その3
「学校で教える魔法なんて素材収集生活の役に立たないものばかりよ」と、普段はかけない眼鏡をかけて新聞を読んでいるツキノワさんは言った。「本ばかり読んでると知識が偏っちゃうからね」
今あなたが読んでいるそれもある意味本の一種じゃないですか? という言葉をぐっと飲み込む僕であった。
レシピの魔女いわく、魔法は習うものではなく使うものだそうだ。そう言っては魔法学校を出た僕に家事全般を押し付けてくれている。基礎魔法のいい反復練習になるから、とのことだ。
炊事のための火起こしも、洗濯物を干す時も、散らかった調合素材を掃除する時も。めんどくさがらずに魔法を使いなさい。ツキノワさんはそう言っていた。作業台の掃除なんかはどっちかと言うと魔法を使う方がめんどくさいんですが。
そんなレシピの魔女と呼ばれる人が、魔法を使っているのを僕は見たことがなかった。
お次の素材は浮かびナッツ。その名が示す通りふわふわと宙に浮く木の実の総称だ。
アルファリアの森を育む肥沃な大地から、ピレニアム山脈の栄養豊富な雪解け水から、雄大な大自然が生み出す澄んだ空気から。万物に極少量ずつ宿ると言われる魔法の素、マナをたっぷりと吸収した木の実。熟すと木の枝から落ちて宙を舞い、サーべリング湾からの優しい海風に乗って遠くまで飛んで行く。
そうして長い時間かけてアルファリアの森はマナを豊富に含んだ大森林地帯へと成長し、このミルキア地方は魔道士の故郷と呼ばれるようになった。
マナが影響を与えたのは何も魔道士に限ったことじゃない。この広大な森に棲む生き物も当然マナを大量に摂取するわけで、小動物や獣類とは違う独自の進化を遂げたモンスター類の一大生息地となったわけだ。
蒸気機関車が白煙を噴き上げて線路を走るまで近代的に開発されてもなお、アルファリアの森は他の土地では見られないモンスターやマナ植物たちを内包していた。そしてそれらの狩猟収集を生業とする冒険者と名乗る輩が国の内外から集結し、ミルキア地方は魔道都市として繁栄を続けている。
整備された遊歩道から少しだけ森に入れば野生のレモンの木が生えていて、さらに獣道を奥まったところまで歩けば浮かびナッツは簡単に見つかる。
すぐそこに、ほら、あそこにも。手を伸ばせば届きそうな高さをふわりふわりと風に乗って漂っているさまざまな木の実たち。
森の緑に紛れ込む色合いをした浮かびナッツだけど、一個見つかればぞくぞく見つけることができる。眼が中空にフォーカスを合わせるのに慣れるんだ。ほら、もう僕の周りをあちらこちら浮かんでいる。
今回のレシピに必要なのは浮かびナッツそのものではなく、それに含まれる魔法の素、マナだ。だからマナの作用で浮かんでさえいればどんな木の実でも採取していい、はず。問題なのはレシピの魔女のひとことアドバイスだ。
「勢いがすごければすごいほどいい」
僕は誰にいうとなくツキノワさんの気だるそうな口調を真似て呟いた。
どんなだ。勢いってどんなだ。しかも必要数も5から10個って。浮かぶナッツは色も形も大きさもその種類はさまざまだ。どれを何個収穫すればいいのやら。レシピもアドバイスもツキノワさんらしく適当過ぎやしないか。師匠なら師匠らしくしっかり教えてほしい。
とりあえず各種多めに収穫しておこう。このドングリ数じゃマナが全然足りないからもう一回行ってらっしゃいってダメ出しを食らうと厄介だ。意地悪に微笑むツキノワさんの顔が目に浮かぶ。この大雑把なレシピはレシピの魔女が仕掛けそうな罠だ。たぶん。
手の届かない高さをふわり漂う浮かびナッツを収穫するのにはちょっとした技がいる。手を伸ばしたりジャンプしたりすれば空気の流れが変わって、浮かびナッツはさらに高く浮いてしまう。そこで僕の魔法の出番だ。やっと魔道士兼薬餌調合師っぽい仕事になってきた。
魔法とは、マナの配置をデザインすることだ。
目に視えない色を視て、耳に聴こえない音を聴き、手に触れない硬さを触る。そうすれば万物に宿るマナはどんな自然現象でも再現してくれる。スケールやスキームを自在に変化させて、通常の自然法則では起こり得ない現象を時間を圧縮させて発現させる。
燃えるはずのない物質を発火させたり、柔らかな材質を鋼鉄のように硬くしたり、鮮やかな色彩を無色透明にしたり。自然の摂理を僕なりにデザインし直してやる。それが僕の魔法だ。
さて、のんきにぷかりぷかり浮かんでいるあの浮かびナッツ。どうやって叩き落としてやろうか。腕を組んで頭上を見上げて浮かびナッツ収穫作戦を練っていると、ふと何者かと視線がかち合った。あの浮かびナッツを狙っていたのはどうやら僕だけではなかったようだ。
浮かびナッツの向こう側、大振りな枝っぷりの樹の上に、青く蠢く塊があった。最後の収集素材、蠢きゼリーだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます