その6
半透明の蠢きゼリーは赤い身体をぷるぷると波立たせた。不覚にもちょっと美味しそうだなんて思ってしまう。しかしすぐに前言撤回。透き通った内臓にがっつり食い込んだ赤レモンの真っ赤な果汁がゼリーの全身に染み込んで、まるで血を滴らせたようにさらに生々しくも毒々しく赤味が増す。
ツキノワさんの素材収集ひとことアドバイス。赤蠢きゼリーと赤レモンの組み合わせは危険だから注意。
いったい何がどんな風に危険なのか。師匠っぽく振る舞いたいなら師匠らしくもっと具体的にご指導ご鞭撻してくれ。僕は収集作業初日にして早くも師匠批判の言葉を心の中でつぶやいてしまった。
蠢きゼリーの赤っぷりとぷるぷる具合がますます酷くなる。もう誰にも止められないって勢いで半透明が震え出す。僕は思わず後ずさった。
狩猟対象にして最も簡単なモンスターの一つに挙げられる蠢きゼリー。そんな初級モンスターごときに威圧感を覚えるなんて。なんだ、この頭を抑えつけられるような蛇に睨まれた蛙感は。
栄養たっぷり、分裂繁殖間近のでっぷりとした赤く半透明なボディ。威圧感の正体はその大きさだ。通常の蠢きゼリーの倍、いや三倍は大きく見える。あれ、四倍? あ、五倍? こいつ、どんどんでかくなってないか?
ついに蠢きゼリーの重みに耐えかねて乾いた音を弾かせて折れる木の枝。デヌッと重たい音を響かせて落ちる赤いゼリーの塊。相当でかくなっているぞ、こいつ。30デヌはくだらないだろう。
そしてつぶらな集光感覚器がぱちぱちと瞬き、ぎょろりと文字通り眼の色を変えて僕を見た。今や人間一人丸呑みにできるくらいに巨大化した赤蠢きゼリーと至近距離で見つめ合う僕。ぎらぎらした真っ黒い目玉に僕が逆さまに映り込んでいる。
僕は瞬時に理解した。こいつは、僕を、食おうとしている。
舞い上がる落ち葉。折れ砕ける枯れ枝。煙る土埃。脱兎のごとく駆け出す僕と、それを追う意外と素早い蠢きゼリー。
問題は赤蠢きゼリーと赤レモンの果汁を混ぜると巨大化してしまうってことじゃない。それが積極的に人を襲うってことだ。なんでそんな重要なポイントを教えてくれなかったんだ、お師匠さま。
土を蹴り、盛り上がった木の根につまずき、落ち葉に滑り、泥だらけになってそれでも必死に走る。そりゃあ必死にもなるさ。もしも蠢きゼリーに捕らわれてしまえば、半透明の胃袋にまるまる押し込まれて外から見える状態でゆっくりと消化されてしまうんだ。そんな残虐シーンを誰かに見られたら死んでも死に切れない。そもそも死にたくないし。
全力疾走で森を駆け抜ける僕と、森の木々をなぎ倒す勢いで獲物を追う蠢きゼリー。分裂繁殖寸前でお腹が減っていたのか、絶対に逃がさないって蠢きゼリーの気迫が僕の背中に突き刺さってくる。振り返るまでもなく、僕のすぐ背後まで迫ってきているとわかる鬼気迫りっぷりだ。
それにしても、蠢きゼリーって、こんなに速く、動けるのか。逃げ切れるか? 勉強ばかりで運動してない僕と全身がゼリー状の筋肉なモンスターと、どちらが持久力が上かなんて考えるまでもない。どうする? いやほんとどうする?
あれこれ対処法解決法攻略法を考えながら、朽ちかけて斜めに傾いた木をすり抜けて走る。お腹を空かせた蠢きゼリーはそんなのお構いなしに斜めの木をなぎ倒して突進してくる。その弾みに木の陰から人影が飛び出して、全力で逃げる僕に並走した。
「おいっ! どうするんだ!」
僕の隣を同じく全力疾走で逃走中の少年が僕の気持ちを代弁してくれた。って、誰?
「えっ? 何が? てゆーか、誰?」
「いいから! 後ろのこいつ、どうすれば倒せるんだ!」
僕たちのすぐ背後を波打って迫る巨大蠢きゼリーを指差す長髪の少年。なびく髪が今にも蠢きゼリーに掴まれそうだ。
「今、考えてるよ! だから、君は、誰なんだよ!」
「レシピの魔女の依頼で、おまえの護衛をしてた、通りすがりの傭兵だ! まだ見習いだけどな!」
そんなの聞いてない。聞いてないが、レシピの魔女の名前を聞いて僕は少しだけ安心した。そうだよ。僕はレシピの魔女の弟子なんだよ。こんな蠢きゼリーごときに追いかけられる薬餌調合師じゃないんだ。
レシピの魔女いわく、利用できるものは何でも利用しちゃいなさい。使えそうにないアイテムでも、人でも、何でも。
そうさせてもらいますね、レシピの魔女さん。
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