第六話

俺をまっすぐに見つめるフィオナ王女殿下。

彼女の桜色の唇から出てきた言葉、それは俺を悩みの渦へと突き落とすものだった。


「あなたに、この前のお礼がしたくて。あなたがどんな人とか、そんなことは関係ないです。

ただ…私に希望をくれたヴァイオレットさんにお返しをしたいのです。だから、私にできることならなんでもします」

 

ん?今なんでもするって言ったよね?

 

悩ましい。

俺は窓の外の方を向きながら、ちらりと彼女の方へと目線を投げる。


わずかに赤く、上気した顔で俺を見つめては時折下の方へと目がいっているのが分かった。


まあ、俺もフィオナも似たような格好をしているからな。

俺は彼女の大きく開けた胸元へと目線を移す。

露出が多いドレス衣装を着たフィオナ。

そこから覗けるのは魅惑の深い谷間。


そんな男なら誰でも吸いつきたいと思えるフィオナのおっぱいが馬車の振動ともにプルンプルンと弾み、揺れ動いているのだ。

それを見ていれば、自然と数日前に彼女の胸を揉みしだいたことを思い出す。

あの極上の触感も、鮮明に。

足を組んだ。フィオナに元気になったあれが見えないよう。


うん。股間に悪いからその格好をやめてくれるのが俺にとっては一番の願いだな。

といってもそんな簡単なことはきっと彼女の望みでもないだろうからやめておく。

私に望むのはそれだけですかと落ち込まれたくないから言わないのだ。決して他意はない。

 

「特にないですわね。

それに、わざわざお礼なんてしなくていいですわ。あれはただの気まぐれですし、そもそもあなたはわたくしのことが嫌いなのでしょう?」


まるで傷に塩を塗った時にするような苦い表情で、フィオナが自嘲した。


「あなただけ、だったんです。

学園の先生も、ルーリスかあさまがつけた家庭教師も、みんなが私に才がないと諦めていました」


「………」


「でも、私が半ば諦めきっていた道をあなたが示してくれた。あなたが、私に光をくれたんです。

嫌いとか、そんなの関係ありません」


光、か。確かに今までとは彼女の雰囲気が違し、表情もまるで憑物が落ちたような顔をしている。


いま思えば、前はぎすぎすしているというか、周りも締め上げているかのような雰囲気だったし、まさに溺れ死にそうな苦しい顔をしていたような気もする。


まあ、なんにせよ、彼女の指導者に見る目がなかったということだ。

彼女の才能はあの破壊痕からいやでも見てとれる。

俺はルーリスからもらった宝剣をなぞりながら言葉を返した。


「わたくしでなくとも誰かがきっとあなたに光を与えていましてよ。

気まぐれと言いましたけど、あの時はこのわたくしの前で無様を晒すあなたにただ怒りを覚えただけ。それのみですわ」


俺がすげなくそう言った後、馬車の中に沈黙がおちてきた。


フィオナの端正な顔はまばゆい金糸の髪の影に隠れて見ることができない。


お互いに黙りこむ、静かな時間がしばし流れて。


クスクス。

そして鈴を転がすような、そんな笑い声が彼女から漏れ出るのが聞こえた。


「前の、ヴァイオレットさんなら。怒りなんて覚えず、周りと同じように私を嘲笑っていたと思いますよ?」


「あなた、何を言っていますの?」


思わず彼女を睨みつけた。


「わたし、今のヴァイオレットさんとなら仲良くできるとおもうんです」


フィオナはそう言って、にっこりと綺麗な笑みを浮かべた。


刹那。

その笑みを真っ直ぐに直視したとき、俺の脳裏に今までのことがふいによみがえった。


『あなたのことが嫌いです』


ずっと、顔を合わせれば睨まれてきた。

彼女の目尻の下がった、優しそうな目が俺を見た時にぎろりと吊り上がるのを嫌という程見たし、はっきりと覚えている。


『私が必ず、報いを受けさせますから。覚えておきなさい!ヴァイオレット・ファーレンガルト!』


彼女の静かな口調の中に燃え滾る怒りと憎しみ、敵意を向けられてきた。 


俺と仲良く、それはつまり、フィオナは俺に対する負の感情を捨て去ったということ。


当時の人格とは違うとはいえ、俺は俺、ヴァイオレット・ファーレンガルトに違いはない。

許されてはいけない行為をしてきた。彼女を間接的に民を守れない、そんな無力を突きつけて幾多も傷つけてきた。


「うっ……」


それでも許すという彼女が俺に見せた、初めての笑顔に、俺は発作を起こしたように胸を押さえた。

激しい罪悪感に胸を痛めたことに加えて、フィオナの純粋な笑顔。


この世界で下卑たというか、ニヤついた笑顔ばかりを向けられていた俺は危うくキュン死しそうになった。


「え?!ヴァ、ヴァイオレットさん?!!」


しかし、マズいのだ。

俺と仲良くすれば、アイリーンとの彼女の接点がますますなくなってしまうことになる。


なので、俺は血反吐を吐く気持ちで心配げな面立ちのフィオナにこう吐き捨てた。


「そんなこと、不可能、ですわ…っ!」




■■





話を打ち切り、再び窓に視線を戻せば先ほどの光景とは明らかに容態が変わっていた。

 

道を多くの女性達が歩き、露店のようなものがずらりと並んでいてひどく騒がしい。

おまけに馬車の速度もかなりゆったりとなっているからその様子がよくわかる。

 

「なんなんですの?これは?」

 

「ああ、祭りですよ」

 

ふむふむ、なるほど。

たしかに前世の祭りともそっくりだと頷いていると、ずいとフィオナが俺の見ている窓へ顔を近づけてきた。

自然と彼女の体が押し付けられる。フィオナから漂う甘い匂いが鼻をくすぐり、彼女のおっぱいが俺の腕にあたってぐにゃりとがつぶれた。

その柔らかさといえばなんたるか。俺は心の中で念仏を唱えた。

 

「ヴァイオレットさん?」


露店を指さしていたフィオナが首を傾げる。

頭を振ってなんとか煩悩を追い出した。

 

「ふーん。祭り、ですか。なんの祭りですの?」

 

俺がそう聞くと彼女は何言ってるんだ、この人はというような不思議な顔を浮かべる。

 

「男神、ヘクタールの生誕祭ですよ」

 

「男、神…?」

 


信者達は信仰というより、男神で自分を慰めているのでは?


そんなことが思い浮かび、俺はだいぶこの世界に毒されてしまっていたのだとふと悲しくなった。


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