第3話
「ハァ…ハァ…まだ、やれますわ…っ」
ファーレンガルト邸内の武道場。
そこで俺は稽古をつけてもらっていた。が、稽古というよりは蹂躙に近い。
たいして時間はかからずに俺は両手両膝を床につく羽目になっていた。
「もういいだろう。そろそろ休め」
俺の姉、リリアはそう言って剣を鞘に納める。
リリア=ファーレンガルト。
結いあげられた淡い蜂蜜色の髪に、凛とした顔立ち。精巧な剣を思わせる美貌と厳粛な雰囲気をまとう、まさしく騎士を体現したかのような女性であり、王国内でも数少ない実力者だ。
「お断り、ですわ…!」
そんな相手に対し、俺は無謀にも石床に投げ出された木刀を拾って再び構える。リリア姉は仁王立ちのまま、俺を見て眉を寄せるのみ。
「ヴァイオレット、お前は男なんだ。痴女に襲われるのが怖いなら、この私が何を賭してでもお前を守ってやる。だから無理をするな」
威圧感をも覚えさせる口調でリリア姉は俺に戦うのをやめろと言う。
だが、俺は痴女が怖いわけではない。
そもそも女装をしているため、男だとバレない以上は身の危険は少ない。それにも関わらず、俺が何度も地面に這いつくばり、無様を晒しながらも刀を握るのは原作においてラスボスの存在があるからだ。
男女あべこべの世界であり、原作はすでに木っ端微塵になっていようとこの世界にも魔王は存在する。
あの災厄が存在し、将来破滅する可能性があるというのにただ何もせずにだらだらと日常を過ごすのは嫌だった。
「いきますわよ!」
俺は走り出し、木刀をリリア姉目掛けて振るう。風切り音とともに俺の振るった木刀が彼女に迫る。
しかし、リリア姉は一歩も動かず。
彼女は剣ではなく、手の平で俺の一撃をたやすく受け止めた。
まるで固いコンクリートを殴りつけたかのような衝撃。
こちらが攻撃をしたというのに、俺の手の方が痺れ、柄を握る力が弱まる。
「フッ!」
刹那。
俺の持つ木刀がはじき飛ばされ、気づけば俺は天井の方を向いていた。
「え……?」
何が起こったか分からず、俺はただ気の抜けた声しか出せなかった。
「今日のところはここでおしまいだ。これ以上は体を壊す」
パンパンと手を叩き、リリア姉は床に倒れている俺の手を掴んでゆっくりと起こした。
「リリア姉様!わたくしはまだ…」
しかし諦めきれず、抗議しようとした俺の言葉はリリア姉に抱きしめられたことで遮られた。なにか柔らかいものが俺の胸にあたってつぶれ、リリア姉の吐息が俺の耳にかかる。
俺の体と息子が思わずこわばった。
「私はな、ヴァイオレット。心配なんだ。大事に守られるべき、か弱い男であるお前がそこまで強さに執着するのが。やはり綺麗な花に血みどろの世界は似合わん。お前は戦いから離れるべきだ」
「姉様……」
男を花だと例えるなど前の世界では失笑ものだろう。怖気が走る。
けれど男はか弱き存在であり、大切に守らなければいけない。これがこの世界の常識だ。
前世とは違ってこの世界の人間は魔法を行使することができる。
だが男女での違いは非常に大きく、女は潜在魔力も大きく魔法を放てるのに対し、男は体に宿る魔力自体が少なく、魔法の行使どころか魔力の放出自体できない。
男女逆転の余波を受けたせいだと思われる。そのせいで男は力が弱く、あのおかしな常識がこの世界に浸透することになった。
だからリリア姉の言うことは至極あたりまえのこと。リリア姉だけではなく、他の誰もが口を揃えて同じことを言うだろう。
「それでも、わたくしは強くならないといけないのです」
リリア姉は顔を離し、目と鼻の先の距離で俺と見つめ合う。リリア姉の髪と同じ蜂蜜色の瞳に見つめられると心の奥底まで覗かれているような気分になる。
目を逸らしたくなるが、なんとか己を鼓舞して姉と睨み合いを続ける。
「……そうか。理由は詳しく聞かん。
だが、お前の身を案じている者が少なくともここに一人いることをしっかり覚えておいてくれ」
姉はそんな優しい言葉とともにフッと笑顔をのぞかせる。その笑みは見る人を安心させる、頼もしい笑みだ。ただし、時と場合によってだが。
「リリア姉様」
「なんだ、ヴァイオレット?」
リリア姉はきょとんと首を傾げる。
いまだ何をしているかに気づいていない姉。彼女に俺は気づかせてあげないといけないのだ。
俺は息を思いっきり吸って、
「わたくしのお尻、撫でるのをやめて下さいまし!」
俺を抱きしめてから堂々とセクハラをかましていた姉にそう叫ぶのだった。
……ほんといいこと言ってたのに台無しだよ。
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