第3話 さまよえるものよ、あらがえ
「ここで何をしてらっしゃるんですか?」
僕は返答に窮した。自分の過去を探しているといっても余計に怪しまれるのがおちだ。
「ええと、知人のところに行こうと思ったんですが、連絡がつかなくて……」
僕はまんざら嘘でもない方便を口にした。
「すみませんが、身分を証明するものを何かお持ちですか」
警察官に言われた僕は、即座に「すみません、持ち合わせてないです」と返した。身分のわかるものが存在するなら、僕が欲しいくらいだ。
「困りましたね……まあ、いいでしょう。そんな身なりだとまた声をかけられますよ」
警察官は目に訝しむような光を宿したまま僕に告げると、その場から立ち去った。
―ひとまず、難を逃れたな。
僕はほっと息を吐き出すと、公衆電話を探し始めた。僕は近くのコンビニ前にそれらしきものがあるのを見つけると、どきどきしながら歩み寄った。電話は長く使われていないのか全体が色褪せ、コインの投入口には錆が浮いていた。僕は受話器を外すと、なけなしのコインを投入した。
――たのむ、繋がってくれ。
僕はティッシュに紛れていた紙片の番号を押すと、祈るような思いで繋がるのを待った。やがて、接続音と共に「はい」という男性の声が聞こえた。
「あ、あのう……猪瀬という者ですが、結城さんでしょうか」
僕は思わず、ポーチに入っていたメモの名を口にしていた。自分の名ではないかもしれないがこの際、借りることにしよう。
「猪瀬だって?」
電話の向こうの声は低く落ち着いていたが、口調には戸惑いが滲んでいた。
「はい、たぶん……」
僕は自分でも滑稽だと思いつつ、正直な心情を口にした。
「私は確かに結城ですが……どういうご用件です?」
よかった、ビンゴだ。僕はほっとしながらも、相手が喰いついてくれるような話の振り方を大急ぎで模索した。
「ええと、『イグニアスL79E』のことで……」
「イグニアスだって?なぜそれを……」
僕が駄目もとでもう一つのフレーズを口にすると、結城は絶句した。しまった、ひょっとして勇み足だったか?
「君がもし本当に猪瀬君なら、イグニアスの意味を知っているはずだ。なぜ私に聞く?」
結城の言葉は、僕を打ちのめした。あのメモは僕が自分で書き残した物だったのか?
「実は僕、記憶喪失になってしまったようなんです。それで……」
「記憶喪失だって?いったい何があったんだL……いや、猪瀬君」
僕はおやと思った。結城の口ぶりは、あたかも僕と面識があるかのようなくだけたものだった。
「何があったか僕が知りたいくらいです。……ついさっき、どこかの資材置き場のような場所で目が覚めて、あなたの名前と連絡先の書かれた紙が持ち物の中にあったんです」
「ううむ、そいつはまずいな……」
結城は僕の話を聞くなり、唸り始めた。どうやら単なる知り合いではないらしい。
「……わかった、そういう事情ならいったん、私のところに来たまえ。光が丘7の14にある『光芝印刷』という会社の受付で私の名を出せばオフィスに案内してくれるはずだ」
結城はそう言うと、「私の元に無事辿りつくまで、記憶喪失のことは誰にも話してはいけない。いいね」と付け加えた。僕は事情が呑み込めないまま「わかりました」と返した。
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