第二章

第一話

『アンタは悪魔よ!街の人を平気で傷つけて…絶対に許さないんだから!』


『あなたは公爵令嬢で、王女の私なんかよりもよっぽど実力があるのに、なんでそれを暴力にしか使えないんですか?!』


『母上の無念は必ず晴らす。

覚悟しておけよ、外道。私はお前を許さない』


許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない。


ーーーヴァイオレット・ファーレンガルト。お主を斬首の刑に処する。


「あああああーーっっ!!!」


布団を吹き飛ばし、飛び起きた。

辺りは暗闇に包まれ、部屋には月の光だけが差し込んでいる。


「はっ、はっ、はっ…」


蹲り、身体中から滂沱の汗を流しながら俺は荒れた息を抑えようと試みる。

首元に手を当て、ようやく先ほどのが夢だったと実感した。


「つながってる…」


脱力し、そのまま力なくベッドに倒れ込む。

身体がひどく重い。

額に浮かんだ汗を拭い、俺は大きくため息をついた。


ここ最近、週に何度かああいう悪夢を見ることが増えた。

時期としては以前のヴァイオレットの記憶が完全に俺の人格に定着した時から。


前のヴァイオレットがやってきた卑劣な行いと人々の恐怖に満ちた悲鳴、糾弾。

そして、原作のヴァイオレットが処刑されるシーン。

それらの繰り返し。


悪いのは俺だ。

今の俺の意思ではないとはいえ、ヴァイオレットがやったことはしっかり覚えている。


数えきれない恨みや畏怖を受けても仕方のない、悪魔ですらまだ生温いと思えるほどの邪悪の体現者。

原作で見せられたヴァイオレットの非道なお行いなどただの一部に過ぎない。


だが、元ごく普通の一般人だった俺が転生した当初からずっとあれに晒されてきたのだ。

少し精神が参ってしまっていたのかもしれない。


「これ、飲んで」


するとベッドに沈み込む俺の横からコップに入った水が差し出された。


「お、ありがたいですわ」


なんなく受け取り、俺は一気にそれを煽った。


「ぷはーっ!この水、すごくうめぇですわね!」


乾いた喉が潤い、気分もだいぶ良くなった気がする。

コップを枕の横に置き、さあ二度寝しようと布団に手を伸ばした時。


はて?

そういえば俺の隣から誰かが水を差し出してくれたような?


ふと気になって、俺は横に目を滑らせて、


「ひぐっ…!」


あまりの恐怖と驚愕に、心臓が握り潰されたかのような感覚を覚えた。


俺の横にはノワール。

彼女が人形のように、無表情で、静かに俺を見つめていた。


「の、ノワール?」


「………」


反応がない。


怖すぎる。

人形といわれても差し違えない、整った顔のノワールがこの真っ暗な部屋で、俺のすぐ間近で何も言わずに佇んでいる。

普通にホラーである。


そのまま沈黙が続く。

そして何時間も経ったと錯覚するほどに長い時間が過ぎて、


「おにいさま、その…」


やっと喋ってくれた。

俺は彼女の小さな声にすぐ答えられるよう耳を澄ませる。


「………」  


「………」


いや、喋らんのかい。


再び押し黙ってしまったノワールはきょろきょろと目を彷徨わせたかと思うと、そのままくるりと俺に背を向けてトコトコとドアの方へと歩き出した。


どうやらほんとに何も言わないで出て行くつもりらしい。


どうやって入ったのか、そもそも何でいるのかということも聞きたかったが、彼女は既にドアのノブに手をかけてしまっている。


「ノワール!」


手を止めて、顔だけを振り向かせる彼女。

これだけはいうべきであろう。

どんな理由かは知らないが彼女がくれた水はひんやりと冷たく、確かに美味しかった。


「助かりましたわ。ありがとう」


俺の言葉にノワールの口元が僅かに弧を描き、そのまま彼女は部屋から静かに出て行った。


「はぁー…分からん」


数年ぶりに話した彼女だが、やはり昔と違いすぎる。

俺はというと、他人より少しは優しく接していたようだが…いや、あんまり変わらなかったか。


まあ、いいや。身体がすごくだるい。


とりあえずノワールのことは頭の隅に置いておくことにした。


そして、このあべこべ世界で女の子のノワールが夜中に、男である俺の部屋に入り込んでいたその意味に一寸の疑問も抱かずに、今度こそ俺は滑らかな生地の枕へと顔を深く沈み込ませた。











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