第5話
「………えっと」
「〜〜っ!!」
顔中が熱い。恥ずかしすぎてレイラさんを見れない。
あまりにもタイミングが悪すぎるだろ!
「………お弁当、どうかお食べになってください」
レイラさんが近づいてきて、俺の目の前に弁当箱を置いた。しかし、彼女をよく見れば頰がわずかに引きつっているのが見える。
やはり笑いを堪えていたのだ!クッ、殺せ…!
「し、仕方ありませんわね!小腹も空いてきましたし、ほんの少しだけいただくとしますわ!」
もうごまかしようがない。
俺はしぶしぶといった様子を装いながら結ばれた布をほどき、弁当箱を開ける。
そして、大きく息を呑んだ。
「ちょっと!れ…下僕!!」
声を張り上げ、俺はいそいそと退出しようとしていたレイラさんを呼び止める。
いきなり俺が怒鳴り声を上げたからだろう、レイラさんは大きく反応して今にも土下座しそうな勢いで俺の前にやってきた。
「も、申し訳ありません!!やっぱり庶民が食べるものをお出しするのはまずかったですよね?!今すぐに捨ててきますので、どうかご無礼をお許しください!」
「違いますわ!この食べ物!」
弁当箱の中身。
それは俺がずっと食べたいと熱望していたお米で作られたおにぎりだった。
この世界にはないと思っていたのに、いきなり目の前に現れたのだ。俺は混乱の極みに陥っていた。
「普通に食べられるんですの?!」
「え?は、はい…私達、庶民は小腹が空いたときにはこれを食べるのが普通なんです。元気が出るので、ぜひヴァイオレット様にも食べて欲しくて…」
ファーレンガルト家の食事には一度たりとも出なかったせいで全然気づかなかった。クソ、貴族め。許せん。
「貴族の方にこんなお粗末なものをお出しして、誠に申し訳ありません…。すぐに別のお食事を用意いたします」
レイラさんがひどく暗い表情で弁当箱を回収しようと手を伸ばす。その手が箱に触れる前に、俺はおにぎりを掴んで一口かじってみる。
「ヴァイオレット様?!わざわざ無理に食べなくとも…」
レイラさんの焦ったような声。しかしその声も途中からまったく聞こえなくなった。
周りのの音も聞こえなくなるほどの美味しさ。俺は瞬く間に夢中になり、むしゃむしゃと食べる。天国はここにあったんやなって。
口元についたお米も余すことなく口の中に含んで、あっという間に完食。
まことに素晴らしきおにぎりであった。
「まあ、下僕にしてはよくやったと褒めてやりますわ」
俺は立ち上がり、なぜかこちらをポカンと間抜けな顔で見ているレイラさんに目をやる。
「なに棒立ちになっているんですの?」
「あ、す、すいません!今すぐお風呂の準備をいたしてきます!」
ようやく意識が戻ったようでレイラさんはパタパタと走り去ろうとする。
「ちょっとお待ちなさい」
レイラさんが部屋を出ようとしたところで。
俺は彼女を呼び止めた。
「は、はい、なんでしょうか?」
困惑した表情で立ち止まった彼女に、俺は自然な笑みを浮かべてみせる。
「悪くない味でしたわ。ありがとう、レ・イ・ラ・」
そして俺は硬直するレイラさんを置いて、意気揚々と鼻歌を歌いながら武道場を後にした。
……あれ?俺、なにか重大なことを忘れているような?
「ヴァイオレット様……さっき私のこと、名前で…!!」
ヴァイオレットが去った後。
ずるずると床にへたり込んだレイラは熱く火照った頬を両手で覆う。
ただの気まぐれで私の名前を呼んだだけなのは分かっている。それでもあの方が私の名前をちゃんと覚えててくれた。
それだけなのに、私の口元が勝手ににやけるのを止められなかった。
■■■
ファーレンガルト邸、廊下にて。
「姉上、何のつもり……!」
そこでノワールは心底憎々しいといった表情でリリアに牙を向いていた。
「ん?何のことだ?」
リリアは訳が分からないといった表情を浮かべる。それを見てさらに殺気立つノワール。
「……お兄様に手を出したくせに、のうのうと話しかけて。そのせいでお兄様が心を閉ざしたこと、忘れたとは言わせない」
リリアはノワールの敵意全開の言葉に悔恨の表情を浮かべ、拳を握る。
「ああ、そうだな。たしかに私は過去にヴァイオレットを傷つけた。馬鹿なことをしたとは思っているよ」
「なら、お兄様に近づくな…!」
「それはできない相談だ。そもそも、あいつとまともに会話もしていないお前にグチグチ言われる筋合いはない」
リリアは目を細め、すさまじい怒気をまき散らしながら拒絶する。
しかしノワールは怯まず。昏い激情が渦巻いた目をリリアに向け続ける。
ーーーもはや二人の間に漂う空気は同じ血を分けた姉妹とは思えないほどに殺伐としており、まさに一触即発。
おぞましい空気が辺りの空間を次第に圧迫していく。
哀れにも遠巻きに見ていた侍女達はその空気に当てられ、次々と泡を吹いて気絶していった。
「……筋合いはある。お兄様を一番愛しているのは私。だからどさくさに紛れてお兄様の体をいやらしく触った姉上を近づかせるわけにはいかない」
「それは仕方がないのではないか?」
「は?」
「弟とはいえ、あれほど上玉な男はおるまい。それを手も出さずにただ手をこまねいて見るのは女じゃないと私は思うが?」
「は?」
「心配せずともあいつの花を無理やり摘むようなことはしない。
だが妹よ。お前はまだ子供。いい機会だ、妄想ばかりしてないでこの私から女というものを学んでみろ」
「ちょっとお前庭に出ろ」
この日。
荒れ狂う一人の少女によってファーレンガルト邸の中庭は破壊尽くされ、ただの更地と化した。
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