その2


 アレクシオス職人組合街の象徴である大仕掛け時計台広場から酒場路地を抜けてすぐの角、コーヒー豆の香ばしい匂いが漂う宿がある。


 カプリ・カフェ。小さな冒険者組合が経営する宿屋だ。コーヒーがとても美味しいと評判のカフェでもある。


 市場規模こそ小さいものの、職人組合街にも冒険者の求人がある。他都市への商品の輸送護衛なんかが主な仕事だけど、他にも傭兵だったり、戦士だったり、素材調達や物資運送の仕事を受けるため腕に覚えありって人間たちが少なからず集まっている紹介所だ。


 からんころん。両開き扉に取り付けられたカウベルがひん曲がった音を立てた。僕を迎えてくれたのは香ばしくもほろ苦いコーヒーの香りと、荒くれた戦士たちの荒ぶった視線だった。


 あっ。店を間違えたかも。僕は一瞬で萎縮してしまった。


 なんか聞いてた傭兵紹介所のイメージと目の前の光景があまりにもかけ離れてる。もっとこう、事務的に理路整然と傭兵たちが整列してて、その中から気に入った戦士を選ぶって思ってたのに。


 じろじろと物珍しそうに僕を睨みつける歴戦の戦士たち。これじゃまるで僕の方が値踏みされてるみたいだ。


 そんな荒ぶる視線の嵐の中をこそこそと小さく縮こまってカウンターまで歩く。ああ、もう、カウンターが遠いよ、遠過ぎるよ。カウンターに着くまでに、視線に磨り減らされてなくなってしまいそうだ。


「いらっしゃい。珍しいお客さんだね」


 真っ赤な髪のお姉さんが陽気に言った。


「傭兵として働きたいの?」


 ちらっと僕の全体像を見下ろして、とんでもないこと言い出すカフェのお姉さん。本よりも重い物持ったことなさそうな細腕とか、魔道士然としたローブ風の衣服とか、僕のどこを見てそんなこと言うのやら。


「いえいえっ、違います」


「わかってるわよ。コーヒー? それとも傭兵をお探し?」


 慌てる僕を見て赤い髪を揺らして笑うお姉さん。からかわれてるってのに、不思議と嫌な気持ちにならない明るい雰囲気を持った人だ。


「薬餌調合職人ツキノワ・ソラマチの使いで、傭兵を一人雇いに来ました」


 僕の一言で背後の傭兵たちがざわついた。獲物を狩ろうとする獣の気配が沸き立つ。


 そりゃそうだ。今現在このカフェにいるってことは仕事にありつけていないってことだ。有能な傭兵ほど忙しく東へ西へ飛び回っている。たっぷり稼いだ傭兵もこんな場末のカフェに居着いたりはしない。もっと豪勢な宿屋に部屋を取る。


 僕の背後にいる連中は未だ雇われず、何もすることがなくて暇だから、このカフェでだらだらと時間を持て余しているんだ。


 ついさっきとは違った意味の視線を背中にちくちくと感じながら、カウンターのお姉さんと値段交渉が始まる。と、思ったら。


「君、ツキノワのお弟子さん?」


 赤毛のお姉さんはさらに僕をじろじろと品定めしながら言った。


「えっ、はい」


「聞いてるよ。何でも言うこと聞くカワイイ子を弟子に取ったって」


 お姉さんは紳士的に握手を求めてきた。


「君が噂のレニくんね。私はカプリ・カフェ店主のロージィよ。ツキノワが言ってた。ちょくちょく利用するだろうから面倒を見てやってってね」


 何でも言うことを聞くは余計だし、カワイイ子も余計だ。僕は組合街一番の薬餌調合師でありレシピの魔女と畏れられる魔道士の弟子だ。そんな子供のお使いみたいにあしらわないでほしい。


「ツキノワさんを知ってるんですか?」


「知ってるも何も呑み友達よ」


 ロージィさんと握手。ツキノワさんよりちょっと年上か、筋張っていて水仕事をこなす冷たい手だった。


「それで、雇う条件とかある?」


「条件?」


「ほら、雇用期間とか、予算とか。仕事の内容次第じゃ、ヤバイ仕事はやりたがらない傭兵さんもいるし、逆に人に言えない仕事でもやりたがるヤバイ傭兵さんもいるし」


「はい。期間は今日一日だけ。森で薬の素材を収集する簡単な仕事です」


 カフェに充満していたギラついた気配が露骨に冷えて萎んだ。なんだよ、安仕事かよ。そんな舌打ちが聞こえそうな空気が漂ってくる。うん、そうだよ。僕のお小遣いのために、そんな高報酬を支払うわけにいかないじゃないか。


「一日だけ? それだと引き受けてくれる人いないかもよ」


「はい。わかってます。実は当てがあるんです。以前もレシピの魔女の依頼を受けてくれた、ちょっとした顔見知りがここにいるはずなんですが」


「あら、お抱えの傭兵さんがいたの?」


 僕はカプリ・カフェの店内をぐるり見回した。


 腕が立つくせに報酬が安くて、でもちゃんと雇用主である僕の言うことを聞いてくれる。そんな都合の良い傭兵なんているのか。うん、いる。ほら、いた。


 僕はカフェの隅っこ、ベテラン傭兵さんたちからちょっと離れたテーブルで、飲めもしない苦いコーヒー相手に苦戦している少年剣士を指差した。


「あの子なら一日8,000イェンでも引き受けてくれるはずよ。でもちょっと経験不足で未熟なところがあるけど、いいの?」


「あいつの扱いならもう慣れたもんです」


 傭兵紹介所のシステムは簡単なものだ。紹介料を支払って、あとは傭兵さん自身と直接値段交渉する。


 僕はベテラン傭兵さんたちの合間を縫って、カフェの隅っこのテーブルを占領してる少年の元までゆっくりと焦らすように歩いた。


「やあ、ガブ。一日6,000イェンで食事付きの楽な仕事があるんだけど、暇?」


 自称新米傭兵、大剣の使い手、グレートソード・ガブはコーヒーの苦味に顔をしかめながら僕を見上げた。




 レシピの魔女いわく、コーヒーも薬も最初は苦いものだけど、慣れれば甘く感じるものよ。人もおんなじ。クセのある人ほど苦く、そして甘いの。

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