第2話

「はぁ…はぁ…男、男っ!!」

 

俺が男だと侍女にバレた。

侍女はギラギラと目を血走らせながらゆっくりと俺に近づいてくる。対してこちらは全裸で無防備。このままだと性的に喰われる。

 

「止まりなさい!わたくしは近づいていいとは言っていませんことよ!」

 

「うへへへ……」 

 

俺の制止を聞いていない。

よだれをたらすその口からは性欲が滲んだ笑い声が漏れ、完全にトリップしたままだ。

 

「ほんの先っちょだけですから!私に身を預けてくれれば一瞬で終わりますから!」

 

侍女が絶対に信用できない言葉を叫んで、獣のように俺に飛びかかってきた。

抵抗する間もなく、理性を完全に失った彼女に俺はあっけなく押し倒される。

 

「うぐ…は、離せ…しなさいっ」

 

必死に身をよじるが俺の上にのしかかった侍女は微塵も揺れない。

そのまま彼女は我慢できないとばかりに鼻息荒く自分の服を脱いでいく。ふくよかな胸がポロンと俺の目の前にさらけ出された。

 

「へへ、大人しくわたしと…」

 

その途中。欲情したしまりのない顔となっていた侍女がピシリと固まった。

 

彼女の飛び出るかというほどに大きく見開かれた目が向く先は、俺の知らず大きくなってしまった股間。

 

「………」

 

「………」

 

幾ばくかの沈黙の後。

 

「ブハッ…!」

 

見る見るうちに顔を赤くしていった侍女は、激しく鼻血を噴出。そのまま綺麗な鼻血の軌跡を描きながら浴場の床に倒れ込んだ。

 

「だ、大丈夫か…ですの?」

 

彼女の目の前で手を振ってみる。が、なんの反応も返さない。気絶したようだ。

 

「ハァー…」

 

危なかった…。ファインプレーをしてくれた俺の息子を褒めてやりたい。

 

「しかし…」

侍女の顔をじっーと観察する。その寝顔は先ほど欲情して息を荒らげていた女だとはまったく思えないほどかわいく見える。

 

「うほっ、うふふ…」

そう思っていたら、侍女は寝たままにも関わらずにへらと薄気味悪く笑いはじめた。やっぱ寝顔もさっきの発情魔そのままだな。

 

 

俺は侍女の顔から体に目線を移す。

そして思いっきり侍女の裸体をガン見した。大きな胸や引き締まった腰、スタイル抜群の体だ。いかん、俺も鼻血が出そう。

 

前世の価値観も引きずっている俺からすればむしろこちらからこの美少女とぜひとも突き合いたい。だが、そうもいかない。

 

俺の貞操は将来の番となる婚約者に捧げなければならないと決められている。

俺がヴァイオレット嬢として女装し、女として振る舞っているのはそんな理由からだ。

 

ここは男女の貞操観念が逆転し、男女比がおよそ1対10である世界。当然、男の数は少なく希少な存在だ。

けれどその環境が男にとって都合がよく、生きやすいというわけではない。

 

男は生まれた時から蝶よ花よと大事に育てられるが、常に性的に狙われるという危険が付き纏う。

よほどの護衛をしていなければ男に飢えた女に襲われ、貞操を奪われる。また護衛の女から手を出されて、という場合も多い。

 

それに加えて国は一夫多妻を認めているくせに男性は本妻に貞操を捧げなければならない、というルールが定められており、貞操を失ってしまえば結婚は事実上叶わなくなる。

 

……理不尽すぎじゃね?

たしかに前の世界でも処女信仰みたいなものはあったがここまであからさまではなかった。

 

つまり俺が万が一にでも貞操を失ってしまえば、結婚もできずにそれどころか伯爵家からも追い出され、情夫に身を落とすしかなくなる。

男の本妻になるのは貴族であることがほとんどで、貴族たちは他の雑種の女との交わりによる穢れをひどく嫌っているためだ。

このアルファス王国は貴族が絶大な力を持ち、おまけに彼らの自意識はそれはもう天よりも高い。

生涯の伴侶となる男のはじめてを貰い、最初に男を汚すのは自分であって当然だと考えているのだ。

 

さらに悲しいことに貴族に生まれる男は一般層から生まれる男の割合よりもはるかに低く、結果として十分な護衛を雇えずに、女に食われて情夫になっている男が少なくない。

 

だから俺、というよりも記憶を思い出す前のヴァイオレットはその危険を避けるために女装をしていたわけだ。もう少しで能天気な母様によってすべてが台無しになるところだったが。

 

そして俺が婚約者と結婚できるようになるまであと1年。

 

それまでなんとか俺の貞操、童貞を守り続けねばならない。さっさと捨てたいが奪われれば、俺に待っているのは破滅。

情夫としてたくさんの女の相手をするのも悪くないと思うかもしれないが、あの欲望に歪みきった女たちを1日に何十人も相手にするのは地獄だろう。というか、精魂尽き果てて絶対に死ぬ。

この世界ではたとえ普段お淑やかな女であっても男の前ではただの獣と化すのだ。

 

 

「これでよし」

 

自制心を働かせながら全裸の侍女に服を着せ、俺もさっさと服を身にまとう。

とりあえず侍女に先ほどの記憶が残っているかを探らないといけない。もし覚えていれば、最悪物を頭にぶつけて記憶消去を計らないと。

 

彼女を抱きかかえながら風呂場から出て、長ったるい廊下を歩く。ここから俺の部屋まではまだ遠い。彼女の重さに苦労しながらも足を進める。

 

「「「ヴ、ヴァイオレットお嬢様!!」」」

 

すると廊下で掃除をしていた侍女たちに遭遇した。

彼女たちは俺を視界に捉えた途端、ズザザッと大袈裟に下がって平伏した。

 

「……ただの家畜より少しはマシな働きをしているようで、なによりですわ」

 

「「「はい!ありがとうございます!」」」

 

訓練されたように一斉に声を張り上げる侍女たち。

相変わらず怖がられていることに心に大ダメージが入るが、なんとか悪役令嬢の仮面を取り付ける。

一番生活する上で接触が多いのは侍女たちであり、その分男だとバレるリスクは高くなる。だから彼女たちから恐れられているこの状況が貞操を守るには一番いい方法。

まあ、俺の精神が受ける損害を度外視すればの話ではあるが。

 

廊下の端で赤い絨毯に額をすり付けている侍女たちのそばを通り過ぎる。

 

「あの、その子がなにか粗相を…?」

 

通り過ぎた後、俺の背中越しにそんな質問が投げ掛けられた。振り向けば一人の侍女が恐怖と悲しみが入り混じったような目つきで俺を見つめていた。

 

「ええ。この家畜以下の畜生はわたくしの命令よりも母様の命令を優先するという愚行を犯したので、わたくし直々に調教してあげるんですの」

 

俺はあくどい笑みを意識しながら浮かべる。

どうやら効果覿面だったらしく、その侍女は絶望をあらわにポロポロと涙を流しはじめた。ものすごい罪悪感が俺の中から湧いてくる。

 

「申し訳ありません!!処罰を下すのなら、どうか私にしてくださいませ!お願いします!お願いします!」

 

そして俺の服に縋り付いて、必死に懇願をしてきた。

自分が身代わりになるといえるほどに仲のいい親友なのだろう。

しかしここで母様を優先し、俺の命令を蔑ろにすればこうなると見せつけなければまた先ほどのようなことが起こる。

 

「あなたたち、何をしているの?さっさとこれを引き剥がしなさい!」

 

俺が怒鳴るようにそう言えば彼女たちは慌てて寄ってきて、俺に服を離すまいと握る侍女を力づくで無理やり引き剥がした。

 

「ふん」

剥がされた侍女の顔を見ずに、俺は銀髪を翻して再び歩き始めた。罪悪感のあまり死にそうです。

 

 

 

 

 

 

 

 

「……お姉様」

 

 

あともう少しで俺の部屋に到着するという時。

突如、俺を呼ぶ静かな声が聞こえてきた。向かい側の階段を見上げれば俺の妹、ノワール=ファーレンガルトがコツコツと小気味のいい音を響かせながら階段を降りてきていた。

 

「話すのは久しぶりですわね、ノワール」

 

本当に久しぶりだ。俺が記憶を思い出してからこれがはじめての会話となる。思わず俺の口調が揺らぎそうになる。

 

ノワール=ファーレンガルト。

原作ではほとんど登場しない人物で、ヴァイオレットの妹としてわずかに登場しただけだ。

 

目鼻立ちはすっきりしていて、髪も絹のように綺麗なのだが普段から何を考えているか分からない、人形みたいな子だ。

 

表情はあまり変わらず、おまけに俺の食事が終わるまで手を動かさずにただずっと俺の顔を見つめるという謎行動をしている常習犯でもある。

もしかしたら俺の変化に気づいている?

 

「その侍女、私が預かる」

 

「あなたが出しゃばることではなくてよ?部外者は引っ込んでいなさいな」

 

……し、しまったー!辛辣な言葉を言うのに慣れずきて、ついきついことを言ってしまった。せっかく話しかけてくれたというのに、俺はなんてことを…。

 

「…そう」

 

ノワールは小さく呟いて、ギロリと殺気に溢れた目で俺を睨みつけてきた。思わず俺の足が後ずさる。

 

 

そして何分経ったのだろうか、ノワールは階段を登っていって姿を消した。

 

 

「な、なんだったんですの…?」

 

ものすごく怖かった。静かな人がキレたら本当に怖い。

 

 

俺はやはり妹に嫌われていたことに落胆し、どんよりとした気分と侍女を抱えたまま自分の部屋の中に入った。

 

 

 

 

 

いくつもの魔物の顔が壁に飾られ、きわめつけには多くの女達が苦しむ様子が描かれた絵画が置いてあるめちゃくちゃヤバイ部屋。それが俺の部屋である。

記憶を思い出す前の、俺の業の深さがよく分かる。だんだんと俺の思考もそちら側に侵食されていきそうで恐ろしい。

 

「起きなさい」

ベッドに寝かせた侍女の頬をぺチペチと叩く。

 

「う、う〜ん、あ、あれ?」

目を覚ました。

侍女は目をこすりながらキョロキョロと辺りを見渡し、顔を正面に向ける。

俺と目があう。

 

「お、お嬢様??!!!」

すごい慌てぶりで、侍女はそのままベッドから転げ落ちた。

 

「やっと起きましたわね。ところで、なぜあなたがここにいるのか分かっていらっしゃる?」

俺は椅子に座り、腕を組んで侍女を見下ろしながら聞いてみる。

 

「た、たしか…浴室に入ろうとしていたことまで覚えているのですが…そこから先の記憶がなくて」

顔を青くし、手を震わせながらその侍女は答えた。

 

……よし、覚えてない。

 

「わたくしが入ってくるのを許可してないのにも関わらず、あなたは勝手に浴室の中に入ってきたんですの。あなたが仕出かした事の大きさ、分かる?」

 

「誠に申し訳ありません!!どうか、どうか御慈悲を!」

 

真っ青どころか真っ白に染めた顔を床につけ、何度もその侍女は俺に謝罪と慈悲を乞う。

 

「…で、このわたくしがそう簡単に許すとでも?」

 

俺は立ち上がって彼女に近づいていく。

 

「い、妹がいるんです!私がいないとあの子は生きられないんです!どうかお許しください!」

 

「………」

 

目の前まできた。

浴場で俺を押し倒したとは思えないぐらいに小さく見える侍女の前でしゃがみ、彼女の手を掴む。

ビクリと大きく震える侍女。その掌の上に俺は布袋をのせた。

 

「開けなさい」

 

俺がそう命じると、侍女はおそるおそる紐を解いてその袋を開く。

 

「こ、これは……き、金塊?!受け取れません!こんな高価なもの!」

 

俺が渡したのは小さい袋に入るぐらいの金塊。これだけでも普通の家庭であれば1年は優に生活できる。

 

「わたくしの寛大なプレゼントですわ。ただし、このことは絶対に誰にも言わないでくださいな」

 

「ど、どうして…?ヴァイオレット様は…」

信じられないものでも見たかのような顔で侍女は呆然と疑問を口にする。

 

「あなたの妹の病気を治すのに、これは必要なのでしょう?」

 

この侍女、レイラさんは俺のお世話係であるし、高い妹の治療費を稼ぐためにひたすら働き三昧であることも俺は知っている。

 

そもそも原作においてヴァイオレットが魔王領に追放されたのはレイラさんの妹が大きく関わっており、レイラさんはヴァイオレットに殺されることで追放のきっかけを作る重要なキーマンなのだ。

 

まあ、あべこべで原作は崩壊しているので実際関係なく、今後の夜の発散が捗るいいものを見せてもらったお礼と万が一思い出した時、この恩の存在がレイラさんの暴走を思い留まらせる保険になりうるので俺は渡すことにした。

リスクもあったので本当は渡す気などなかった。

 

「はい…、はいっ…!ありがとう、ございます…っ!この御恩は一生忘れませんっ」

 

「ええ。次はないと肝に銘じて、これからもわたくしの便利な下僕としてせいぜい頑張りなさい」

 

「はい!頑張ります!」

俺の令嬢然とした優雅な笑みとその言葉に侍女は頰を赤らめ、大きく返事をする。

 

「では退出してけっこうですわ」

 

そしてレイラさんは部屋を出るまで終始頭が取れるかという勢いで何度も俺に頭を下げながら部屋を退出していった。

これから俺もお世話(意味深)になります。

 

 

 

 

■■■■■■

 

 

「あの女狐……!!」

 

 

薄暗い部屋。

そこで一人の少女、ノワール=ファーレンガルトはギリギリと歯軋りをたてながらある穴を覗き込んでいた。

 

彼女の目に映る先はヴァイオレットの部屋の中。

 

 

「お兄様の裸を見たくせにお兄様の裸を見たくせにお兄様の裸を見たくせにお兄様の裸を見たくせに…」

 

ブツブツと不気味な声が光の灯らない部屋に何度も反響する。しかし下の部屋にその声は届かない。

 

「許さない…」

 

どいつもこいつも私の大好きなお兄様を奪おうとする。

昔はお兄様と一緒によく遊び回ったのに、未遂で終わったものの姉が手を出したせいでお兄様は他人を冷たく拒絶するようになってしまった。

 

あの侍女もお兄様の裸を見たくせに、押し倒してお兄様のお体に触れたくせに、忘れたですまされ、あげくに金塊ももらっていた。

男性の全裸を見て、触れもしたのだ。むしろあの女がお兄様に金を渡すのが道理。さらにそれがお兄様の裸となればなおさら。

 

許せない。やはり無理やりでもお兄様から侍女を奪っておくべきだった。

 

 

苛立ち紛れに爪を噛みながら部屋を覗いていれば、穢らわしい侍女が出ていきお兄様がベッドに横になった。

 

お兄様の顔を見つめていれば、私のふつふつと煮え立っていた心がだんだんと静まっていく。

 

……ああ、ほんとうにお兄様はお美しい。

 

今まで見たどの女よりも、どの男よりも綺麗で凛々しく、襲われた相手にさえ施しを与えるほど心根は優しい。

 

そんな魅力に溢れたお兄様がもし男性だと知られでもすれば、国中の女共が放っておくわけがない。

だからちゃんと私が見張っておかないといけない。

 

 

 

私のお兄様。私だけのお兄様。

 

 

 

ーーーーー絶対に誰にも渡さない。

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