカれた実験。斬新でぶっ壊れた発想なくして輝かしい成功は訪れない。


 ツキノワさんの『レシピの魔女』という二つ名は伊達じゃない。彼女は相当にぶっ飛んでいて、ぶっ壊れている。だから、ツキノワさんクラスの薬餌調合師を目指す僕もぶっ飛ばなきゃならないんだ。


「おまえさ、レシピの魔女さんと一緒に住んでんの?」


 何を今更。ガブはそこらにびっしり並んだ調合器具を物珍しそうに指で突きながら言った。


「そりゃそうだろ。レシピの魔女の一番弟子だよ。仕事は調合だけじゃない。住み込みでいろいろやってる」


 そんながさつに調合器具をつついたりするなよ。壊れたらどうする。君の報酬一日分はするんだぞ。僕はガブの指をぱしっと掴んでやった。


「いいよなー、あんな美人な師匠と一つ屋根の下。いろいろあるだろうなー」


「師匠と弟子の関係って親子みたいなものじゃないぞ。むしろ奴隷に近い」


 ガブは意外とおしゃべりな奴だ。ガブの雑談に付き合っていたら時間がいくらあっても足りない。適当にあしらいつつ、調合作業開始だ。


 まずはオニカエデの葉の乾燥から。しっかり水分を抜かなければ、濃度の高いカエデ茶を淹れられない。


「一緒に飯食ったり、その、あれだ。お風呂入ったり、同じベッドで寝たりしてんのか?」


「そんなわけあるか。たしかに、炊事は僕の担当で、狭い工房だから一緒にごはん食べるけど、ちゃんと僕の勉強部屋兼寝室もあるよ」


 薄い金属製の特製箱にオニカエデを重ねて敷き詰める。網々になってる蓋をして、さあて、僕の魔法の出番だ。ガブに聞こえるようにわざと大袈裟な抑揚をつけて古代魔道語の呪文を唱える。


「おっ、なんか本物の魔法使いっぽいな」


 予想通りガブが食い付いてきた。余計なことを言いつつ、高価で繊細なガラス細工の調合器具から離れて僕の手元を覗きに来る。


「こう見えても本物の魔法使いなんだよ。僕は」


 僕が唱えたのは空気の流れを変える呪文だ。基本的には火をつけたり、炎を操ったりする魔法だけど、箱の中の空気を抜くことで気圧を下げて素材を急速に乾燥させたりもできる。魔法も応用一つでいろいろな効果を引き出せるものだ。


 金属網の蓋から薄っすらと水蒸気が立ち昇り、薄い金属製の箱はサイドをべっこりとへこませた。いい具合で空気圧が下がって水分が抜けてる。


「見てるだけだと暇だろ、ガブ。青蠢きゼリーの消化液を絞ってくれないか?」


 金属箱から水分が抜ける様子を確認しながら、殻を剥いて軽く炒っておいた浮かばずナッツをコーヒーミルへ投入する。


「蠢きゼリーの? どうやるんだ?」


「蠢きゼリーは内臓核を潰さない限り死なない魔法生物なんだよ。だからオレンジを絞るみたいに力任せにぎゅうって絞ればいいよ。青いモンスター汁が滲み出るはずだ」


「モンスター汁か。手、溶けねえよな?」


「核を避けて握り潰す繊細な腕力コントロールと手が溶ける前に絞り切る強力な握力が必要な仕事だ。魔法使いの僕には出来ないんだよ。頼むよ、大剣使いの剣士の力が頼りだ」


 ゴリゴリとコーヒーミルで炒った浮かばずナッツを挽きながら、ちらっとガブの横顔を覗き見る。小鼻がぷくっと膨らんだ満更でもない顔してた。


「おう、任せろ」


 ツキノワさん。僕もちょっとだけ人の動かし方がわかったような気がします。ガブ専用の方法だけど。

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