第11話 なつかしきものよ、かたらえ


「本当は来てほしかったんだけどね。今は人手が足りてるらしくて採用の予定がないんだそうだ」


 僕を指導してくれた先輩職員はそう言うと、「短期のバイトがあったら連絡するよ」と付け加えた。


 僕は「お願いします」と頭を下げて、一週間ほど働いた配送センターを後にした。


 期待していたわけではないが、仕事ぶりを褒められたことで少しばかり浮ついていたことは事実だ。部屋を出る時、ちえりに「昨日のお礼に、今日は手をかけた夕食をつくるわ」と言われたことが、なんだか無性に切なかった。


 すぐ帰るのもためらわれたので、しばらくは縁がなくなる職場付近をうろうろして言えると突然「お前、シンじゃないか?」と背後から呼び停められた。振り返ると短髪のがっちりした男性が、親し気な目をこちらに向けて立っていた。


「ええと、あなたは……」


「なんだい、もう忘れたのかよ。同じ職場だった風間だよ。暇なら、少し話さねえか?」


 風間と名乗る男性は、そう言うと僕を近くのファミリーレストランへと誘った。


「一年ぶりくらいか?変わらないな、シン」


「あの、実を言うとあなたのことを覚えてないんです。事故で記憶を失ってしまって」


 正直に打ち明けると風間は一瞬、目を丸くした後「記憶喪失?本当に?」と僕に質した。


「ええ、本当です。だからあなたとどこの職場でどんな仕事をしていたのかも覚えていないんです」


 僕は一気に吐き出すと、ドリンクで口を湿した。


「ふうん……そりゃあ災難だったな。俺とあんたは印刷工場で働いてたんだよ。半年くらいかな。あんたはどっちかっていううと社交的な方じゃなかったけど、俺はおせっかいだから時々、飯に誘ったりしてたんだよ」


 そうだったのか。僕は風間の人懐っこそうな顔を見ながら、また過去とのつながりが少し増えた、と暖かい気持ちになった。


 風間は元不良で喧嘩ばかりしていたが、彼女ができてからは真面目に働いていることなど、主に自分の身の上話を僕にし始めた。風間の話は面白かったが、その一方で僕には人に話せる過去が一つもないという後ろめたい気持ちもあった。


 僕がそのことを口にすべきか迷っていると、ふいにスマホが鳴った。見るとちえりからの着信だった。風間に断って内容をあらためると、『仕事の話、どうだった?』と短い問いかけが記されていた。


「ごめん、そろそろ帰らないと」


 僕が言うと、風間が「彼女かい?顔に描いてあるぜ」とからかった。


「違うよ。少しの間、お世話になっている女性だよ」


「ふうん。まあいいや。それじゃ、またな。ここの払いは俺が持つよ」


 風間はそう言うと、レシートを手に席を立った。往来に出たところで僕はあらためて「今日はありがとう、楽しかったよ」と風間に礼を述べた。


「こっちこそ、懐かしかったよ。また連絡していいか?」


「もちろん。ただ、夜の誘いだと行けないかもしれない」


「例の彼女だな。了解だ。うまくいくことを祈ってるぜ」


 風間はそう言うと、通りの向こうに姿を消した。僕は「彼女か」と呟くと、駅の方へと歩き始めた。


 僕が背後に奇妙な気配を感じたのは、バイト中に見つけた近道を歩いていた時だった。


 ――尾行られている?


僕は振り向かずに歩調を速めた。すると、突き当りの角から、黒い服に身を包んだ人影が現れ、まっすぐ僕の方にやって来るのが見えた。


 ――しまった、挟み撃ちにする気だ!


 僕は足を止め、近くの電柱に身を寄せるとスマホを取りだして結城の番号を入力した。

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