第6話 よそおいしものよ、信じよ


「シャワーとトイレは普通に使って構わないわ。ベッドがない代わりにマットレスと毛布があるから、悪いけどそれで我慢してくれる?」


「もちろん。それだけでも十分、ありがたいよ」


「あとは……そうね、好き嫌いはない?私、料理は得意な方じゃないからあると困るんだけど」


「ないよ……たぶん」


 僕は即答した。そう言えば、目覚めてから二時間ほど経つというのにまったく空腹を感じなかった。それどころか空腹というのがどういう感覚だったかも、にわかには思いだせなかった。


「よろしい。それじゃ、行き先が見つかるまで宿代はツケにしてあげるわ。もしかしたらシン君、どこかの大富豪の御曹司かもしれないでしょ。こう見えても私、意外と賭け事には強いのよ。いい目が出る方に賭けさせて」


「ありがとう。御曹司や王子じゃなかったとしても、必死で働いて返すよ。二倍とまでは行かないけど、ちゃんと利子をつけてね」


「うん。楽しみにしてるわ」


 ちえりは屈託のない笑みともに、ウィンクを僕に寄越した。こうして僕の居候生活が始まったのだが、それは押し寄せる疑問と葛藤の始まりでもあった。


 僕にとって最初の不吉なシグナルが現れたのは、その日の夕食時のことだった。


「お待たせ。カレーくらいなら、食べられるよね?……ちょっと辛いかもしれないけど」


 ちえりがテーブルに運んできたのは、具のたくさん入ったカレーだった。僕はテーブルにつくと、奇妙なくすぐったさと共に「いただきます」と言った。


 いったい、いつ以来の食事だろう?僕は感動を覚えながらちえりの作ったカレーを口に運んだ。僕の脳裏に疑問符が浮かびあがったのは、三口目を食べ終えた直後だった。


「シン君、やけに静かだけど、どうかしたの?……ひょっとして辛すぎた?」


 僕は「いや、そんなことない。おいしいよ」と首を振った。だが、それは咄嗟の嘘だった。辛いも甘いもない、僕は食べ物の味という物を、全く感じることができなかったのだ。

 

 ――僕は……何だ?


 実は昼間、この部屋を訪れた時から僕にはある疑問がまとわりついていた。


 熱さも寒さも全く感じず、尿意すら感じなかった。そう言えば、あの資材置き場で目覚めた時もなんだか唐突な感じだった。意識が戻るというより、そう……強いて言えばスイッチがオンになったような感じだ。


「ごちそうさま、食べごたえがあったよ」


 僕は満腹感のないまま、いくばくかの後ろめたさを感じながらちえりに言った。


「そう、よかったわ。私、味付けに自信がないから、たとえ数日でも口に合わなかったらどうしようって思ってたの」


 ちえりのほっとしたような顔を見ているうちに、気がつくと僕はある思いを口にしていた。


「ちえり、僕がもし何かの犯罪に関わっているとわかったら、君の前から何も言わずに消えてしまうかもしれない。そうなった時は許して欲しい」


 ちえりは一瞬、虚を突かれたように目を瞠った。が、すぐに真顔になると「わかったわ」と言った。


「ただし、これだけは約束して。決して私に嘘はつかないって。私、嘘と隠しごとは嫌いなの」


「……わかった、絶対に嘘はつかないよ」


 僕は空のカレー皿を見ながら、心の中ですでに小さな嘘をついてしまったことを詫びた。

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